これまで我輩は、業務でカタログ写真などは撮ったことはあるが、狭い業界内でのカタログであるため、一般人の目に触れることは無かった。しかし今回は、書店で並ぶ雑誌に写真が載ったのである。これまでと意味が異なる。しかも、コンテスト入賞写真などの「お客さん掲載」ではなく、特集記事に使われた「仕事掲載」なのだ。
要求仕様を満たし、採用された。
今回のことで、我輩は1つの感触を得た。
信念を曲げず自分のスタイルにこだわり続ければ、いつか何らかの形として成立する・・・と。
趣味で撮るからと、安易に妥協して信念を曲げてはならぬのだ。
雑誌紙面に掲載された他の写真をよく見れば、デジタルピクセルのジャギーが見えているものもあったが、絶対にあのようにはなりたくない。
それがメーカー支給の写真ならば「他に写真が無かったんだな」という程度で終わろうが、シロウトが撮った写真となれば「やっぱりシロウトの撮った写真だ」と言われるのがオチ。
今回の掲載理由を要約すれば、結局のところ「オマエが撮った写真だから欲しいのではなく、珍しいカメラが写っているから欲しいのだ」ということに尽きるが、我輩としてはそれを肯定するような写真にはしなかったつもりだ。
我輩は、何の役に立つかは分からないものの、とにかくクオリティを一定以上に保つ努力をしてきた。それは、写真の利用範囲を狭めぬための我輩の努力であった。
人に言わせると無駄とも言えるようなクオリティではあったが、それがここにきて思わぬところで役立ったのである。
クオリティの追求については、豚児写真でも同じことが言える。
我輩は、豚児写真を単なる子供の写真とは捉えていない。もちろん、自分自身のため、あるいは豚児のために撮っているという動機が第一であるが、それだけでも無い。
永い年月を経て豚児写真が発見された時、きちんと撮影した過去の風景を未来人に見せて感心させたい。
平成という時代の中に写る、1人の子供の写真記録。
我輩が、周囲の様子も写し込む広角レンズを好むということも、あながちそれと無関係ではなかろう。
「カメラなんかを写真に撮って何が面白いんだ?」
「個人で撮るならせいぜい四切プリントに足る情報量でいいんじゃないか?」
「ずっと先のことを考えても自分が死んだ後のことなんか意味無いだろ?」
今までこのようなセリフはよく聞かされた。
だが、これらの雑音に惑わされることは、自分の存在意義を否定するに等しい。
ましてや、自分の能力を卑下し、信念を貫けず、未来の可能性を最初から否定する人間はバカだ。
人は、何のために生きる?
100のうち99がムダに消えようとも、そのうち1でも努力が残れば良かろう。そういう可能性を信ずること、それが"信念"というもの。
自分が死に、存在が消えてしまった後でも、世界は変わらず存在し続ける。だから、現在地からは見えない先のことを想定して、他人から見ればムダにも思える努力やこだわりを追求することには充分に意味があろう。
もし、自分の中に何か信ずるものがあるならば、生半可な理屈に惑わされずに自分のやり方を一心不乱に貫け。
(2009.10.31追記)
「Nikon F3H」の写真で、レンズ絞り環のカニ爪の位置が正面の位置(F5.6の位置)になっていないことについて疑問の声があった。
この理由は、F3Hは常時絞り込み状態となるため、カニ爪が正面の位置(F5.6)ではレンズ内に絞り羽根が見えてしまうからである。
これについては過去に、「レンズに細工を施して開放状態とすべきだ」という意見や、「絞り羽根が見えても良い」という意見、そして「カニ爪位置がズレようとも開放としたほうが素直だ」という意見などがあった。
我輩としては、資料性を考えると有り得ない写真は撮るべきではないと判断し、細工することはしなかったのだが、絞り羽根が見えるほうを選ぶのか、あるいは見えないほうを選ぶのかは迷った。
結局、当時はレンズの映り込みの美しさに異常にこだわっていたため、絞り開放となることを優先させた。
しかしこのことは今でも悩むところ。
今さらながら、2パターンの写真を撮っておけば良かったとも思ったりもする。
今はもうF3Hも手元に無く、どうにもならない話であるが・・・。
(2010.01.07追記)
本雑文では、「雑誌に掲載されたぞ、どうだスゴイだろう」という気持ちも多少あることは否定しないが、やはりここで強調したいのは「他人に認められるかどうかという動機で写真を撮るな」という強いメッセージである。
純粋に、ただ自分自身が撮りたいと思う写真を撮ればそれでいい。パンチラ写真のように、たとえ誰一人理解する者がいなくても構わない。それが、我輩の撮影スタイルであり、自分が生きることの理由に近付く道でもあると信ずる。
(参考:雑文487/雑文586/雑文587/雑文588)
だがそういう生き方は理解されにくいがゆえに、我輩がいくら雑文で主張しようとも、それに賛同する者は非常に限られるという弱点があった。
そんな中、雑誌掲載という一つの形になったことで、我輩の言葉にも少しは説得力が生まれたと思う。
揺れ動く時代や流行へ自分を必死に合わせなくとも、一切の妥協を許さず融通が利かないほどの真っすぐささえあれば、いつか時代のほうから交差してくることもあるだろう。
「評価を気にせず進んで行けば、いずれ評価される」などと矛盾のある紹介だったかも知れないが、少なくとも、独自スタイルが決して報われぬ努力ではないということは示せたのではないか・・・?