2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[439] 2003年08月15日(金)
「帰省日記」

●8月8日(金)

帰省時に持って行くカメラは中判と決めたわけだが、そうなると「New MAMIYA-6」となるか。
しかしよく考えると、「New MAMIYA-6」では魚眼写真が撮れない。情報量を得ようとするために中判としたわけだが、画角的情報量が少なくては今回中判を選んだ意味が無い。

かと言って中判での魚眼撮影となると一眼レフの「ブロニカSQ-Ai」となる。そうなると、他の携行レンズも併せると一挙に容積がかさむ。
ふと、自作魚眼カメラが思い浮かんだ。これは魚眼写真以外には撮れないが、小型軽量なため「New MAMIYA-6」と併用出来る。もちろん、自作魚眼カメラは失敗率が50パーセントを越えるのが問題だが、量を撮るので成功カットも増えよう。

そう考えると容積の余裕が生まれ、中判とは別にメモ用としてハーフサイズ一眼レフ「オリンパスPEN-FT」と25mm広角レンズを持って行くことにした。ハーフサイズならば36EXフィルムで72枚撮影出来、デジタルカメラのように気兼ね無くシャッターを押せる。
(デジタルカメラのほうはバッテリーがいつか切れるため、本当の意味で"気兼ね無く"というわけには行かないだろうが・・・。)
ハーフサイズであるから、ここは奮発して微粒子フィルムの「Kodak E100G」を使うことにしよう。長期保存を考えた写真であるから、今回はFUJI製フィルムは使わない。

ところで台風のことだが、九州南部に上陸した後、四国のほうへ再上陸したという。このままでは新幹線での帰省が危ぶまれる。
職場では、TVをつけて数人が台風情報を観ていた。我輩もそこに近付いてTVを観た。
「まずい・・・、九州に帰れないかもなぁ・・・。」
我輩はポツリと言った。
すると、前に立って観ていた某専門部長殿が振り向いた。
「いやー、こりゃダメだよ。明日は台風直撃だよ。」
近くにいた同僚も「新幹線の線路が流されますよー」などと冗談半分に言った。
そんなバカな、新幹線は大部分が高架だぞ。昔、我輩が大学生の頃、松江から山陰本線で帰省しようとした時に台風の大雨で線路の土台が流されてレールが宙吊りになり全面不通になったことがあったが、山陽新幹線のほうは全く無事だった。あの時は振替輸送となり、追加料金無しで新幹線に乗ることが出来、得をしたものだ。


●8月9日(土)

我輩はいつも、旅行について事前の準備が全く出来ない。出掛ける間際になって慌て出し、忘れ物もいくつか発生させる。
今回、その反省のために準備に2日掛けた。しかしカメラについてはフィルムを用意しただけで安心してしまい、その後の準備はやはり出掛ける間際となってしまった。準備の大部分は、車中で聴くためのMD編集に充ててしまった。

朝6時半、目覚ましが鳴り起床。
ヘナチョコ妻は2日前から自分の実家に帰っているので我輩一人しかいない。気楽な一人旅なので、時間は全く考えていない。ただ漠然と早朝に出ようと思っていただけ。
TVを観ると、台風はこちらに近付いているとのこと。それを考えると、急いで東京駅へ行っても飛行機キャンセル組が大挙して押し寄せていると予想され、少し遅く出たほうが良いかも知れないと勝手に思い込んだ。そして、ふと意識が遠退いた。

次に目を覚ますと、9時くらいになっていた。そろそろ用意せねばなるまい。
朝食を摂り、着替えやMDプレーヤー、カメラ、フィルムをカバンに入れる。今回のカバンは、職場の営業の者から貰った3つのカバンのうち、カメラ用として使えそうなものを選んだ。

よく見ると、カメラは「自作魚眼カメラ」、「New MAMIYA-6」、「オリンパスPEN-FT」、「露出計用途のデジタルカメラ」と4台もある。少しビックリしたが、カバンに詰めるとそれほど重く感じない。まあ、少しは健康になったのだからな。
ところで小型のセコニック製単体露出計を持って行こうと思ったが、部屋を探しても見付からない。本気で探すと時間も過ぎてしまうため、諦めてデジタルカメラのみで測光することにして家を出た。

外は風が少し強いが雨はまだ降っていない。最寄りの駅まで着けば、後は小倉駅までは外に出ない。だから、雨が降りそうでも傘は持たなかった。
山手線に乗っていると雨が激しく降り出した。

東京駅で新幹線の自由席切符を買い、ホームへ行った。東京駅は始発駅であるため、自由席でも必ず座ることが出来る。ところがその日は列がよく分からないほど人がいたために、我輩は適当な列で並んでみた。すると我輩の後ろに並んだオバちゃん2人が話しかけてきた。
「この列はひかりを待ってはるの?」
「さぁー?よう知らんのよ。」
「せやろー、ここで並んでええんか分からへんねー。」
しかし全席指定席ののぞみ(700系)が到着すると列の半分の人数がそれに乗り込んだ。オバちゃんたちはそれを見て「やった!ラッキー!!」と喜んだ。そして、次のひかり(300系)には列の全員が座ることが出来た。

ところがよく見ると、我輩が座った車両は禁煙席ではないことに気付いた。せっかく、揺れの多い先頭車両を避けて乗ったつもりだったが、今年も同じ失敗をするとは・・・。

12時10分、ひかりは激しい風雨の中を定刻通り発車した。
ただ、1時間半ほど走ると風雨は止み、雲が切れて陽が射してきた。台風とすれ違ったらしい。

小倉駅へは18時に到着。
天気はとても良かった。母親のいるマンションまで行き、その後2人でリバーウォークと小倉城に行った。




小倉もすっかり変わっていた。玉屋は消え、市役所は移転し、ダイエーは別の形になっていた。小倉もいずれ我輩の記憶の姿とは全く別の街となり、元の街は姿を消す。その前に、写真に残しておきたい。


●8月10日(日)

朝起きると、雲一つ無い快晴だった。
この日は平尾台に行くことにした。青空と緑の草と白い石灰岩がよく映えると思った。

前回平尾台へ行った時はバスが運行されていたが、今回そのルートの路線バスは廃止されており利用出来ないようだ。インターネットで調べると、小倉駅から日田彦山線で石原町駅まで行けば、乗り合いタクシーで平尾台まで登れることが判った。
早速、小倉駅へ向かった。

駅のホームに着くと、ディーゼルカーはまだ来ていなかった。
汗を拭いたハンカチで扇いでいると、近くにいた初老のオバさんが近付き、持っていたウチワを差し出した。
「駅前でもらったんですけど、もし良かったらいりますか?」
我輩は自分の荷物を見た。
「あ、すいません、荷物が・・・。」
「あー、荷物が増えますね。」
お互い笑顔で返した。他意の無い良い笑顔だった。

そのうち2両編成のディーゼルカーが到着しそれに乗り込んだ。
ガガガガーとエンジンが呻りを上げて発車。のどかな風景の中、20分ほど走り石原町駅に到着した。


小倉駅で声を掛けてきたオバさんもこの駅で降りており、駅の待合室で目が合うと互いに笑顔で会釈した。オバさんはその後、待合室のイスにウチワを置いて駅から立ち去った。



乗り合いタクシーが来るまで時間があったため、持参したパンを食べた。
ついでにカバンの中を探ると、ポケットティッシュが入っていた。自分で入れた記憶が無いため、恐らくカバンをくれた営業の者が入れていたのだろう。しょうがないな。

駅長殿に訊くと、乗り合いタクシーはバスがやってくるとのこと。マイクロバスのことだろうか?しかし実際に来てみると、それはワンボックスカーを改造して座席を増やした車だった。乗客はすでに4人乗っていた。
車は平尾台へ向けて出発した。途中の停留所では誰も乗ってこなかったため、ほとんどノンストップで到着。料金は400円であった。



さて、どこから撮影しようかと見回した。
以前、千仏鍾乳洞で痛い目を見たので、あそこはやめておく。カメラバックを持って入るような場所ではない。
とりあえず、羊群原(ようぐんばる)を見に行くか。遠くに見える山を目指し歩いて行った。


2キロメートルほど歩くと、脇の小道から麦わら帽子と無線機を持ったオイちゃんが現れ、すれ違いざまに「コンチワー」と声を掛けた。我輩も同様に「コンチワー」と応えた。
よく見ると、その小道は山頂に向かっているようだった。早速その道に入り、先へ進んでみた。
山は近くに見えるのだが、その分、道の傾斜が急角度となり登るのが大変である。下りる時に難儀すると思われるが、今さら引き返すわけにもいかず、平坦な場所に出るまで一気に掛け登った。

そこは、山の中腹辺りで、山頂が間近に見える。しかしさすがの我輩も息が切れ、石灰岩の上に腰掛け少し休んだ。近くに看板があり、それによればこの辺りでは牛の放牧を行っているとのこと。あらためて見渡してみるが、それらしき姿は無い。
500ミリリットルのペットボトルの麦茶が残り少ないことに気付いたので、この先が心配だ。
直射日光が非常に強く、汗がボタボタ落ち、首から提げたNew MAMIYA-6に滴り落ちてヒヤリとする。すぐにハンカチで拭くが、そのハンカチも濡れ雑巾状態。カメラ内部に染み込まなければ良いのだが・・・。

少し落ち着いたので、辺りを魚眼撮影しようかと魚眼カメラを手にした。何かの拍子に、レンズ表面に思い切り触れてしまった。見ると、汗に濡れた手の痕がクッキリと付いている。これでは撮影に支障をきたす。まずいな・・・。
ハンカチで拭こうにも、濡れ雑巾状態ではそれも出来ぬ。ティッシュなどがあれば良いのだが・・・、そう言えばポケットティッシュがあったな。
先ほどカバンの中で見付けたポケットティッシュを取り出し、レンズ表面を拭いた。紙粉は残ったが、一応キレイになった。助かった。

その後、山頂を目指して登り始めたが、これがまたキツイ。麦茶も飲み干し、これ以上登ろうとすれば脱水状態になり危険と判断した。水さえあれば、目の前の山頂までは行けただろうが。残念。
近くに休憩するためのイスとテーブルがあったが、直射日光で熱く焼けており座れない。


元来た道を辿って急角度を慎重に下りた。何度も足を滑らせそうになったが、何とかもちこたえた。台風が降らせた雨で土がゆるい。
しばらく進むと、いきなり変な声がした。何かの動物か?牛の声か?
気にせず進み、小道の入り口が見える場所まで来た。するとそこには、軽トラックと先ほど挨拶したオイちゃんがおり、こちらの方に向かってメガホンマイクで叫んでいた。
「こい!出てこい!出てこーい!」
声が松崎しげるに似ている。
小道を抜け、オイちゃんの後ろを通り過ぎて振り返ってみると、オイちゃんは平尾台の山に向かって叫び続けている。
「こい!出てこい!!」
まるで、銀行に立てこもっている強盗犯に呼びかけている警察のようだった。恐らく、放牧中の牛に対して叫んでいるのだろう。

さて、水分の補給のために急いで売店のある場所(乗り合いタクシーを下りた場所)まで戻ることにする。途中、ブロニカ645を持った中年夫婦とすれ違ったが、その直後おもしろい形の石灰岩を見付けたので、小道を探して草原の中に入ってみた。先ほどの夫婦は景色を撮っているようだが、我輩は石灰岩と浸食地形を撮ろうとしている。岩を間近で撮らなければ、わざわざ平尾台に来た意味が無い。
それらの岩は雨水に浸食され、いくつもの溝を作っていた。


一通りの撮影が終わったため、最後に岩の上に登って魚眼写真を撮ろうと思った。岩はかなり登りにくいが、勢いをつけて登った。すると、首から提げていたNew MAMIYA-6が振り子運動で岩に激突して裏ブタが少し開いた。それと同時に、何か四角いものが「カラーン!!」を金属音を響かせて落下した。急いで裏ブタを閉めると正常にロックされた。
・・・さっきの四角いのは何だ?岩と雑草の陰に隠れて上から見えない。
とりあえず魚眼撮影を済ませ、心を落ち着かせて岩の下の方を探した。その四角い物とは、フィルム圧板であった・・・。
見ると、固定していた2つのネジが無い。雑草を掻き分けて土の上を探すと、ネジが1つ落ちているのを発見した。近くには小さなハシリグモがいて我輩が手を伸ばすとどこかへ逃げて行った。
ネジは頭だけだった。岩への激突の衝撃で、ネジの頭だけが千切れたらしい。どう考えても、撮影続行は不可能である。くそっ!なんてことだ!
しかしその時点で撮りたいものは撮ったと思う。裏ブタが開いていても、2コマくらいの犠牲で、撮影済み部分は巻かれているため影響無い。

ふと後ろを見ると、先ほどの中年夫婦のうち奥さんのほうが我輩のいる草原に入り込んでいるのが見えた。どうやら、我輩が入り込んでいるのを見て引き返してきたらしい。だがここからの風景はあまり良くない。我輩のように岩石そのものに興味が無くては、ここに来ても無駄足だろう。

帰り道、ちょっと良い風景があったので立ち止まった。ハーフサイズのオリンパスPEN-FTで撮った。しかし、中判でも撮れないかと思い、フィルム圧板の取れたNew MAMIYA-6にフィルムを装填し、圧板をその上に乗せて慎重に裏ブタを閉めた。フィルムは正常に送られているように見えた。問題はピント精度だが、これは現像してみるまで分からない。とりあえず撮影はしておいた。

帰りは同じく乗り合いタクシーに乗る。
この日は小倉へは戻らず、祖父母のいる自分が育った実家へ帰る。
14時30分に間に合わなかったため、次の15時40分まで待たねばならない。その間に水分を補給した。500ミリリットルのペットボトル2本の水分が身体の中に入った。これでしばらくは保つ。

見ると、バイクのツーリングで来た者たちが多くいた。
バイクで来るのは悪くないが、エンジン音をもう少し小さくして欲しいと思う。先ほど登った山頂付近でも、バイクの爆音が下からひっきりなしに聞こえて落ち着かなかった。静かな自然とは程遠い。
車も同様だが、自然の地を訪れるのに何の必要があるのか。「自然を体験したいが楽はしたい」というわがままな発想が見られる。それだから路線バスも廃止されてしまうのだ。
見ていると、車やバイクで入れない場所まではほとんどの人間は行こうとしない。この先にこそ自然があるというのに。
しかしまあ、あまり思慮の無い人間が無闇に入り込んでゴミを散らかすことになっても困るな。こういう場所でタバコを吸っているのを見ると、「バカだから仕方無いか」という感想しか無い。

さて、乗り合いタクシーが来てそれに乗り込んだ。石原町駅まで行き、そこから日田彦山線で城野駅へ。そして日豊本線に乗り換えて行橋駅で降りた。
行橋駅からバスに乗るのだが、そのバスも廃止されていた。これは元々西鉄であったが、その後京筑交通へ移管され、今ではタクシー会社のバスが運行されているのである。まさに平尾台と同じ。
やはりここでも1時間近く待って、やっとバスに乗ることが出来た。
実家ではすぐに風呂に入ったが、日焼けが強くヒリヒリして大変だった。


次の日も撮影を考えていたが、この日以降雨が続き、これといった撮影は出来なかった。特に11日は雷雨が激烈で、屋根が雨漏りするほど。近所に2度落雷したようだった。
残念ながら、撮影に関する日記はこれで終えるしか無い。

※掲載写真は、容量節約のため極小サイズとした。