現在所有機
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Nikon F3H −保存版−
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未使用中古。2000年7月1日、銀座「ニコンハウス」にて購入。税込み62万円。今しか手に入らないモノは、今手に入れる他ない、という気持ちで購入した。13コマ/秒の超絶性能を持った、カスタムF3である。 (BODY NO.9600824)
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Nikon F3P −保存版−
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新品。1993年8月24日、中野「フジヤカメラセカンズ店」で購入。\155,800。その後F3リミテッドが発売されたが、仕様がF3Pと全く同じだったため、それには興味が無かった。 (BODY NO.9025494)
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Nikon F3/T(白) −保存版−
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中古。1993年7月11日、目黒「三宝カメラ」にて購入。\130,000。最初は使うために手に入れたが、あまりに程度が良いため、そのまま永久保存とした。 (BODY NO.8216001)
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Nikon F3/T(黒) −保存版−
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新品。1993年6月23日、「ヨドバシカメラ上野店」で購入。F3の中でも、チタン外装のカメラは押さえておく必要があった。我輩の持っているカメラの中で、一番最後に壊れるカメラかも知れぬ。 (BODY NO.8522563)
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Nikon F3HP −保存版−
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新品。1993年2月7日、「ヨドバシカメラ新宿西口本店」で購入。\119,200。F3ファミリーの中で、一番の基本形であるため購入した。本来の基本形であるF3アイレベルを購入しなかったのは、ファインダーのみで別購入したからだ。アイレベルファインダーはこのボディに装着することが前提となる。 (BODY NO.1936358)
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Nikon F3HP −保存版−
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新品。2001年1月16日、F3生産終了後しばらく経って「タナカカメラ」で在庫新品を購入。\140,000。「保存版」とは言っているが、カメラ1台分のスペアパーツという位置付けである。メーカーでも部品が無くなった時初めて真価を発揮する。ちなみに底プレートには、他のF3には無い「CEマーク」が入っている。 (BODY NO.1991607)
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Nikon F3/T(白)
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中古。中野「フジヤカメラセカンズ店」で購入。実際に使うためのF3/T(白)が欲しくなり、購入に至った。写欲の湧くカメラだ。 (BODY NO.8203038)
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Nikon F3Limited
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中古。金に困った知人から買い叩いた。ゴムに覆われたシャッターボタンが馴染めず、モータードライブに乗せて使っている。現在は緑色のハンマートーンにペイントされている。 (BODY NO.9516812)
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Nikon FG(白)
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中古。1997年6月19日、銀座「レモン社」にて3万円で購入。旅行用にと、小さく軽いニコンを探していたが、EMではマニュアル露出が出来ず、その代わりにFGに決めた。 (BODY NO.8699886)
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Nikomat EL(黒) −保存版−
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中古。1993年8月30日、中野「フジヤカメラセカンズ店」で購入。\20,000。かなり程度が良いため、保存用とした。中身はともかく、この年代のカメラがピカピカの状態で出てくるというのは珍しい。モルトプレーンはダメだが、スリキズなどは見あたらない。 (BODY NO.5524355)
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Canon AE-1P(黒)
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中古。2002年12月24日にインターネットのオークションにて購入。中古でありながら新品同様。手放してもやはり行き着くのはAE-1Pであった。 (BODY NO.3114125)
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Canon AE-1P(白)
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中古。2007年11月10日にインターネットのオークションにて購入。中古でありながら新品同様。 (BODY NO.3495090)
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Canon AE-1P(黒)
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中古。インターネットのオークションにて購入。保存用とは別に、これは実用として手に入れた。 (BODY NO.3236605)
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Canon EF
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中古。旧Canon F-1のスタイルに似たところが高級感があった。中学生の時、町の小さなカメラ屋で中古として陳列されていたEFがとても心に残っていた。 (BODY NO.293797)
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Canon FTb(白)
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中古。中野「フジヤカメラセカンズ店」で購入。6千円くらいだった。一眼レフに触れたことのない子供時代、雑誌などに載っていたこのカメラが我輩にとって一眼レフの良い見本だった(素のカメラとして)。 (BODY NO.197649)
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Canon EOS630
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中古。ヤフーのオークションにて、28-80mmの安いレンズと共に\19,000で購入。気になるシャッター幕は交換済みであり、末永く使える。評価測光と自動段階露出と組合せ、サブマシンガン的に使うカメラである。(参考:雑文262) (BODY NO.2301229)
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PENTAX LX −保存版−
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新品。新宿「マップカメラ」にて購入。別売りグリップによる指掛かりが良く、とてもホールディングしやすい。操作感も素晴らしく、システムさえ揃っていれば実戦で使いたいカメラだ。ご存知の通り、ペンタックスのMFレンズは壊滅状態。中古で済ませるくらいなら、わざわざLXは使わない。
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PENTAX KX(黒)
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中古。1992年10月4日、中野「フジヤカメラセカンズ店」で購入。\5,000。ジャンクのワゴンの中から拾い出した。1/1000秒が使えない。 (BODY NO.8259419)
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KONICA FT-A(白)
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中古。1992年7月20日、中野「フジヤカメラセカンズ店」で購入。標準レンズ共\16,000。誰も持っていないようなカメラが欲しかった時期に手に入れた。 (BODY NO.130625)
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OLYMPUS OM-4
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中古。新宿「マップカメラ」のネット販売で購入。購入価格は20,000円。マルチスポット測光の出来る露出計として使用するために入手した。節電タイプの後期型ではない。 (BODY NO. )
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OLYMPUS OM-4 Ti(白)
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中古。インターネットオークションにて50mmマクロレンズと共に31,500円で入手。OM-4のサブカメラとして購入。 (BODY NO. )
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FUJICA ST-605II
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中古。秋葉原「カメラのにっしん」で購入。我輩が初めて一眼レフに触れたのは、中学時代のことだった。中学校には備品としてカメラが1台あり、それはFUJICA ST-801だった。中古屋でST-605を見たとき、その時の感動が蘇ってきた。初めてファインダーを覗いた時の新鮮な気持ち。その時の感動がこのカメラに入っている。機種は少し違うのだが、昔のぼやけた記憶はそんな細かいところまでは気にしなかった。写真に迷いを感じた時、このカメラのファインダーを覗くと、かなり救われる。 (BODY NO.2080018)
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MINOLTA α-9xi
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中古。2004年5月、インターネットオークションにて\20,000で入手。非常に程度の良い状態であった。xiシリーズは思い通りの操作を行うという視点で見ると、操作性は劣悪。しかしカメラ任せにするというスタンスであれば、これほどシンプルに扱えるカメラも無い。特にこの9xiは基本性能がさすがにフラッグシップで、シャッターの切れなど格別。しかし後日、絞り機構が不調で引退。 (BODY NO.11302550 )
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MINOLTA α-707si
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中古。2004年6月15日、新宿マップカメラにて\17,640で入手。秒間3コマとシャッターのテンポは非常に悪いが、トレッキング用軽量AFカメラとして購入した。アイスタート機能をONにして使えばAFのもたつきが気にならない。 (BODY NO.61601856 )
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MINOLTA α-707si
画像は後日掲載予定
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中古。2007年11月11日、インターネットオークションにて\16,000で入手。α-707siが意外にも登山で有用であることが判明したため、バックアップにもう一台必要だと思った。何しろこのカメラも絶版なのだ。この個体は未使用とのことだったが、実際に手元に届くまでは半信半疑だった。しかし、外見の様子からも、そしてシャッターにカバーがかけられていたことからも未使用であろうと思われた。 (BODY NO. )
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MINOLTA α-9000
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中古。中野「フジヤカメラセカンズ店」で購入。α-7000と同じ時期(発売はα-7000が先だが)に作られたAFカメラであり、AF速度はかなり遅い。しかし、初めてα-7000を触ったときの感動が、このα-9000によって蘇った。手巻きでコンパクトなボディというのがなかなか良い。液晶表示であることも許せてしまう。液晶漏れの多いカメラで、どの中古を見ても、当たり前のように液晶漏れを起こしている。そのうちこのカメラも同じようになるだろう。さんざん迷ったあげくに購入したカメラだが、買って良かったと思っている。 (BODY NO.14108741)
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ZENZABRONICA SQ
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中古。1993年12月2日、中野「フジヤカメラセカンズ店」で購入。フィルムホルダー共\38,000。6×6判は二眼レフで使ったことがあったが、やはり一眼レフで使いたくなった。しかしレンズがべらぼうに高く、ボディのほうは中古で安く済ませた。 (BODY NO.1100275)
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ZENZABRONICA SQ-Ai
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新品。「ヨドバシカメラ上野店」で購入。中古SQはシャッターの安定が悪いので、新品も押さえておこうと思った。
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Kiev 88CM
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新品。ロシア製66判一眼レフカメラ。「zodiac 30mm F3.5魚眼」、「HARTBLEI Super-Rotator 45mm F3.5」などを使用するためのボディ。
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New MAMIYA-6
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中古。さらにコンパクトな6×6判が欲しく、このカメラを選んだ。実にスマートだ。
(SLRではないが特別に掲載)
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New MAMIYA-6
画像は後日掲載予定
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中古。にししなカメラにて通販購入。1台目のNew MAMIYA-6の使用頻度が高まり、これをサブカメラとして追加。生産終了品のため、これくらいの措置は必要。
(SLRではないが特別に掲載)
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FUJI GA645Wi
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中古。2003年10月20日、チャンプたまプラーザ店にて購入。645判は作品作りとしては参画させずあくまで66判オンリーとするが、それでも記念撮影程度の用途としてフルオート中判カメラが必要だった。35mm判の代替という位置付け。
(BODY NO.4080130)
(SLRではないが特別に掲載)
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自作66判カメラ(全周魚眼)
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中判カメラ用の全周魚眼レンズは現存しないため、専用カメラを自作することにした。
シャッターはコパル製の3番、レンズはシグマ15mmニコンマウント、フィルムホルダーはブロニカ66用のものを使用。
(SLRではないが特別に掲載)
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単体露出計
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4台ほど買ったが、最初に買った1台はストロボ光が測光できない安価な機種であったため、職場の人間に譲渡した。ここにある小さい露出計は携帯用としての位置付けであるが、大きい露出計が2台もあるのは単に世代交代の結果。
(SLRではないが特別に掲載)
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今は手放したが、過去に持っていたもの
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Nikon FA (売却)
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中古。ヤフーのオークションでモータードライブMA-15と共に7万5千円で手に入れた。ほぼ新品同様で、シャッターの鳴きやモルトプレンの劣化、傷などは見られない。モータードライブ装着F3のサブカメラとして購入。 (BODY NO.5701178)
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OLYMPUS PEN-FT (売却)
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中古。銀座「三共カメラ」にて購入。子供の頃、図鑑に載っていたカメラだった。当時、祖父のキヤノネット(レンズシャッターカメラ)しか見たことが無く、子供心に「図鑑のカメラは覗き穴が無い」と不思議に思ったものだった。後日、これが一眼レフで、撮影レンズを通った映像をファインダーで見ることができると知った時、軽い感動を覚えた。しかし、2004年01月にデジタルカメラ「Nikon COOLSCAN5400」を購入するための資金としてインターネットオークションにて売却。 (BODY NO.294655)
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Canon AE-1P(黒) (売却)
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中古。秋葉原「カメラのにっしん」にて購入。カメラ店では、シャッターの鳴きは無かったのだが、購入後しばらくして鳴き現象が現れるようになった。購入動機は、「懐かしさ」の一言。ただし、2002年12月8日、金策のためモータードライブとNewFD50mmF1.8レンズとともに売却。 (BODY NO.2175442)
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Kiev 6C (売却)
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中古。ロシア製66判一眼レフカメラ。
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KOWA SIX (売却)
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中古。コンパクトな66判が欲しかったため購入したのだが、金属の塊であるため重量感はある。交換レンズを揃えることが出来ず稼働率が低下。不具合点もあるため、2002年12月4日、インターネットオークションにて\31,000で売却。
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Nikon F3HP (売却)
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中古。1992年12月13日、目黒「三宝カメラ」で購入。ボディのみ\79,000。F3は、中学生の時に発売された最新テクノロジーを駆使したカメラだった。当然、我輩の憧れだった。しかし、経済的な理由から、キヤノンを選び、そのうちAF最新カメラを使うようになった。社会人になり、多少の金を工面できるようになっても、AFシステムを充実させることを優先させた。「今さら機能の劣るカメラを使うこともあるまい」と思ったのも事実だ。しかし、ふと立ち寄った中古カメラ屋でF3を買ってしまった。魔が差したとしか言いようが無い。この日を境に、我輩はダイヤル式カメラの偉大さを知るようになった。このカメラこそ、今の我輩の原点なのだ。しかしその後、中判カメラとそのシステム拡充のため、やむなく売却した。 (BODY NO.1918949)
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Nikon F3/T(白) (売却)
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中古。1993年11月19日、中野「フジヤカメラセカンズ店」で購入。ボディのみ\108,000。F3HPのサブカメラとして使用。値段はおよそ9万円で、購入時点でキズがかなりあった。この頃は、あまり白ボディということに魅力を感じなかったが、2台のカメラを区別するという意味で、色の違うものが欲しかった。しかし、中判カメラの購入資金に充てられることとなる。 (BODY NO.8221254)
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Nikon F3HP (売却)
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中古。中判カメラを手に入れるために売却したF3だったが、中判を使う人間が35mmなど使うはずもないと思ったことも事実だった。しかし、手元を去ったF3は、我輩の心の中に何かを残した。それは小さなタネであり、我輩の心の中で芽を出し成長していった。いつしか、それは無視できないほど大きなものとなり、あらためてF3を欲する気持ちに気付かされた。これはその時に手に入れたカメラだ。つい最近、F3/T(白)を手に入れるために売却するまで、我輩の主力カメラだった。ちなみに、このサイトの表紙を飾っているF3がこのカメラ。
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Nikon F3HP (売却)
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新品。「ヨドバシカメラ上野店」で購入。しかしながら、2002年11月15日、ブロニカ魚眼レンズ購入のためにやむなくオークションで\100,000にて売却。 (BODY NO.1971007)
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Nikon FA GOLD (売却)
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中古。インターネットオークションで\131,000で手に入れた。しかし稼働率が低かったため、半年後に同じくオークションで\110,001にて手放した。 (BODY NO.2003408)
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Nikomat FT2 (売却)
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中古。我輩が最初に手に入れたニコンのカメラだ。レンズの露出計連動爪が単なる飾りではないことを教えてくれたカメラでもある。しかし、マウント基部にあるシャッターダイヤルには最後まで馴染めなかった。ミノルタα-7000を購入する際に売却。
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Nikomat EL(白) (譲渡)
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中古。1993年7月19日、中野「フジやカメラセカンズ店」で購入。ボディのみ\8,000。シャッターダイヤルが軍艦部にある安いニコンを探していた。その時に出会ったカメラだ。最初は電池室がどこにあるのか分からず苦労したが、我輩の鋭い目がミラー下の小さな矢印を見逃さなかった。変わったところに電池室があるカメラだ。
写真を始めたいという知人に、Ai-microNikkor55mmと共に譲渡した。 (BODY NO.5401497)
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Canon EOS630(黒) (売却)
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新品。1990年1月25日、松江「カメラのキタムラ学園通り店」で購入。ミノルタα-7700iから乗り換えた。電子ダイヤルが購入の決め手だ。秒間5コマの性能は素晴らしく、AEB機能もよく使った。液晶パネルを照らし出すブルーのEL照明(エレクトロ・ルミネッセンス)の光も美しい。 (BODY NO.2333709)
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Canon EOS620 (売却)
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中古。記憶には無いのだが、我輩の記録には記載されていたカメラ。 (BODY NO.1179361)
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Canon EOS620 (売却)
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中古。1992年5月17日、目黒「三宝カメラ」で購入。ボディのみ\27,000。EOS630のサブカメラとして導入したが、両者とも同じ外観なだけに、ちょっとした操作体系の違いで混乱させられた。 (BODY NO.1759255)
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Canon EOS630(黒) (売却)
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中古。1992年6月20日、中野「フジヤカメラセカンズ店」で購入。ボディのみ\34,000。EOS620の役不足を補うため。1台目のEOS630を購入した当時は、まだ新製品のため中古に出ていなかったのだ。 (BODY NO.2490028)
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Canon AE-1(黒) (譲渡)
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中古。我輩が最初に購入した一眼レフカメラ。さすがに交換レンズまでは買えず、虫眼鏡で自作したレンズを縛り付け、ネオパンFで撮影した。やっと50mmF1.8を買ったのは、その半年後である。我輩が中学生の時のことだ。
(掲載写真は別の個体)
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Canon AE-1P(黒) (売却)
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新品。中学生になると、カメラ好きの友人が身近に増えてくる。少しリッチなヤツは、キヤノンA-1などを持っていたりする。我輩はAE-1Pのデザインとシンプルさに惹かれ、購入した。そしてそのダイヤルの感触の良さに感動した。我輩はそれらAE-1Pの良さを、事あるごとにA-1野郎に紹介した。我輩の言葉があまりにも巧みだったためか、A-1を自慢していた野郎が、ある日「カメラ、交換する気ないか?」と持ちかけてくるようになった。バカもの、交換などするか。
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Canon AL-1(白) (売却)
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中古。大学時代、かなり金に困った友人から\3,000で買い叩いた。「電池室の蓋が壊れて使えない」ということだったが、はんだコテでプラスチックを整形すればキレイに治った。そのため翌日、カメラ屋に持っていくと2万円で売れた。それを聞いた友人はビックリしていた。 (BODY NO.1300340)
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MINOLTA α-7000 (売却)
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中古。時代はすでにα-7700iだったが、まだAFというものに触れていなかった我輩が、試しに買ってみた初めてのAFである。下取りとしてニコマートFT2とキヤノンNewFD100〜300mmF5.6を出したが、まだ足りず、店主を拝み倒して購入した。
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MINOLTA α-7700i (売却)
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新品。1989年4月14日、クォーツデートの無いものを探し回って、個人経営風カメラ店で購入。アップダウンレバーのピコピコ操作さえ無かったら、いいカメラだったのだが・・・。ハイテクカメラだという感触があったが、不思議にもα-Xiシリーズよりもハイテクだと感じた。 (BODY NO.18305143)
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MINOLTA α-7700i (売却)
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新品。1989年8月29日購入。1台目のα-7700iのサブカメラとして購入。 (BODY NO.15104637)
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MINOLTA α-3700i (売却)
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新品。1989年7月11日、松江「カメラの共栄」で購入。旅行用にと軽量カメラを購入したが、マニュアル露出が使えないのは痛かった。あまり長く手元になかった。 (BODY NO.22311035)
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TOPCON UNI (故障のため廃棄)
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中古。1992年10月18日、中野「フジやカメラセカンズ店」で購入。レンズ2本共\22,000。メカニズムの興味という視点で購入したカメラだ。レンズシャッター式の一眼レフというのはメカニズムの塊だ。よせばよかったが、ふとしたことで分解したため、二度と元の機能を取り戻すことは無かった。 (BODY NO.5403737)
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その他、友人知人に借りたことのあるカメラ
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Canon EOS7
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出向先にて購入したカメラ。購入したその足で自宅へ持ち帰り、試し撮りを行った。
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Nikon F4
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職場の人間に借りた。江ノ電CD-ROMを取材する時、同行した者の機材だった。彼はそれまでカメラをほとんど使ったことは無かったが、ある日突然、ニコンF4とF3リミテッドを2台同時に持参してきた。形から入る人間なのだ。その後、彼の景気は悪化し、F3リミテッドは我輩の所有物となる。そんな彼も、今ではそれなりのハイアマチュアだ(?)。
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Nikon F2
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コードネーム「クラッシャー・ジョウ」と呼ばれる高校時代の友人、そして大学時代に学内誌を編集している者から、それぞれ借りた。「クラッシャー・ジョウ」は、カメラに対する蘊蓄(うんちく)は我輩を凌駕し、F2の印象としてはヤツの言葉しか残っていない。大学に入ると、学内誌に使っているカメラということで、何となく「F2=報道写真」というイメージが強化された。
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Nikon F
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Nikon F4を所有している職場の人間の親父さんの遺品。その個体は未使用品で、巻き上げ感も新品時のものと思わせる切れを感じた。シャッターも適度な切れとマイルドさがあり、とても数十年前のカメラの感触だとは思えなかった。
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Nikon F801
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大学時代の友人に借りた。アクションカメラマンだったが、結構イイヤツで、我輩とはウマが合った。初めてニコンのAF機を触り、「ニコンも変わったな」と思ったものだ。
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Nikon FM2(黒)
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職場の人間に借りた。馬の写真が撮りたいという、競馬野郎だった。カメラを買いたいからとアドバイスを求められ、初心者ならとキヤノンEOS1000を薦めた。しかし、本格的なのがいいのだと、FM2を購入した。FM2を選ぶとは、我輩にアドバイスを求める以前に決めていたに違いない。フザけた野郎だ。
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Canon A-1
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中学時代の友人に借りた。これはA-1を自慢するヤツの所有物だったが、少し借りることが出来た。印象としては、「案外つまらん」。
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Canon F-1
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中学時代、皆で理科の教師をたぶらかしてF-1を中古で買わせた。この教師は新しモノ好きで、パソコン(NEC PC-8001)やワープロ、ビデオなども完備していた。一眼レフというだけで珍しく思えた当時、このF-1は途方もなく高級品に見えた。
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Canon NewF-1
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中学時代の友人に借りたのだが、もちろんそいつも中学生の時に持っていたのではない。お互い違う高校に進んだのだが、久しぶりに合った時に、その場で借りたのだ。
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PENTAX K2-DMD
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これは高校時代の友人に借りた。借りたとは言っても、そいつの目の前で何度か使っただけだが。 そいつは天文仲間のうちの1人だったが、コードネームは「クラッシャー・ジョウ」だった。本人はかっこいいと思っていた様子だったが、他の者たちは、ヤツを破壊魔として見ていた。これはほんの1つのエピソードだが、ある日数人で天体観測をやっていた。そこは田んぼの真ん中だった(もちろん刈り取り後の田んぼ)。そいつは愛用のK2-DMDを三脚にセットし、「おい、俺の三脚を倒すんじゃないぞ」と言って回った。そして用心のためか、倒れないように、ロッド式三脚の脚を少し地面にめり込ませておいたのだ。しばらくは静かに時が過ぎていった。しかし、いきなり闇をつんざく悲鳴が上がった。ヤツの声だ。懐中電灯で声の方向を照らすと、そいつと三脚が倒れていた。あろうことか、ヤツは自分で三脚を倒しやがったのだ。三脚の脚は地面にめり込んでいるため、無理な力が掛かったのか「く」の字に折れている。そしてご自慢のK2-DMDのペンタ部はヘコんでいた。哀れ、クラッシャー・ジョウ。これは、ヤツのエピソードの1つに過ぎぬ。
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PENTAX SP
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以前住んでいた埼玉県草加市にて、近所の床屋のオヤジに借りた。オヤジと我輩は同郷ということもあり、よく親しく写真の話などをしたものだった。ある日、「ウチのペンタックスが壊れてねえ」という話になった。話ついでにカメラを見せてもらい、そのまま借りてきた。壊れていたのは露出計だけであったため、「露出計無しで使えるよう自分を鍛えよ」と返した。そのオヤジ、カメラには金を掛けられないらしく、今でもそのカメラを使っているハズだ。今度、久しぶりに寄ってみるか。
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OLYMPUS OM-10
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高校時代の友人に借りた。そいつは特に写真が趣味というワケでもないが、たまに撮る程度だった。OM-10はその頃、安いシグマ製ズームレンズと組み合わせて売られていた。安い分、ステイタスなど微塵もなく、写真(カメラ)が好きな連中は絶対に手を出さなかったカメラだった。しかし、今その姿を見ると、なかなかシブくていいじゃないか。
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OLYMPUS OM-1
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中学時代の写真クラブの顧問教師に借りた。写真クラブとは言っても、学校にカメラなど高価な物を持ってくることは禁止されており、その教師のカメラを交代でシャッターを切るだけだった。そのカメラがOM-1だ。そのカメラにはミラー望遠が付けられており、初めて一眼レフで望遠レンズを覗いた。
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MAMIYA ZE QUARTZ
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中学時代の友人に借りた。この友人というのは悪い人間ではないのだが、結構トボけたヤツだった。ある日突然、「ワシ、F2買ったぞォ」と言ってきた。当時同じ中学だった、コードネーム「クラッシャー・ジョウ」は、「F2というのは、ニコンF2のことか?」と確認すると「そうだ」と言う。それでも信じられぬクラッシャー・ジョウは、自分のF2を見せ、「本当にこんな形だったのか」と念を押したが、「確かそんな形だった」と言うのだ。クラッシャー・ジョウと我輩は、「おまえがF2買うとは凄いな」などと言いながらそいつの家に行った。そこで見たものは、マミヤZEクオーツだった。「これのどこがF2なんだ?!」と詰め寄ると、「ほら、ここ。」と指さした先が、レンズの「F2.0」という刻印だった。そんな彼も、今では13歳の娘を持つ(2000年現在)。
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FUJICA ST-801
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中学校の備品を無断で1日借りた。スクリューマウントの非力なカメラなのだが、当時の我輩が初めて手にしたカメラで、そのファインダーの新鮮さは今でも忘れない。備品であるため、テプラの管理番号シールが貼られていたが、現在我輩が所有しているフジカST-605IIもテプラを貼って雰囲気を作っている。「初心忘るべからず」を感じさせるカメラだ。
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