2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
 F3 (F3H)
 FM3A
 FM2
 FM
 FE2
 FE
 FA
 FG
 FM10
 FE10
 F4
 F-401X

Canon
 AE-1P
 AE-1
 newF-1

PENTAX
 K1000
 KX
 KM
 LX
 MX
 MZ-5
 MZ-3
 MZ-M

OLYMPUS
 OM-3Ti
 OM-4Ti
 OM-2000

CONTAX
 ST
 RTS III
 Aria
 RX
 S2

MINOLTA
 X-700
 XD

RICOH
 XR-7M II
 XR-8SUPER

カメラ雑文

[603] 2007年06月10日(日)
「浄土平行き」

<注意事項>
旅の記録は、我輩自身にとって参考になる。今回の旅も、以前の旅の記録を読んで参考にしたほど。そのため今回の記録も、取るに足らぬことまで余さず書き留めることにした。そのせいで文章が非常に長くなっているので注意。


5月28日月曜日、職場からインターネットで「Yahoo天気予報」を見た。
東北の明日の天気は・・・晴れ。

現在我輩は、制作と営業をかけもちしている。そのため、納品や商談での外出と制作作業が重なると大変な忙しさになる。
しかしこの日は、納品作業も早めに終わり、制作作業も一段落した。ちょうど、雑文437「一つずつ」にも書いたように、ふと嵐が去ったかのような静かな状態だった。
そこで、何を見るともなく「Yahoo天気予報」にアクセスした。

「Yahoo天気予報」によれば、火曜日以降は雨や曇が続くようだ。この様子では、そのまま梅雨に突入する可能性もある。
ということは、火曜日が唯一のチャンスということになる。

「チャンス? 何のチャンスだ・・・?」
ふと我に返った。
どうやら、我輩は無意識に蔵王のお釜行きを考えていたようだ。

しかし蔵王のお釜は、まだこの時期には残雪が多かろう。今まで行ったうちでは一番早いのが6月中旬だったが、それでも残雪があった。今はまだ5月下旬。残雪というのは写真的には良かろうが、地形の観察・記録には適さない。
「ならば、もう少し南のほうか・・・。」

ふと、「吾妻小富士(あづまこふじ)」を思い出した。去年、蔵王のお釜へ行く時に、帰りに寄ろうと計画していたが挫折した場所である(参考:雑文585「蔵王のお釜(7)」)。
ここは蔵王のお釜と同じように火山地形である。どちらも火口の形状がハッキリと現れているのが共通している。吾妻小富士に水が溜まっていれば、さぞや蔵王のお釜にソックリだったろう。
そして、もし行くとすれば、吾妻小富士をはじめとする火山地形を一望出来る「一切経山(いっさいきょうさん)」への登山も避けて通れまい。

しかし、いくら蔵王よりも南方とはいうものの、福島県であるから遠いことには変わりない。車で行くと、片道4時間半はかかる。高速道路の空いた時間帯とETC深夜割引を考えると、やはり夜中に出発せねばなるまい。
そうなると、もはや「明日出発する」というよりも、「今夜出発する」という言い方のほうが近い。
準備も何も無い状態で、いきなり今夜出発するのか・・・?

しかし、考えているだけではどんどん時間が経ってしまうため、とにかく段取りを進めねばならぬ。
行くかどうかは後で結論を出すとしても、まずは、行く前提で準備を進めておかねば、「いざ行く」という話になった時にはもう遅いのだ。

とりあえず、主任殿に休暇を取ることについて相談し了承を得た。客先にも、携帯電話のメールアドレスを伝え、チェックが済んだらメールで回答してもらうようにした。
今夜出発であるから、早く帰宅せねば。

実は、前回島根県に行った際にコンパクトデジタルカメラ「RICOH GR-D」のCCDにゴミが乗ってしまい、ゴールデンウィーク明けに修理に出していた。ちょうどこの日、修理が上がったという知らせがあったため、秋葉原で途中下車してヨドバシカメラへ寄った。

そう言えば、35mmカメラ用のフィルムの在庫が無い。ついでにそれも調達する。
改めて見ると、135フィルム(35mm判)は高く感ずる。撮影枚数が違うとはいえ、120フィルムの2倍の値段か。品名と値段を見比べながら色々と迷った。こうしている間にも時間は過ぎ、用意する時間がなくなってくる。
結局、一番安いと思われる「Kodak ELITE100(EB)」の3本入りを2セット購入。これは新製品のようだったが、特性が分からないのが不安(後日、DINAと同じものだと判明)。

帰宅後、風呂と食事を済ませた。
ヘナチョコ妻には「山に行くかも知れん」と言っておいたが、「まだ迷っている」とも付け加えた。
「朝起きて、もし我輩が居なかったら、出発したと思ってくれ。」

時計を見ると、時間は21時。
カメラなどの用意を始めたが、この段階でもまだ"とりあえず"の行動だった。何しろ、初めて行く土地でありながら下調べが十分ではない状態である。このまま行っても消化不良に終わる可能性が高い。せっかく高速料金やガソリン代などコストをかけて行くのであるから、準備万端で臨みたい。

しかしそうは言っても、せっかく取った休暇であるから無駄にしたくないという気持ちもある。それに、梅雨入りしてしまえばいくら休暇が取れても意味が無い。やはりこのチャンスは重要。

結局、準備と下調べを交互にやっていると、いつのまにか23時もかなり過ぎていた。
急いでベッドに飛び込み、目覚し時計を2時半にセット。睡眠時間が短いため、片道4時間半もの運転に耐えられるかが心配だが、まあ、起きられなければその時はその時。

しばらくして目覚し時計が鳴った。2時半だった。
音を止めた後、しばらく寝た。
「起きなければなぁ」と思いつつ寝たため、3時くらいにまた目が覚めた。

正直言って、眠い。
この眠気さえ無ければ淡々と支度を始めるところなのだが、起きて服を着替えたり車に荷物を積み込んだりすることは、この段階でもまだ"とりあえず"であった。

支度が一通り済んで少し気が抜けた。時計を見ると3時半。
どうする・・・? 行くか、それともやめるか。
行くと、運転がツライぞ。やめて家でゴロゴロしながら平和に過ごすか・・・?

そうこうしているうちに、3時40分になった。
「うーむ、高速道路のETC深夜割引は4時までだったな・・・。とりあえず出発して4時までに料金所を通っておくか。そして近くのパーキングエリアでゆっくり考えよう。」
ETC深夜割引は半額近くになるため、その有り無しは大きい。

真っ暗な車内に入ってエンジンをかける。照明に浮かび上がったメーター類。いつもながら深夜〜早朝の出発は気分が高まる。修理を終えたばかりの「RICOH GR-D」を取り出して走行距離メーターを撮影。そして出発。
時間が時間だけに渋滞も無い。それでもインターチェンジに入ったのは、4時まであと2分というところだった。
東北道自動車道に乗った後、早速パーキングエリアに入った。そして、しばらく車を停めて仮眠をとった。

10分ほど経って目を開けた。空が明るくなってきていた。
眠気はあまり感じなかった。
「行くか」
今までの行動が全て"とりあえず"だったのだが、この時ようやく、行くことを決断した。


4時20分の決断

その後、高速道路を北に向けて走った。
初めて車を運転して蔵王に向かった時は、途中1度だけパーキングエリアに寄っただけであった。しかし今回、無理をせぬようにと4回ほどパーキングエリアに寄った。
また、去年は福島県内で覆面パトカーに速度超過で捕まったため、速度には慎重になる。

福島西インターチェンジで高速道路を下りたのが7時半頃。朝食を食べるためコンビニエンスストアを探し、セブンイレブンに入った。
朝食として調理パン、そして昼食用にチキン南蛮を調達。「暖めますか?」と訊かれたが、昼まで時間があるので冷たいままとした。また登山用にいつも持って行くチョコレート菓子「スニッカーズ」を1本購入。

車内で朝食を食べ、30分後に磐梯吾妻スカイラインを目指して車を走らせた。
福島市内を抜け山道に入ると、ほとんど車がすれ違うことがなくなった。平日の朝はこういう状態か。
やがて磐梯吾妻スカイラインの高湯料金所に到着。料金は小型車1,570円。

磐梯吾妻スカイラインは、蔵王のエコーラインのようにクネクネとつづら折りで登って行く。ただ、そのクネクネは蔵王よりも緩いように思えた。
また、道の途中に停車出来るスペースが幾つかあるのが良い。


磐梯吾妻スカイライン

しかしながら火山地形の中に入っていくと、火山性ガスのため硫黄臭が強くなり、「火山性ガス注意 停車禁止」という看板が現れるため停車出来ない。停車出来ないため低速で走りながら景色を見ていたところ、後ろから観光バスが追い付いてきたのでスピードを上げた。

浄土平にはレストハウスがあり、大きな有料駐車場がある。
しかしインターネットによる事前情報から、この先に「兎平野営場」という場所があり、そこの駐車場が無料だということを知っていた。そのため浄土平を通過し兎平まで行って車を停めた。
時計を見ると、ちょうど9時だった。


兎平駐車場(無料)

今回、用意したカメラ機材は下記の通り。

<中判カメラ>
・BRONICA SQ-Ai
・魚眼 35mm
・広角 40mm
・望遠 180mm

<35mm判カメラ>
・MINOLTA α-707si
・超広角 17mm
・ズーム 24-105mm

<デジタルカメラ>
・RICOH GR-D

<その他>
・小型三脚
・MINOLTA FLASHMETER-VI

メインとなる中判カメラについて、山登りであるから軽い機材のほうが良いのだが、これまでの山登りの経験では、広角が50mm止まりのレンジファインダーカメラ「New MAMIYA-6」では画角が足りないことが多かった。そのため、40mmの広角レンズが使える一眼レフ「BRONICA SQ-Ai」を選んだ。
しかしそれでも足りない場合のため、35mm対角線魚眼レンズも携行する。ちなみに円周魚眼カメラについては、山の景色は円周でまとめるのが難しいため今回は使用しない。

35mm判カメラについては、ここでは中判のサブという位置付けのため、35mm判での撮影で手間取りたくない。というわけで、カメラ任せの撮影として必然的にAFカメラしか選択肢は無い。中でもマルチスポット測光が可能な「MINOLTA α-707si」は、露出計という役目でも有用なため、今回動員することとなった。
まあ、過去の実績から測光の信頼性は高いと感じており、忙しさの度合いによっては面倒なマルチスポット測光をせず完全にカメラ任せでも良いかも知れぬ。
中判のバックアップとしてはもちろん、行程記録や主要被写体周辺を含めた包括的な撮影をこのカメラでこなす。

デジタルカメラは、主に車の走行距離記録に使うが、その他にも、その場で役目を終えるような軽い用途で使う。例えば登山道の案内を撮影しておき、後で見たい時に役立てる。
また、露出で迷った時にはデジタルカメラの結果も参考にする。

さて、車から降りて荷物を整理しトレッキングシューズを履こうと思ったが、ここで重要なことを思い出した。
「トレッキングシューズを車に積んだ記憶が無い・・・。」
家で荷物をまとめていた際、トレッキングシューズは玄関の靴箱にあるため後回しとなり、そのまま忘れてしまったのだ。
「まずいな・・・、今履いているのは単なるウォーキング用のシューズか・・・。」
靴底は柔らかく、岩のゴロゴロしたガレ場では大変であろう。

観光スポットとして階段が整備されている「吾妻小富士」にはスカートの女性でも登っているようだが、「一切経山」となるとそれなりの装備が必要と思われる。
しかし、コストと時間をかけてここまで来たのであるから何とか登りたい。この靴でちょっと試してみるか。
それは今考えると、無謀なことであった。

昼までには戻る予定で、弁当は車に置いておくことにする。戻ってくるまでに温まれば食べるのにちょうど良い。
会社支給の携帯電話を見ると、"圏外"となっている。困ったな・・・。もし客先から連絡が入ったらすぐに納品準備の手配をしたいのだが。
浄土平のレストハウスに行けば電波が入らないだろうかと期待するが、実際どうだろう。

500mlのペットボトルも忘れていたようで、少し回り道になるがレストハウスで麦茶を買いに行った。
やはり、レストハウスでも"圏外"は変わらない。まあ、仕方無い。午後下山して福島市内で連絡を入れてみるか。


浄土平駐車場とレストハウス

時間は9時半。レストハウスから吾妻小富士に背を向け一切経山に向かった。
途中、登山者カードの投函口があった。白紙カードを取り出してみると、記入項目がかなり多くとてもすぐに投函出来そうにも無い。
「まあ、次に訪問した時に記入済みのカードを投函するか」とそのまま白紙カードをポケットに入れた。
「ちょっと登って下りるだけだしな。」


登山者カード投函口

そこからちょっと歩くと、一切経山への道しるべが見えてきた。
そこには周辺案内の地図看板が立っており、我輩はデジタルカメラでそれを撮影した。デジタルカメラならば、後で必要になった時に画像を呼び出して見ることが出来る。

道しるべの示す方向に歩いて行くと、やはり岩がだんだん多くなってきた。やはり、柔らかい靴底では歩きづらい。


一切経山登山口

途中、石碑が目に入った。
石碑に刻まれた文字は途中が岩で埋まっており読み取れないが、日付の部分は読めた。
少し気になったので、手元にあった「東北の火山(築地書館)」をめくると、1893年6月4日に噴火調査に向かった技師2人が噴石に当たって殉職したとのこと。
これはその慰霊碑であった。


慰霊碑

我輩が慰霊碑の写真を撮っていると、背後からチリンチリンと音が近付いてきた。見ると他の登山者だった。そう言えば、山では皆同じように熊よけの鈴(カウベル)を鳴らしていた。我輩も次は熊よけ鈴を付けるか。

そこからしばらく登ると、大きな口を開けた「大穴火口」と呼ばれる火口跡が見えた。ちょうど吾妻小富士が遠景にあり、構図としてまとまっているのが良い。先ほどの「東北の火山」にも、同じ構図の写真が載っている。
当然ながら、我輩も同様な写真を撮る。
殉職した技師2人は、ここの噴火で亡くなったようだ。また、1977年にも噴火が起こったという。


手前の大穴火口と遠景の吾妻小富士

そこから更に登り坂が続く。岩が多いため足が不安定になる。トレッキングシューズを忘れたことが改めて悔やまれる。この時点ではまだ足が痛いということは無いが、靴が傷んできたことは感じる。
しかしまさか、靴底に穴があくことはあるまい・・・。


一切経山への登山道

しばらく坂を登ると平坦な場所に出た。そこが山頂かと思ったが、まだ先があった。しかしながらこれ以上登るということは無く、平坦な道をそのまま歩き、最後に少し登って山頂に到達。時間は11時ちょうどだった。

山頂には誰も見えなかったが、向こうの方で人の声がする。
とりあえず三脚を立て、セルフタイマーで登頂記念の写真を撮る。そして人の声のする方向へ歩いた。
そこには、青い湖が見えた。五色沼と呼ばれる火口湖だった。


五色沼

「こんちはー。」
我輩はそこにいたオイちゃんおばちゃん連中に挨拶した。
「こんちはー。」
向こうも挨拶を返した。

それにしても、五色沼の美しさはとても言葉で表すことはできない。
その感情は、見た目の色彩的なものから生じるのはもちろんだが、火山の力によって造られたということに対する興味深さも大きく影響している。
「昔はここから噴煙が上がっていたのだろう。」このように思うと、この青い水の下に何か大きなエネルギーが潜んでいるかのような気になる。

我輩がカメラを向けると、オイちゃんオバちゃんたちは「すごい、カメラ2台も持ってるわ。」と驚いていた。
レンズを換えながらしばらく撮っていると、いつのまにかオイちゃんオバちゃんたちはいなくなっており、代わりに中年夫婦がいた。
挨拶を交わした後、撮影を続行しようとしたが、その夫婦は五色沼をバックにして互いに写真を撮り合っていた。我輩は自分のカメラを下に置き、「シャッター押しましょう。」と申し出た。

普段ならば、我輩はこういうことはしない(参考:雑文035「シャッター押して下さい」)。なぜならば、自分がいいように利用されていると感ずるからだ。誰が好き好んで浮かれた観光者どもに関わりたいものか。

しかしここまでわざわざやって来るのは浮かれた観光者ではなく、本当に山が好きだからである。そうでなければ、苦労して登って来るはずがない。いや、登っては来れまい。
言うなれば、ここにいるのは皆が仲間である。だから、自然と声をかけた。

その後、再び五色沼の写真を撮り始めた。
35mm判ではもちろん、66判でも撮った。しかしウェストレベルファインダーを装着してあるため、どうしても足元の地面がフレーム内に大きく入り込んでしまう。そこで、アイレベルを上げるためにカメラを逆さまにして持ち上げ、ウェストレベルファインダーを見上げるようにしてシャッターを切った。これならば我輩の身長分の高さで撮影出来る。

しかもいつもは広角ばかりで撮っている中判であるから、今回は敢えて180mmの中望遠でも狙ってみた。
一切経山の頂上から望遠で見た五色沼もまた興味深い。


五色沼対岸アップ

ふと、五色沼の脇を人が歩いているのが見えた。
「うーむ、あそこは登山道なのか・・・?」
改めて「東北の火山」を読んでみると、掲載されている地図には登山道らしき点線が五色沼の脇を通っている。さらに、一切経山に登る前にデジタルカメラで撮影した案内地図の看板も見てみたが、やはり登山道が書かれており、しかもご丁寧にも区間ごとの所要時間も記入されている。


登山道入口の案内地図

初めて蔵王のお釜に降りた時の感動が、再び甦った。
「美しい景色の中に、自分自身が入り込んでみたい。」

山頂から登山道が伸びていると思われる場所に行ってみると、確かに五色沼の方向に向かってロープが張ってある。上から覗き込むとかなりの傾斜。ほとんど「崖」と言ってもよい。しかし、少しずつ試しながら降りてみると、少なくともここから見える所までは何とか降りることが出来そうだと判断した。

11時40分に下降開始。
慎重に降りて行くがかなり緊張する。しかも上から見ている登山者もいた。
こういう場面では杖(トレッキングポール)があると便利そうに思う。
だが何とか崖をクリアし、少し平坦な場所に出た。そこから下では植生が現れ、林のようになっている。登山道と思われる道はジグザグ状に木々の間に続いている。さすがに疲れてきたが、五色沼がだんだん近付いてきているのが見えると心が躍るようだ。

ところが途中で、道が雪に埋まっているところに行き当たってしまった。
山の傾斜に積もった雪であるから、まるでスキーのゲレンデのような状態である。下手すると滑落して木々に激突するかも知れぬ。参ったな・・・。
ふと足元を見ると、雪には登山者の足跡がある。先ほど一切経山山頂から視認した登山者のものだろうか。雪の表面は少し硬いため、我輩の柔らかい靴底では、雪面に足場になるような足跡が付けられない。この登山者は登山靴を履いているからこそ、硬い雪面でもしっかりと足場を作りながら降りて行ったのだろう。


硬い雪面

「ちょっと行ってみるか。」
恐らく足だけではなく手も使わねばなるまい。我輩は軍手を手にはめ、首に提げたカメラをザックにしまった。この状態が、我輩が出来る限りの戦闘状態である。
しかし今考えると、それは戦闘状態どころか、かなり無防備な状態であった。

我輩はゆっくりと、前にある足跡を足場にしながら歩いた。しかし硬い雪面というのは、同じ傾斜であっても地面よりも急傾斜に見える。足場となるべき足跡もだんだんと浅くなり頼りなくなってきた。仕方無く、雪面から出ている樹木や枝をめがけて滑り込んだ。尻を付けて滑ったためズボンが濡れてしまった。

ふと、前の足跡を見ると、杖の跡もあった。
「登山靴で杖を使っている者の後を付いて行くのは無謀だったか・・・。」
来た道を見上げてみたが、果たして戻る時にこの硬い雪面を登れるのだろうかと不安になった。
「くそっ、こうなったら最後まで降りるしかない。五色沼の向こうにも登山道が続いていたようだから、下まで行けば別ルートで戻れるだろう。」
今考えると、憶測で行動するなど危険極まりない。

もやは木の枝に掴まりながらしか降りるしか方法が無い。かかとで思い切り雪面に食い込ませようとしたが、柔らかい靴底がクッションとなって全く歯が立たない。
所々に笹薮があり、何度もそこに滑り込んだ。軍手もビショビショ、靴の中にも雪が入る。足首まで覆われたトレッキングシューズならば何でもないようなシーンなのだが・・・。

もうどれくらい下ったろうか。
下を見てもまだ雪面は続いている。もしかしてこれは、深刻な状況ではないだろうか?
今更になって、登山者カードを出さなかったことが気になり始めた。

時間は12時。
そろそろ腹も減ってきたが・・・、コンビニエンスストアで調達したチョコレート菓子「スニッカーズ」を車内に置いてきたことに気付いた。食べる物が全く無い。もしこの状態で何かあったらマズイことになる。

「まあ、いざとなればヘナチョコ妻が通報・・・、しまった、ヘナチョコには単に"山へ行く"としか言ってなかったな・・・。」
改めて携帯電話を見たが、レストハウスで受信圏外だったものが、こんな場所で受信圏内であろうはずがない。しかも、携帯電話の電池がもう切れかかっている(後で知ったが、圏外のまま電源を入れておくと、頻繁に電波を探すために電池消耗が激しくなるらしい)。

映画「ダイハード」では、ビルの屋上でピンチに陥った主人公ジョン・マクレーンが次のようなセリフを言う場面がある。
「神様、もう二度と高いところには登りません・・・(だから助けて)。」
我輩も思わずこう言った。
「神様、もう二度と無茶はしません・・・(だから助けて)。」

上を見ると、よくこんなところを下ってきたものだと、まるで人ごとのように感心する。逆に言えば、登ることは不可能と思わせた。やはりもう、このまま下るしかない。
目の前には、垂直に近い段差があった。ギリギリ飛び降りることが出来る高さだが、その先で滑り落ちてしまうのは明らかである。周りを見渡すと、木の枝が出ている所があったので、そこに移動して枝を掴みながら降りることにした。その先で滑ったとしても大丈夫なように、笹薮がある場所を目指して降りた。
枝の長さには限りがあるので、思い切って笹薮に突っ込んだ。

このような苦労が何度か続き、ふと見ると雪が途切れて登山道が見えていた。
「や、やったぞ・・・。助かった・・・。」
岩石がこれほど歩き易いとは今まで思わなかった。

とにかく早く降りてその先の道がどうなっているか確かめたい。迂回路があることが判れば、その時点で心から安心出来る。
少し急ぎ気味に降りた。ジグザグになっている道の、曲がり角を越えた先の景色を早く確かめたい。
何度か曲がり道を曲がったところ、急に樹木が開けて景色が広がった。そして、目の前に看板があった。

「立入禁止・申請者 福島県知事」


立入禁止

「なにぃー! ここから先へ行くには福島県知事に許可を申請する必要があるのか!」
今から福島県知事に会いに行けるわけがない。第一、趣味登山の一般人に許可が下りるとは思えぬ。つまり、どうやっても立入禁止なのだ。

五色沼のフチまであと少しという場面で、このような予想外の光景が目に飛び込んでくるとは・・・。
この時の気持ちを正直に言うならば、「五色沼に降りられず残念」ということよりも、「後戻り出来ないぞ、どうするんだ?!」という焦りのほうがはるかに大きい。

それにしても、この先の立入禁止区域を歩いていた登山者というのは誰だろう? 察するに、この辺りを管理している山岳監視員ではないか? もしそうならば、仮に「立入禁止」を無視して進んだとしても見付かって非常にマズイ。
いやそもそも、見付かる見付からないの話ではない。立入禁止の場所に入って写真を撮ったならば、その写真は人目に触れてはならない後ろめたい写真となる。そんな写真を撮るために敢えて行く意味などあろうか。

結局、元来た道を重い足取りで戻るしかなかった。
再び現れた雪面の坂・・・。極端に言えば、来る時は滑り降りれば良かったが、今度はよじ登らねばならない。
雪面に手足をかけて登ってみるが、下手するとズリ落ちてしまい、ふりだしに戻る。雪面が硬いので指がかからない。とにかく、降りてきた道筋をそのままトレースするのは不可能。今度は登り易いルートを改めて探して進まねばならない。

こんな時に杖があれば少しは楽だったろう。もし無事に帰ることが出来たら、真っ先に杖を調達しようと思う。今は仕方無いので三脚の脚を雪面に突き立てて登る。しかし硬い雪のため、伸ばした三脚の脚が縮むだけで突き刺さらないこともあった。
そして本当に登れないような斜面では、笹薮を見つけてかき分けながら進んだ。

ふと、後ろが気になった。
登るのにこんなに時間がかかっていると、前を歩いていた山岳監視員らしき者が戻って来て我輩に追い付くのではないか? そうなると、一人こんな場所で雪面を登っている我輩は相当怪しい存在であろう。
我輩は後ろを振り返りながら、必死になって雪面を登った。後から思えば、山狩りで警察に追われているベトナム帰還兵ランボー(映画「ランボー」)の心境であった。

ズボンは雪にまみれ、軍手共々ビショ濡れ状態。一方、上半身は雪ではなく汗で濡れていた。暑いようで冷たいようで、とにかく大変な事態である。
そんな時、ふと横を見ると道が見えた。それは、最初に雪面を下り始めた地点だった。必死に登っているうち、いつの間にかその場所に到達していたのである。
「助かった・・・。」
しかしホッとする間も惜しんで道を登った。
何の収穫も無く引き返してきた最後の崖登りである。気力も何もあったものではない。ただもう、機械的に脚を動かしているだけ。


最後の崖登り

12時50分。ようやく一切経山を登り切った。
しかしそのまますぐに山頂から浄土平へ降りる。早く車に戻って昼食にしたい。もう脚はガクガク。日頃の運動不足が良く分かる。
途中、分かれ道があり、来た道を戻るかあるいは「酸ヶ平(すがだいら)」と呼ばれる場所経由で降りるかで迷ったが、同じ道を戻るよりも新しい道を行くほうが気分も晴れて疲れが少ないと考え、酸ヶ平へと下って行った。

この道は酸ヶ平までは見通しが良く、勾配は緩くないものの、距離的には短く感じられた。
酸ヶ平の避難小屋を通り過ぎ、そこから木道に入った。
木道は非常に歩き易く、もうここからはピクニックの感覚で歩いて行けると思い、気も緩んだ。


ピクニック気分の木道

ところが少し行くと、木道は雪に埋もれ分断されていた。ここに来てまた雪に悩まされるとは・・・。
対岸は遙か向こうにあり目視出来ないが、とりあえずは雪面に足跡が残っており、それを目印に進んでみる。先ほど格闘した雪面よりも傾斜は緩いものの、気が緩むと足が滑る。


雪で分断された木道

慎重に、慎重に、腰が引けるように歩く。こんな姿を誰かに見られたら少し恥ずかしい。もしトレッキングシューズを履いていたら、ガンガン足跡を付けながら歩いたのだろうが・・・。

100メートルほど下ったろうか、ようやく対岸の木道が見えてきた。あと少しというところまで接近して、何やら様子がおかしいことに気が付いた。
「これは・・・小川じゃないのか・・・?」
見ると、木道に雪解け水が流れ込み、見事な川となっていた。


小川と化した木道

まあ雪よりはマシ、と靴を濡らしながらその小川を下った。
途中、木道も所々崩壊しており、最後にはごく普通の登山道となってしまった。

13時50分、ようやく浄土平に辿り着いた。
もう、ヘトヘトである。再びレストハウスでペットボトルのジュースを買い、しばらく休憩した。
「腹も減ったし、もう帰るか・・・。」

しかし目の前には吾妻小富士が待っていた。
せっかく来たのだから、ここでもうひと頑張りして吾妻小富士の火口跡を見て行くべきだ。そうでなければ、家に帰った後に後悔することになろう。そういうことは今までに何度も経験しているから分かっている。
我輩は重い足を引きずりながら、吾妻小富士の階段を上って行った。


吾妻小富士

それにしてもこの階段は我輩にとって非常に登りにくい。
高い位置の丸太と低い位置の角材が交互に並んでいるが、丸太に足をかけて歩くと大股で歩くことになり疲労が増す。かと言って丸太と角材両方に足をかけると歩行のリズムが狂う。それならばと丸太をまたいで歩くと足を必要以上に持ち上げねばならずこれまた脚に負担がかかる。


吾妻小富士の階段

それでも、吾妻小富士のほうは登山者ではなく一般の観光客が多いため、この程度の登りで息を切らしている様子を見られるのがみっともない。肉体の限界を感じながらも、涼しい顔をして頂上まで登り切った。
そこには、とても感動的な光景があった。
巨大なクレーターである。


吾妻小富士火口跡

我輩は、しばらくその場に立ちつくした。
「こ・・・、これは・・・、まさに水の入っていない蔵王のお釜だ・・・。」

我輩はこれまで、蔵王のお釜には何度も訪れた。しかし湖の透明度が極めて低いため、湖底の様子について全く分からなかった。想像すら出来なかった。
しかし今回、吾妻小富士の火口跡を見て、イメージするための素材が得られたような気がした。
もちろん、両者の外見が似ているからと言って地質学的にも似ているとは限らない。しかし、これまで全く想像すら出来なかったということに比べると、このような具体的なビジョンを得られたことは大きな収穫であったと言ってよい。
これは、雑文600 「ゴールデンウィーク独り旅」にて、菅田庵近くで干上がった沼の跡を目にしたが、ちょうどあのような感覚である。

ところでよく見ると、火口底に何やら石を並べて作った文字のようなものが見える。
これは以前、どこかのウェブサイトでも書かれていたため、我輩も注意して見てみたのだが、確かに石の並びには人為的なものを感ずる。ただ、何と書いてあるのかは分からなかった。


火口底の石を並べた文字のようなもの

さて、本来ならばこの火口跡のフチの周りを歩く「お鉢巡り」をするものだが、とてもそこまでの体力は残っていない。残念だが、駐車場の車に戻って昼食とせねばならぬ。
下りは下りでまた大変だったが、身体全体で脚を動かしながらようやく降りた。

兎平までは800メートルくらいあり、歩くのが億劫だったが、誰かが車を持ってきてくれるわけでもないので前傾状態になりつつ歩いた。
途中、「桶沼」という看板があった。
「もう一つ湖があるのか? しかしもう限界だから見なかったことにしよう・・・。」
そう思って2〜3メートルほど通り過ぎたが、帰宅後の後悔を考えると、さらに無理をして「桶沼」とやらに行ってみることにした。

周りは樹木で覆われており全体が見渡せない。しかし山ではなさそうなため、それほどの体力は必要無かろう。ちょっと丘を登るくらいで大丈夫そうだ。
ところが、丘を登っていくとさらにその先が上り坂になっている。木々の枝が邪魔をしてその様子が下からでは判らなかった。
しかし今さら引き返せない。
途中、雪で道が埋もれている地点もあったが、木の枝に捕まりながらようやく登り切った。

しかしそれでも見通しが悪い。湖面がかろうじて木々の間から見えるという程度。
「こんなに苦労して登った結果がこれか・・・。」
我輩はここに来たことを後悔した。


桶沼の看板

「し、しかしまあ、やらずに後悔するよりも、やって後悔したほうが何倍もマシだというのが我輩の信念であるはず。これでいいんだ・・・。」
我輩は自分にそう言い聞かせ、戻ることにした。

ところがふと横を見ると、木々の間に隠れるようにして小道が脇に続いていた。気になったので行ってみると、そこはすぐに行き止まりになっていたが、先ほどに比べると湖全体が見渡せた。


桶沼全景

帰宅後、今回の写真を見返してみると、「小川と化した木道」で掲載した写真にも桶沼が写っていた。写真の左上に、緑に覆われたクレーター状の小山が写っているのがそれである。


そろそろ、本当に限界点に近付きつつある。もう本当に歩けなくなってきた。
そしてやっとの思いで兎平の駐車場まで辿り着いた。
時間は15時ちょうど。

すぐに車の窓を全開にしたが、車内は暖かく、弁当も暖まっていた。5時間以上も暖かい状態で放置していたため、これがもし夏場だったら腐り始めていてもおかしくない。
ちなみに、弁当と一緒に置いていたチョコレート菓子「スニッカーズ」はグニョグニョに柔らかくなっていた。
食後、しばらく後部座席に座ってグッタリした。

帰りは15時半くらいだった。
福島市内に入ってガソリンを満タンにした後、高速道路に乗って慎重に走った。何しろ、ペダルを踏む足がダルい。それに、去年蔵王へ行った時には福島県内で覆面パトカーに捕まった。最後の最後でヘマしたくない。

しばらく走っていると、車の流れが遅くなった。何だろうかと思っていると、前方に赤色回転灯が見えた。
近付いていくと、覆面パトカーが獲物を捕らえた直後だった。パトカーの後部には「パトカーの後に続け」との電光掲示板メッセージが見えていた。


覆面パトカー

その後、パーキングエリアに4回ほど寄り、なるべく疲れを溜めないようにして帰宅した。
時間は20時過ぎだった。

風呂に入り夕食を摂った後、今回の撮影済みフィルムをまとめたところ、120フィルムは8本、135フィルムは3本だった。一見、135フィルムが少ないように思うが、こちらはカメラの露出計を信用して段階露光を全く行わなかったためである。
ちなみにデジタルカメラの撮影枚数は132枚。うち、40枚は車の走行距離記録と到着場所の記録として使っている。

さて忘れてはならないのは、翌日は出勤だということ。
というわけで、その日は早めに寝た。


ところで、五色沼の立入禁止の件であるが、後日「浄土平ビジターセンター(レストハウス近くにある)」のほうに問い合わせてみたところ、この立入禁止は登山道のことではなく、脇道の保護区画についての警告ということだった。
つまり、五色沼のフチは普通に通行出来るとのこと。くそ、せっかく目の前まで行ったというのに・・・。
改めてインターネットで検索してみると、五色沼のフチで撮ったと思われる写真が幾つかヒットした。やはり今回は、事前調査が甘かった。

いずれにせよ、このままで済ますはずがない。
次回は必ず、五色沼のフチへ行く。