2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[539] 2005年07月13日(水)
「あの時代のあの場所」

我輩が生まれ育った町を離れたのは、高校を卒業した時だった。あの頃は、故郷に対する意識は薄かった。
しかしながら、現在では故郷に対する想いは強い。

あの頃は、故郷はずっと変わらずにいることが当たり前のように感じていた。
しかし久しぶりに帰ってみると、存在するはずの景色が部分的ながらも姿を消していたりする。それは最初のうちはまだ良かったが、年々小さな変化は蓄積していき、さすがに我輩も「いつか故郷は全く姿を消してしまう時が来る」と気付いた・・・。


子供の頃の記憶は、その場所に強く結びついている。数年前帰省した時は町内を自転車で回ったのだが、当時の面影を残している所では我輩の記憶を強く呼び戻した。
子供の頃の記憶には、楽しかった想い出や悲しかった想い出が入り交じっていた。

もし、楽しかった時の想い出が無ければ、人は幸せを求めることは出来ないだろう。
「あの時は楽しかったなあ。また同じような想い出を作りたいなあ。」

もし、悲しかった時の想い出が無ければ、人は現在の幸せを実感出来ないだろう。
「あの時は悲しかったなあ。でも今は違うんだ。」

その両方の想い出がある故郷は、自分にとってかけがえのない原点(ものを測るための基準点)。
今の自分を知るには、故郷を原点として測り直さなければならない。しかしその故郷とは、変化する前の姿が望ましい。そうでなければ、記憶の結びつきが弱くなり、思い出すきっかけを失った弱い記憶は、いつか永久に脳から消え去るだろう。

だが、昔の写真などそんなに都合良く存在するものか・・・。
そう思っていたら、実は存在した。
以前雑文474「ステレオ調査」にて触れた国土情報ウェブマッピングシステム(国土交通省)の航空写真だが、そこに掲載されている写真は結構古い。

丹念に写真を眺めていくと、今では失われた風景が上空から捉えられていた。不思議なことに、上から撮った写真にも関わらず、その場所に降りて見ているかのような錯覚に陥る。その場所を知らぬ者には出来ぬことだろう。
断片的な記憶が、航空写真の上でプロットされ、そして、今まで思い出すことの無かった記憶さえも幾つか甦った。

我輩は、生まれて数年間は県営住宅の長屋に住んでいた。当時はその周辺が我輩の全世界だった。
その長屋はハッキリと航空写真に写っており、非常に懐かしく思えた。何よりも、そこに写っている長屋は我輩がまだ住んでいた頃のものである。家の前も、まだ舗装されていない砂利道のまま。
楽しい想い出と悲しい想い出があった、あの時代のあの場所。

子供の頃の風景は、普通のスナップ写真であれば、ごく限られた範囲しか残っていない。しかし、このような航空写真であれば全ての風景が収められており、写真上から道すじを色々と辿っていくと、いつか子供の頃の自分に出会うような気がする。


参考:
雑文167「我輩の子供時代の風景」
雑文438「今年の夏休み」