2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[641] 2008年12月26日(金)
「我こそ高性能デジタルカメラが相応しい」

デジタルカメラの進化はビデオカメラ用CCDの25〜35万画素から始まり、現在では2,400万画素もの製品が出るまでになった。
ここまで来ると、もはやフィルムカメラ用として設計されたレンズの分解能では足らず、さらに高性能なレンズでなければその高画素数を活かすことが出来ない。

ウェブ上の掲示板などでは、「A3程度にプリントするならば2,000万画素以上あっても意味が無い」とか、「等倍表示して写真を鑑賞するのはナンセンス」という意見がよく出てくる。
確かにそういう意見は、芸術家の写す芸術写真には大いに当てはまることだろう。芸術写真は、全体を見渡すような鑑賞に意味がある。拡大表示で時間をかけて隅から隅までジッと見ていくものではない。

そういう意味では、我輩は芸術写真を撮る者たちを羨ましく思う。
なぜならば、我輩は2,000万画素以上の画素数、そして性能の良いレンズを必要とする写真を撮っているからだ。

我輩は、デジタルカメラを主にメモ用途(場合によっては露出計用途)として使ってきた。メモ用途の画像はプリントもせず使い捨てのようなものであるから、低性能カメラでも良さそうにも思う。実際、我輩自信もそのように考えていた。
ところが、メモ用途というのは意外に高性能を要求するということが分かってきた。それについて、下記3点にまとめてみた。

***

(1)色再現性
まず色再現性については、車のボディ色検討でも難儀させられたという話は雑文639「QP CARD」でも触れた。
また、火山地帯へ赴いた時には、岩石や火口湖の水の色など正確に記録したいと思う。自分のイメージに合うかどうかは重要ではない。自然が造り出した色をサンプルとしてそのまま持って帰りたいというのが撮影の動機の1つである(参考:雑文213「お持ち帰りの風景」)。

もちろん、正確な色再現はデジタル画像の入力から出力までをトータルに考えるカラーマネジメントを行う必要があるため、単純にカメラだけの問題だとは言い切れないのだが、素性の悪い画像データを調理するにはやはり苦労が伴うことも事実である。

(2)撮影レスポンス
メモ用途であるから、必要があるとすぐにカメラを向けてパシャパシャと撮れなければ困る。構図をあれこれウーンと考えるような芸術写真ではないのだから、スイッチを入れた瞬間に撮影可能で、シャッターボタンを押した瞬間に映像が取り込まれることが要求される。
我輩は車を運転する際、走り始めと走り終わりで走行距離メーターを撮影して記録するのだが、コンパクトデジタルカメラでは起動時のレンズ繰出しがまどろっこしい。サッと構えてパシャリと撮り、そしてすぐに走り出す。こんな芸当ができるのは一眼レフデジタルカメラくらいしかない。

(3)高画素数とそれに相応しい高性能レンズ
この項目は特に重要である。
雑文591「スキャンしないスキャナ(2)」でも書いたように、我輩にとって、今やデジタルカメラはドキュメントを取込むための機器でもある。いちいちパソコンを立ち上げなくとも、ワンショットでドキュメントをデジタル化出来るのだ。ドキュメントだけでなく、博物館などで掲示説明を写すことも非常に多い。
しかし画素数の不足や手ブレ、そしてレンズ収差による画像周辺の流れによって小さな文字が読み取れないこともある。

また、観光や見学などでその場の状況を写し取ろうと超広角レンズでとりあえず画に収めるような撮り方もする。そして後日、細部の情報が必要となれば、撮った写真を等倍表示して精査を行う。その際、ピクセルの粗さやレンズの収差にジャマされることなく情報を取り出すことが出来るかどうかが、メモ用途として重要となる。
以前、赤城山に行った際にもメモ撮影したが、帰宅後にどんな土産物を売っていたのか気になり、探してみると売店をメモ撮影していたものがあったため確認することが出来た。その時は、1,000万画素のありがたみを感じたことを思い出す。

他にも、蔵王のお釜で撮った「異星人による惑星探査装置」の件(参考:雑文445「蔵王のお釜(2)」)についても、もっと細かく解像出来るカメラであればムダに騒がず済んだに違いない。

昔は、デジタルカメラで撮影した画像は等倍で表示するのが当然だった。場合によっては拡大表示までして、ピクセルのマス目から情報を読み取ろうとした。それが画素数の増加につれてパソコンディスプレイの枠からハミ出し、その結果生まれた技能が「スクロール鑑賞」であった(参考:雑文559「スクロール鑑賞のすすめ」)。小さなウィンドウでスクロールした画像を脳内で再構築して1枚の映像を見るのは、デジタル時代に必要とされる最低限の能力のはず。

***

そういうわけで少々逆説的ではあるが、デジタル写真をメモとして位置付ける我輩にこそ、高性能デジタルカメラが相応しいと言わざるを得ない。
これまで、メインではないはずのデジタルカメラへの投入コストが、なぜか多いことにおかしいと思っていたところであった。自分自身の要求に一つ一つ応えていくと、どうしても高価な機材が必要となってしまっていたのである。それを今あらためて再認識することとなった。

我こそ、高性能デジタルカメラが相応しい。