昔々、大分別府の熱泉噴出地帯は「地獄」と呼ばれ恐れられていた。至る所で噴気が昇りグツグツと湯が沸き立つその光景。それはまさに、地獄絵に見るような光景として感じられたろう。
現在はその名残りとして、温泉噴出口は「地獄」と呼ばれている。
地下熱水が触れる地層の種類により、赤や青などの様々な色を呈する地獄。地獄の見本市の名に相応しく、見る者を飽きさせない。
●前準備
さて今回、長期休暇の撮影目標は、別府地獄巡りで知られる「龍巻地獄(間欠泉)」、「血の池地獄」、「白池地獄」、「金竜地獄」、「鬼山地獄」、「山地獄」、「海地獄」、「坊主地獄」の8ヵ所。となると、必要フィルム本数はどれくらいか。
120フィルムは、6x6サイズでは12枚撮りとなる。もし1カットにつき平均3枚の段階露出を行うとすれば、1本のフィルムでは4シーンしか撮影出来ない。仮に、地獄1つにフィルムを5本割り当てるとするなら、単純計算で40本必要か。手に入りにくいフィルムであるから、多めに60本用意した。それだけでもそこそこの重量になる。
さて、人の少ない平日に撮影を行う計画であるから、まずは日曜日である6月9日に新幹線で小倉へ向かうことにした。そしてそのついでに、新大阪駅で途中下車して1ヶ月後に撤去されるという大阪万博エキスポタワーを撮影しようと目論んだ。太陽の塔も撮るつもりである。'70年代フリークとしては、これは外せない。
今回の撮影では、移動時間を除いた3日間を撮影に割り当てている。
別府地獄巡り自体は1日あれば撮影可能であるが、天候に左右される撮影であるから、一応、予備日を2日間としている。もし順調に1日で撮り切れれば、あとの2日間は平尾台カルスト地形の撮影に使ってもいい。
●移動日
出発予定の日曜日の朝、目覚まし時計の音で起きると、時間は午前7時だった。安心した。これならばエキスポタワーに寄る時間がある。安心したら、フッと意識が遠退いた。
次に目が覚めると、もはや午前9時半だった。焦った。まだ準備さえ完全ではないのだから、家を出るまでに1時間半は掛かろう。
この日はエキスポタワーを諦めた。帰りに途中下車するしか無い。
さて、撮影に必要な機材は以前
秩父鉄道撮影した時とほぼ同じ。ただし、フィルムが手に入る場所が未確認な為、多めに60本持って行くことにした。以前のように弾切れになると、今度は本当に取り返しがつかぬ。
着替えやら何やら細かいものが多いため、それだけのフィルムを入れるとカバンがかなり膨らむ。そして重さもバカにならない。
他にも、車中で食すためのサンドイッチを作ったり、茶を用意したりと時間が掛かり、結局家を出たのは昼近く。
新幹線は東京駅から乗るため自由席でも必ず座れるので良いのだが、気が急いていたためか間違えて喫煙車両に乗ってしまい、かと言って今さら席を明け渡すことも出来ず、小倉までの6時間はグッタリとした状態だった。
●撮影1日目
さて、次の日の撮影日は快晴。
「これは良い撮影になるな」と心躍る心境だった。
小倉駅から特急ソニックに乗ろうとしたが、毎度のことながら狙った列車には乗り遅れ、1時間遅れの出発となってしまった。
その1時間は小倉駅を撮影したり、ホームに停まっている列車を撮ったりして暇を潰した。余談だが、JR九州の車両は斬新なデザインのものが多いと感ずる。「特急ソニック」はもちろん、「コミュータートレイン(通勤型)」などもなかなかSF的で、特に「特急カモメ」は「銀河鉄道999」に登場する最新型ローカル列車のような雰囲気を感じた。
途中、打ち合わせか何かだろうか、スタッフらしき1人が「ナオミ!ナオーミ!」と誰かを呼んでいる。すると、日本人の小柄な女性が走り寄り、通訳を始めた。ナオミの話によると、どうやらその金髪野郎はメキシコで有名なコメディアンらしい。ワールドカップの取材の一環として、別府の地獄巡りの紹介をしているそうだ。
まあ、取材とは言ってもこちらも金を払って海地獄を観覧している。あちらが邪魔だと主張するならば、こちらも邪魔だと主張したい。
しかし我輩は、おとなしくベンチに座って待つことにした。持ってきた弁当など食べながら見ていたが、テレビクルーというのはどの国でも自分勝手だな。他の観覧者たちの流れを遮って取材を続けている。しかも金髪野郎のカットがなかなか納得行かないらしく、30回以上も撮り直しをしているのが正直ムカついた。コイツらを写真に入れるのは死んでも避けたい(デジタルカメラのほうには収めたが)。
待っている時間を他の地獄で撮影したかったのだが、せっかく海地獄の入場料を払っているのがムダになる。
2時間半後、やっと撮影クルーの撤収が始まった。近くに設置してあったパラボラアンテナも解体されて撮影機材とともに運ばれて行った。
「やれやれ、やっと撮影が出来る。」
我輩はデジタルカメラで露出を測り、入射光式露出計で最終確認をした。そして、お待ちかねのNewマミヤ6を構えてピント調整をしている時、ビデオカメラを担いだ野郎がフレーム内に入ってきた。そいつは、あろうことか我輩がカメラを構えている真ん前で我輩と同じアングルでビデオ撮影を始めた。まるで、「おっと、撮り忘れたカットがあった」とでも言うかのように。
人が撮影している前で割り込んで撮影を始めるというのは、悪行以外の何ものでも無い。思わずソイツのケツを蹴り飛ばしそうになったが、国際問題に発展すると面倒なので、上げた片足を静かに下ろした。
そもそもテレビ撮影クルーというのは、どうも「自分の仕事が全てに優先する」と勘違いしているようだ。昔(独身時代)、池袋や渋谷で遭遇した撮影クルーでも、その図々しさは度を超していた。いきなりカメラを向け、くだらないクイズを出してくる。我輩は女性と歩いているところをテレビ放送されたくなかったので、「何を勝手に撮影するか」と言うと「バラエティ番組の撮影です」と今更ながらに言う。そういうことは撮る前に言え。「名刺を渡せ」と言っても「持っていない」と逃げる。おまえら、我輩がノリを合わせて応対するとでも思ったか?カメラを向けられれば愛想笑いの1つでもすると思ったか?
結局その場面は、放送しないという口約束させるだけで終わった。
・・・閑話休題。
結局、この海地獄だけで3時間近くの時間を浪費した。
急いで撮影を済ませ、次の目的地を目指す。
最後は、泥を噴き出す「坊主地獄」。
暑い日差しの中、坂道を上って行く。先ほどの待ち時間が精神的に影響を与え、何でもない坂道が非常に重い。まさか、次の坊主地獄でもテレビ撮影クルーが待ち伏せして我輩に嫌がらせをしようと企んでいるのでは・・・?
しかし、それは杞憂だった。我輩の他に観光客は2〜3人しかおらず、少し待っているだけで視界から人がいなくなる。この調子では、15分もあれば撮影が終わろう。あとはバスで駅まで戻り、いつでも撮ることの出来る「別府タワー」でも撮影するか。
そんな時、カメラバックの底を探る手に触れるフィルムの少なさに気付いた。最初、10本入りのカートンが他にあると思っていたのだが、よくよく探してみると、本当にフィルムがあと数本しか無いではないか。そこでハッと気付いた。
「しまった、雨天での撮影分が今日の撮影分とダブってたのを忘れていた。」
ムダだと思いながらも雨天で撮影した分、フィルムを余分に消費していたのである。
「ウーム、別府タワーの撮影はいつでも良いのだから、大阪の撮影のために今回は止めておくか。しかし、今止めたところでフィルム1〜2本節約するくらいにしかならぬ・・・。」
暫く悩んだ末、別府タワーの撮影は予定通り行い、足りないフィルムについては小倉で調達することにした。さすがに、北九州の中心都市小倉ならばフィルム入手は問題無かろう。
別府タワー撮影後、我輩は別府から特急ソニックに乗り、小倉に向かった。
席は空いており、2人掛けシートに一人座り、車窓から見える青い空を眺めながら「今頃、会社の同僚は仕事をしているかなあ」などとボンヤリ考えたりした。
それにしても、小さなハプニングが続いたことにより、事前の覚悟を上回る疲労があった。
別府での撮影が終わったということで、多少、気も抜けていた。
次の日は万博記念公園での撮影が待っている。こんな気持ちで、果たして途中下車して撮影することが出来るだろうか・・・。