2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
 F3 (F3H)
 FM3A
 FM2
 FM
 FE2
 FE
 FA
 FG
 FM10
 FE10
 F4
 F-401X

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MINOLTA
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 XD

RICOH
 XR-7M II
 XR-8SUPER

カメラ雑文

[608] 2007年10月14日(日)
「2007年夏の帰省」

●はじめに

  • 今回、例年のように夏の帰省について雑文に書くが、あまり分割してタイトルが増えても意味が無く、長文となっても1つにまとめることにした。
  • 日頃書いている豚児日記をベースにカメラや撮影に関する記述を加えた文章のため、かなり冗長になっている。
  • カメラや撮影に関する記述については、区別し易くするためこのように着色した。
  • 文中に挿入された写真のうち、正方形のものは66判によるもの、それ以外はデジカメによるものである。

●事前計画

夏に入る前、我輩の母方の祖父が入院したという知らせが入った。膝を痛めたらしい。リハビリが必要なようだ。
夏に帰省するつもりのため、その時に病院に見舞いしようかと考えた。曾孫である豚児の顔でも見れば少しは元気も出よう。
(祖父については雑文448「祖父からの手紙」にも書いている。)

一方、父方の祖母にもまた会おうかと思った。元気でいるだろうか。父親の携帯電話にかけてみたが一向に通じない。
すると、数日後に父親から電話がかかってきた。最初、我輩のかけた電話でかけなおしてきたのかと思ったが、特にそういう感じではなかった。そう言えば、我輩が電話をかけたのは勤務先からだったため、我輩がかけたというのは分かるまい。
父親は、我輩に次のように言った。
「ばあちゃんがな、転んで骨折して入院しとるんよ。まあ歳が歳やし、ひょっとすると寝たきりになるかも分からんでのぉ、一応おまえには言っとこうと思うたんじゃ。」

しかも入院してから少しボケてきたとも言う。少し心配である。
イナカの年寄りは元気だとは言っても、もうどちらも90歳を越えておるから身体のどこかが悪くなっても不思議ではない。・・・そう言えば、偶然か両者とも同じ歳だった。

「今度九州に帰った時に、見舞いに行こうか。」我輩は父親にそう言った。
「帰る? 何しに帰るんじゃ?」父親はキョトンとした声で我輩に訊いた。
「ナニて・・・、そろそろ盆休みやからなぁ。」
「おお、そうか、もうそんな季節やったか。」

間の抜けた会話に、父親のほうこそ大丈夫なのかと思った。父親は元からそういう性格なのかも知れないが、どういう人間かあまり知らないので何とも言い難い(父親と同居していたのは我輩が幼い頃のみ)。
とりあえず、祖母の入院先を聞いておいた。


−登場人物の関係図−

さて、我輩の母親にも父方の祖母の入院の件について伝えた。
母親に対しては、大昔に離婚した父親のことについてを話すのは気が進まないのだが、帰省中は母親と共に行動することが多いと予想されることから、行動予定を立てるためにも今の段階で話しておこうと思った。そしてもし、母方の祖父と父方の祖母の入院している病院が近ければ、2人の見舞いに行こうかという話をした。

早速電話をかけて父方の祖母の話をしたところ、母親は我輩に指摘した。
「○×病院って・・・、2人とも同じ病院やん。」
「同じ? 2人とも同じ病院て・・・、あホントやわ・・・。」
我輩は別のことに気を取られていたのか、病院名を聞いておきながらも2人が同じ病院に入院していることに全く気付かなかった。

母方の祖父、父方の祖母。もう数十年も顔を会わせていない2人が、同じ時期に同じ病院で入院し、それぞれにリハビリをしているというのだから驚く・・・。そしてそのことを、恐らくは互いに知らないのだ。

まあ確かに田舎は病院の数は少ない。しかし逆に、田舎であるから街の大きな病院に出て入院することになる。街にはそれなりに病院があるため、2人が同じ病院に入るというのはやはり偶然であり必然ではない。
それにしても、この偶然のおかげで手間が省けた。同じ日に2人を見舞うのも大した苦労ではなくなったわけだ。

改めて、我輩は父親に電話をして見舞いに行く日程について話をした。そして最後に、その病院には母方の祖父(父親から見れば舅)も入院していることを言っておいた。

「あ、そうそう、ジイちゃんも○×病院に入院しとるらしいわ。」
「お?!・・・な、なんてや?(何と言った?)」父親の動揺が声に現れた。驚いとる驚いとる。
「ジイちゃんもな、同じとこに入院しとるんやわ。」
「・・・ほ、ほうかー。(そうかー)」

それ以上の言葉は無く、電話を終えた。しかし、父親の驚きは、我輩以上であったろう。


さて、肝心の移動方法についてそろそろ検討せねばならぬ。
去年の盆休みの帰省ではフェリーを利用した。一昨年のように快適な旅になるはずだったが、雑文581にも書いたとおり台風の影響により復路ではフェリー欠航となってしまい、1,000km以上の長距離運転を強いられた。長距離運転を回避するための方法だったはずが、却って長距離ドライブに追い込まれてしまったのは皮肉な話。
もちろん、運が悪かったのだとは思う。だから、今年の盆休みもフェリーを選択しても良かった。しかし何となくフェリーを選択する気持ちが煮えきらず、乗船予約開始日(乗船2ヶ月前)を迎えても何のアクションも起こせなかった。結果的に、帰省手段を1つ失うことになってしまったわけだが、ではどうやって帰ろう。新幹線か?

しかし、新幹線を使うと、バスの廃止された実家周辺での移動の問題がある。何も考えなければ、タクシーを使う以外に方法が無い。
(事実、車を持たぬ年寄りはタクシーが主な移動手段となっており、タクシー会社も乗合自動車を用意したりしている。)

ここで、今年のゴールデンウィークに独りで帰省したことを思い出した(参考:雑文600「ゴールデンウィーク独り旅」)。新幹線とレンタカーの利用は気楽であった。盆休みの帰省も、新幹線とレンタカーを使うことを考え始めた。
しかし最大の問題は荷物である。子連れ家族で帰省するとなると、荷物が多くなるためレンタカーではそれこそ"荷が重い"。恐らく、レンタカーを返した後が荷物となろう。下手に土産物など買い込むと大変なことになる。

それにしても、最近は業務が忙しく、しかも通勤時間が長いため、日々時間に追われてしまい他に何も考えられなくなってしまった。そのため、帰省計画も延び延びとなってしまい、いつの間にか新幹線の予約開始日(乗車1ヶ月前)を数日過ぎてしまっていた。

「まずいな、新幹線で行くなら、もうさすがに指定席取らんと。」
レンタカーの問題点はあるものの、もうこの局面に於いて選択の余地は無い。今年は新幹線+レンタカーで行くことにする。
慌ててWeb上から予約画面を開き、空席のある列車の中で2列席を指定してみた。しかし、2列席はどこも空いていない。豚児が動き回るため3列席で他人と混ざるのは厳しい。朝早くの便を狙ってみたが、やはりそちらも空きが無い。
結局のところ、空きがあるのは夜到着する便しか無いようである。しかし、子連れではあまり遅い時間に到着するのは避けたい。
「困った・・・。もはや自由席しか無いのか・・・?」
しかし過去にも自由席でヘナチョコ妻と2人で九州へ帰ったことがあったが、席に座れたとしても帰省ラッシュの真っ只中であるから混雑を極めている。通路など通れない状況で、トイレに行くにも一苦労だった。また、トイレに行った隙に他人が座ってしまいトラブルになった現場を見たこともある。そんな戦場のような自由席に5〜6時間も居られるはずもない。

ふと、グリーン車の存在に気付いた。
「くそ、金がかかるがグリーン車にするか・・・。」
グリーン車を選択すると、通常の料金に加えて1人あたり7,440円の金がかかる。2人分で追加料金1万5千円とは。
確かに、グリーン車であれば2列席が取れるようだ。それに、どんなに混雑してもグリーン車の通路に立つ者は居ない。
まだ予約確定していないので迷っていたが、ぐずぐずしているとグリーン車さえも埋まってしまう危険がある。それでも1日くらいは猶予があろうと考え、予約を取らぬまま翌日にヘナチョコと相談した。しかしヘナチョコに相談しても「どうしようか〜」などとラチがあかない。結局、我輩の思い切りで予約ボタンを押して確定させた。列車のタイプは700系であった。

いつもであれば、豚児を長距離列車に乗せる際には我輩とヘナチョコとの間に座らせたりしていた。今回もそのようにしたいのだが、インターネット上で情報を集めると、どうやら700系のグリーン車の座席は、2列席の間に大きな肘掛けがあるらしい。そしてその肘掛けは固定式で上方に折り畳むことが出来ないようだ。そうなると、豚児をどのように座らせれば良いのだろうか。肘掛け部分に座らせることは可能か? 最悪の場合、九州までの5時間ずっと膝の上に座らせることになるかも知れぬ・・・。

ところで復路についてだが、こちらはキッチリ1ヶ月前に予約を入れることが出来たため、通常の指定席にて予約を入れることが出来た。
後日、最寄の駅でチケットを受け取り、当日に備えた。

一方、レンタカーについては、ゴールデンウィークの独り旅では軽自動車だったが、今回は最大4人で乗車する他にも高速道路なども走る予定であるから普通乗用車とした。
コンパクトカーならば、軽自動車と数千円程度の違いで済む。ただ、ガソリン価格が高止まりになっているため、燃費のほうが気になる。

ちなみに、今回の帰省の日程は下記の通り。

8月11日(土) 10:53東京発→15:53小倉着→門司港(泊)
8月12日(日) 門司港→小倉→戸畑グリーンパーク→病院→京都郡(泊)
8月13日(月) 京都郡→別府(泊)
8月14日(火) 別府→サンリオ・ハーモニーランド→京都郡(泊)
8月15日(水) 京都郡→15:25小倉発→20:26東京着

今回の帰省のために用意したカメラ機材については以下の通りである。

  • 66判カメラBRONICA SQ-Ai
  • BRONICA用広角レンズ40mm
  • SUNPAKストロボB3000S
  • テーブル三脚
  • デジタルカメラRICOH GR-D
  • デジタルビデオカメラSONY DCR-HC30

スナップショット用として、中判一眼レフはもはや欠かせない。一眼レフカメラならばレンジファインダーカメラと違い画面周辺部でもピントを合わせることが可能だからだ。如何に超広角レンズであろうとも、中判レンズは被写界深度が浅いため、ピンボケの危険性は常につきまとう。
また、ストロボは人物撮影では必須である。室内撮影だけでなく、晴天の下で陰を和らげるレフ代わりとして有用なのだ。まさか、帰省のスナップショットで大きなレフ板を持って歩くわけにもいくまい。

デジタルカメラのほうは、例によって露出計代わりである。また、撮影時間や車の走行距離記録用としても重要な働きを担う。

ビデオカメラについては、先日新たに購入したメモリ記録のMPEGカメラ「Panasonic SDR-S200」(雑文604参照)は今回使わない。というのも、実は直前に故障して修理中となってしまったのだ。映像は撮れるが音が全く録れないという症状が出た。まあ、故障せずとも付属のメモリ2GBでは1時間程度しか録れず帰省や旅行などの泊まりがけには使えない。4GBのメモリを何枚か買い揃えてから、ようやく本格的に使うことになろう。
(ちなみに、現在はメモリが安くなるのを待っている状態。動画記録用として安定したデータ転送が求められるゆえ、Panasonic純正のメモリしか眼中に無い。)


●8月11日(土) 1日目
 <東京→小倉→門司港(泊)>


出発当日、東京駅で弁当を買って新幹線ホームへ。
我々が乗る10:53発の「のぞみ181号」が入線したが、社内清掃があるため、すぐには乗車出来ない。しかし、ホームから清掃の様子が間近に見ることが出来た。ゴミの片付けはもちろん、座席の回転やリクライニングのリセット、そしてヘッドレストのシーツ交換。それらを迅速にかつ正確にこなす清掃のおばちゃんたちを見て、我輩はプロの仕事だと感じた。


グリーン車搭乗前

清掃が終わり、早速、我々はグリーン車に乗り込んだ。こんな機会が無ければまず乗ることが無いグリーン車である。一般車両との違いに気を付けるのは当然のことであった。
まず第一印象として、室内が非常に暗いと感じた。室内には間接照明しか無いのである。座席に座りふと上を見ると、旅客飛行機に備え付けられているような読書灯あった。なるほど、読書するならこれを使えば良いか。一方、何もすることが無く眠りたい場合には、この暗さが都合が良いのだろう。

しばらくすると発車時刻となり東京駅を出発した。
すると、室内が明るくなった。外光が十分ある場合には、明るさは他の一般車両と変わらないようだ。

座席の横幅は確かに一般車両よりも広い。また足下も広く、足置きもあってリラックス出来る。一方豚児については、肘掛けの上に座らせるにはやはり安定が悪い。そのため、ヘナチョコの隣や我輩の膝の上に座らせたりすることになった。最初はまだ良かったが、2〜3時間もすると窮屈になってきた。そして5時間が過ぎてようやく小倉に到着する時には身体が痛くなっていた。もしかしたら、中央の肘掛けを折り畳める一般車両のほうがまだ良かったのかも知れない。まあ、復路では一般車両であるから、そのことは後で検証出来る。

15:53に小倉駅に到着。
駅の改札では、我輩の母親が出迎えに来ていた。
豚児は、久しぶりに会うバアちゃんだったため、少し恥ずかしそうにしていた。しかし、母親のマンションまで行って夕食を一緒に食べた後は、豚児とバアちゃんは仲良くなっていた。

その後小倉駅に戻り、門司港行きの列車に乗って最初の宿泊ホテルの「ホテルポート門司」にチェックインした。なぜ小倉に泊まらなかったのかと言うと、単純な話、1万円前後の安いホテルが小倉では確保出来なかったためである。


●8月12日(日) 2日目
 <門司港→小倉周辺(若松)→京都郡(泊)>


この日は、我輩、ヘナチョコ、豚児の3人に加えて我輩の母親を車に乗せて若松区のグリーンパークへ遊びに行く予定である。
そして夕方には○×病院へ行って祖父・祖母と面会することにしている。父親には「16時頃に病院に行く」と伝えてあるのだが、「いつでも良い」などと言っていたので、父親は祖母の病室で待っているわけでも無いようだ。
夜は実家の京都郡(みやこぐん)へ南下し、そこで一泊することになっている。

レンタカーは、ゴールデンウィークの時と同様に小倉駅の駅ビルにある窓口で借りる。今回は前回のようなキュートな茶髪おねえさんはいなかったが、朝だったためか時間通りに到着しても受付順番待ちとなった。
受付が終わり表で待っていると、今回借りる車がやってきた。車種は「HONDA Fit」である。説明によれば、この車はほぼ新車であるとのこと。走行距離を見ると、まだ580kmであった。また、今回はカーナビゲーション標準装備以外にもETCも装着されていた。我輩のETCカードをこれに刺せば高速道路で使えるので便利。


新車の「HONDA Fit」

車を調達した後、近くにある母親のマンションまで行き、そこで母親を車で拾った。そしてグリーンパークへ向けてドライブ。
グリーンパークにはカンガルーやワラビーなどが数多くおり、そばまで行って背中を撫でたりすることも出来るとのこと。確かに、ワラビーとカンガルーがいたが、ワラビーは人間が近付くとちょっと離れてしまう。カンガルーのほうは身体が大きいせいかあまり人間を怖がらなかったが、逆にこちらが恐かった。

それにしても、グリーンパークは東京近郊の施設とは異なり、かなり客が少ないように思う。盆休みのためかも知れないが・・・。

その後、温室の植物園に入ったりしたが、他に面白そうなところが見付からない。確かに芝生の広場などが広々としているが、夏であるからそんな直射日光の当たる場所で長く居られない。クーラーの効いた室内でなければ過ごせないのだ。
結局、入園して2時間ほどで出ることになった。

小倉市内のファミリーレストラン「フォルクス」で遅い昼食を摂り、しばらく休憩した後、○×病院に向けて車を走らせた。
初めての場所で到着時間が読めなかったが、都合良く16時前10分に着いた。

病院内ということもあり、あまり大っぴらにカメラを持って行くのはマズイかと思われた。しかし全く何も持たずに行くのは無防備で心細い。そのため胸ポケットにはデジタルカメラ「RICOH GR-D」を忍ばせておいた。さすがに中判一眼レフカメラを隠し持つことは無理。
もっとも、他の入院患者もいるであろうから、GR-Dであろうとも恐らく写真撮影は難しいだろう。


受付で祖父と祖母の病室を訊いたところ、驚くことに2人の病室は同じ階らしい。まさか、部屋が隣同士ということは無かろうな。

エレベーターで上がると、ちょうど父親がエレベーターの前で待っていた。これは意外だった。電話では「いつでも良い」と言われたのだから、我輩が予定を変える可能性は考えなかったのか・・・?

病室を案内されると、そこは4人部屋だった。看護婦さん(女性看護士の旧名称)が数人おり、いずれも茶髪系長身美人である。こちらに対して目一杯の笑顔を送ってくるので、面会者の中には勘違いする者もいるのではなかろうか。

部屋は想像していたよりも広く開放的な感じだった。これならばさりげなく撮影も可能かも知れない。ただしストロボ撮影はやめておいたほうが良いだろう。
我輩は、それぞれ個別にしか会っていなかった父親と母親が同じ空間に居ることが不思議に思えたため、写真に同フレームに収めることにした。他の入院患者に気を遣ってサッと撮ろうとしたが、ブレているのが液晶画面でも判る。そのため何度も撮影しなければならなかった。


祖母は思ったほど弱っているわけではなく安心した。我々の姿を見て、とても喜んでいたし、特にボケているようにも見えなかった。言葉数もとても多く感じられた。寧(むし)ろ父親のほうが老けたように思えた。
同じ階の病室に母方の祖父が入院してリハビリしていることを伝えると、「あれまあー! そう言えばリハビリ室でなんか見たような人おったけど、やっぱそうやったんやろねー。」と驚いていた。

ところで、母親が携帯電話で写真を何枚も撮っているようだ。あまり目立つことをしないようにと思ったが、特に気にする者もいないようだったので、我輩も少し写真を撮ったりした。
そして別れ際、みんなで写真を撮ろうと思い、撮影者交代でシャッターを押そうとしていたところ、近くにいた看護婦さんが声をかけてきた。
「シャッター押しましょうか。」
我輩はてっきり、「他の患者さんの迷惑になりますので」などと言われると思ったが。
しかし写真が撮れるのであれば中判で撮りたかった。そうは言っても看護婦さんに持たせるカメラであればデジカメ程度でなければ重くて無理ではあったが。



病室での記念撮影

小一時間経ったので、引き上げることにした。
最後に皆それぞれ祖母と握手をした。豚児には特に強く握手してもらった。曾祖母と曾孫の重なる時代は短いだけに貴重である。
祖母はしきりに我々の訪問を感謝し、振り向くと手を合わせていたのが印象的だった。

さて、次は母方の祖父の病室のほうへ。
こちらはなんと歩いて数秒しか離れていない部屋であった。隣の部屋ではなかったが、階段と用具室を挟んで隣という感じである。
祖父は頭はハッキリしてるため暇をもてあましているようであった。そして「早く家に帰りたいのう」と言っていた。それでも、豚児に会えたのは嬉しそうであった。

病院を出て車に乗り、京都郡の実家を目指した。
こちらの祖母は元気であったが、やはりこちらも80歳を越えているため料理は期待せず、隣町の「youme town(ユメタウン)」で総菜を買って夕食とした。


●8月13日(月) 3日目
 <京都郡→別府(泊)>


この日は車で別府まで行って「水族館 うみたまご(旧称:別府マリンパレス)」と「スギノイパレス」で過ごす予定。
母親も誘ったが、仕事の関係で行けないとのこと。

8時半頃出発。
多少雲行きが怪しく、途中で雨がポツポツとフロントガラスに当たったりした。しかしおおむね曇りであった。
椎田道路から宇佐別府道路へ走る。
しばらくすると対向車がライトオンして走ってくるようになった。「もしかしてこの先は豪雨だったりするのか?」と思っていたところ、いきなり濃い霧に見舞われた。


濃霧発生

前車に合わせて速度を落としたが、後ろからもの凄いスピードでフェアレディが追い付き急激に車線を変えて追い抜いて行った。
まあ、急病人でも乗せているのだろうな。怪我人を出さないことを祈る。

インターチェンジを降りて別府市内に降りる。まずは「うみたまご」へ行くことにした。
到着は10時半頃。
車を降りて山の上の高速道路のほうを見ると、まだ霧に包まれているのが見えた。


「うみたまご」から見た山側

「うみたまご」では入場者の列が出来ていた。入場制限が行われているのだ。
列の途中は直射日光が当たるため、暑さのため体力が消耗させられた。しかし何とか乗り切り、ようやく館内に入った。
やはり外の様子から予想出来たが、館内の混み様も尋常ではなかった。この文章を書いている今、そのことを思い出しただけで疲れが蘇ってくるようだ。

館内のレストランで昼食を摂り、早々に「スギノイパレス」へ向かう。
到着は13時頃。
大ホールでは、去年と同じようにウルトラマンショーが開催され、寝ころびながらそれを眺めた。
その後、夏休み企画の巨大迷路のスタンプラリーや子供コーナーで豚児と遊んだ。

広い室内での人物撮影は、ストロボの用法で迷いが出る。
室内の雰囲気を出すにはシャッタースピードを遅くしてスローシンクロすべきだが、動きのある人物撮影では軌跡が残って煩わしい。かと言ってシャッタースピードを上げて定常光を切り捨てると、人物の発色や描写は美しくなるものの室内の雰囲気が出ない。
この微妙な駆け引きを、デジタルカメラのテスト撮影で判断することになる。


この2枚の中間くらいにしたい

18時半頃、「スギノイパレス」を出て宿に向かった。 この日の宿泊先は別府駅前にある「別府第一ホテル」である。こちらは1泊8千円と格安。もちろん夕食は無く、外で食べた。多少雨がパラついていたが、少し我慢すれば傘無しでも良かろうと思わせる程度である。
別府駅前には、今まで気付かなかったが足湯ならぬ手湯があった。


別府駅前の手湯



●8月14日(火) 4日目
 <別府→サンリオ・ハーモニーランド→京都郡(泊)>


この日は、丸一日「ハーモニーランド」で過ごす予定。外は快晴である。
車で8時に出発、30分ほどで到着した。そして9時の開園まで並び、園内へ入った。

昨日の「スギノイパレス」とは一転し、今度は日中シンクロである。人物が黒く陰になるため、ストロボの光で陰を起こさねばならない。その点、レンズシャッター式のカメラはどのシャッタースピードでもシンクロ出来るので好都合。
もっとも、レンズシャッター式は最大でも1/500秒までしか無いが・・・。


レフ代わりの日中シンクロ撮影

それにしても、園内ではどこもかしこも記念撮影の半押し売りサービスばかりであったのがカンに触る。
「買うか買わないかは別として、まず写真撮影しますから」みたいな状態は本当に煩わしい。坂の下のエリアに行くための汽車に乗ったところ、乗車写真を撮るというので「ノーサンキュー」と言って断った。しばらくして豚児が「また坂の下のアトラクションに行きたい」と言い出したので再び汽車に乗るとまた写真を撮ろうとする。もういい加減にしろと思ったが、「ノーサンキュー」という言葉が印象的だったのかカメラマンが途中で我輩だと気付いてくれたが。

とにかく、各アトラクションで必ず写真撮影は勘弁してもらいたい。遊園地の乗り物でも撮影ポイントがあり、4人乗りのモノレールに乗っていたところ、スピーカーから「ハイそこで止まってください。写真を撮りまーす。」という声がするではないか。見ると、前方に野外監視カメラみたいなものがあり、撮影ポイントの看板があった。 我輩は当然ながらフルスピードでその場所を突っ切った。すると、背後でシャッターを切った音(合成音)がした。

また別の場所では、キャラクターとの記念撮影が出来るとのことで入ったが、もちろん自分のカメラでも撮れるが、どうやら備え付けのカメラで撮ってプリントを売る商売のほうがメインのようだった。

その部屋は一見スタジオっぽく見えたものの、その照明セットは写真用としてはかなりお粗末。いや、機材の優劣を問うているのではない。ただ、その使い方が全く良くない。
天井を見ると、唯一の撮影用照明と思われるアンブレラ付きストロボがあったが、そのアンブレラはかなり小さく、しかも被写体から10メートル以上離れているのだ。並んでいる列の後ろの壁側にあるから、もしかしたら15メートルは離れているかも知れぬ。


撮影風景(客のカメラで撮影中)

アンブレラというのは、光を軟らかく拡散させて影を和らげるために使う道具である。つまり、発光面積を大きくするためである。ところが被写体までの距離が遠くなると、見かけ上の発光面積が小さくなる。そうなると、いくら光量を上げようとも影は強く出ることになる。
天井は黒色でペイントされているため、天井からの反射光すら期待出来ない。

下の写真は、列の後ろで振り向いて撮ったものだが、アンブレラに一番近いこの位置でもまだ遠いように思う。せめて、もう少し大きな傘を使うべきだろう。なぜか、わざわざ一番小さな傘を選んで使っているように思える。
こんな状態ならば、寧ろ傘など使わずダイレクトに照射すれば光量がアップして良いのではないかとすら思う。


小さなアンブレラは距離が離れていると意味が無い

ただ、撮影システムとしては、全体的に金がかかっていることは確かである。それなのに、なぜこのような理解に苦しむようなライティングを行っているのか?
無理矢理に推測するならば、部屋のレイアウトデザイン上、照明位置があそこしか無かったということだろうか。そして、距離のある小さなアンブレラでは効果が小さいということを承知の上で、スタジオっぽい雰囲気を演出するために無駄を承知であのようにしているとか?

プリントは、デジタルカメラ1台に対して複数のPCに振り分けて出力しているようだった。そこでは文字入れなどの注文を受けているらしい。恐らくカウンターの下ではPC本体とそれに繋がるカラープリンターがあるのだろう。


金のかかったプリントシステム

我輩はプリント写真を収集する趣味は無いため、ここでは自分のカメラでリバーサル撮影を行い、プリントのほうはカウンターを素通りしてやり過ごした。
我輩は貧乏人であることは確かだが、いくら金が余っていようとも、不要なものまで金を出して買おうとは思わぬ。世間から見ればヒネクレているように見えるだろうが、信念を貫くことが自分自身の存在意義であると考える我輩にとっては当然の行為である。

その後、17時に「ハーモニーランド」を出て京都郡の実家に向かい、途中、「youme town」で総菜を買い込み、19時半に到着した。
明日は東京へ帰る日である。豚児が寝る前に、皆で花火をして九州での最後の夜を楽しんだ。


●8月15日(水) 5日目
 <京都郡→小倉→東京>


朝、実家を出発する前に皆で記念写真を撮った。暗い室内のため、ストロボ光のみが頼りである。去年も同じように写真を撮ったが、中判の浅い被写界深度のためピントの合っている顔と、微妙にピンボケになっていた顔があった。今回はそれを教訓に、なるべく皆が同一平面上に近付くよう配慮した。

9時半頃に母親も乗せて実家を出発し、途中、隣町の叔母の家に寄った。盆休みということで、従兄弟夫婦とその子供たちが遊びに来ているということだ。
ここでも記念写真を撮ったが、先ほどと同様になるべく同一平面上にそれぞれの顔が近付くよう心がけた。しかし、後日フィルムを現像して判明したのだが、なぜかこの写真は一部の者の顔しかピントが合っておらず、他は完全にピンボケ状態だった。こういう写真にならぬよう気を付けたつもりだったが、なぜ防げなかったのか、いまだに謎である。

10時半頃に叔母の家を出発、苅田辺りでガソリンを満タン給油し、そして小倉駅を目指した。
小倉駅前には駐車場があり、そこにレンタカーを停めて係員に引き渡した。時間は12時。返却予定は13時ではあったため、1時間早く返したことになる。
車の距離計を見たところ、ちょうど300km走行したことが判った。先ほど満タンにしたガソリンは20リットルだったことから、そこから燃費を計算すると15km/Lということか。ただ、最初のレンタル時に燃料計の針が微妙に下がっていたように思ったが、もしそうならさらに燃費は良いかも知れない。

小倉駅前の伊勢丹のレストラン街で昼食を摂り、その後、同じく伊勢丹の夏休み企画であるカブトムシ展でしばらく時間を潰した。
そして15時頃、小倉駅の改札で母親と別れ、15:25発の「のぞみ186号」で東京に向かった。
復路は一般車両の指定席のため、肘掛けを上に畳み、我輩・豚児・ヘナチョコと3人で並んで座った。
東京到着は20:26。


●まとめ

<移動について>

さすがに新幹線での移動は安心感がある。
昔は「のぞみ」を使わなかったため小倉まで6時間もかかったが、今回は「のぞみ」であるため5時間で済んだ。ただし、盆休みということを考えて早めに指定席を取るべきだった。独り旅ならばいざ知らず。

レンタカーについては、ゴールデンウィークに軽自動車を使ったのだが、さすがに今回は高速道路を使うため大変だと思い普通車とした。そのおかげで3人乗車での高速道路はストレス無く走ってくれた。
今回の「HONDA Fit」について、他の日本車(比較対象はNISSAN、TOYOTA、MMC)と比べると結構アクセルペダルが重い。しかしながら高速道路での巡航ではやはり足が疲れてくる。かかとを地に付けてつま先を上げておくのは疲れるのだ。もう少しペダルが重ければ、足の重さをペダルに預けてリラックス出来るのだが、その点が惜しい。
もっとも、それ以外は経済的でもありなかなか良いと思った。残念なことに、レンタカー屋では車種を選べない。


「HONDA Fit」

<BRONICA SQ-Ai(銀塩)>

今回、120フィルムは14本(66判で168枚)撮影し、採用枚数は71枚である。撮影本数こそ去年より多いものの、驚くことに採用率は去年と全く同じであった。
露出過不足はそれほど無かったものだが、思わぬカットでピンボケしておりガッカリさせられた。慎重にピント合わせしたつもりでもボケていたカットが幾つもあったため、もしかしたらフィルムの浮きが問題かも知れない。ただし今以上にピント合わせには気を遣いたい。


<RICOH GR-D(デジタル)>

GR-Dは、主に露出計用途としての役割を与えているが、撮影時間も記録してくれるため、旅の記録全般で活躍した。
撮影枚数としては270枚であるが、この写真が無ければ本雑文の時間記録も曖昧になっていたことだろう。少なくとも、車の出発時・到着時には必ずメーターを撮影しているため、その点ではかなり重宝する。