2004年末に起きたスマトラ沖大地震による津波被害では、世界各国政府からの支援が行われた。
数億ドル単位の支援は珍しくなく、中国などは日本からODAを受けている立場でありながらパフォーマンス的な援助を行った。
しかしそれらは、純粋に人道的な立場で行われたわけではなく、それぞれの国の政治的意図、例えばどれだけ復興に貢献したかというアピールや、インド洋地域の国々への影響力拡大の意識が見え隠れしていた・・・。
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さて、我輩は今まで
雑文161「記念撮影の暗黙の了解」にて書いたとおり、社内旅行などの撮影係を意識的に避けてきた。
しかし先日、社内旅行に参加した際には、積極的に記念撮影の係りを買って出た。
そこには、我輩なりの政治的意図があった。
10月、我輩の所属する品川の営業所の一部が川崎の営業所に統合された。
つまり、我々品川の人間が新参者となったわけだ。
そんな中での社内旅行(鎌倉日帰りバス旅行)参加であり、我輩は自分の存在感をアピールするため、敢えて記念撮影の役割を担うことにした。
カメラはデジタルカメラでも事足りる。また、中判を使うとしても、コンパクトな「New MAMIYA-6」でも十分。
しかし我輩の意図としては、なるべく目立つ大げさなカメラが良い。そうなると、「BRONICA SQ-Ai」に広角40mmレンズを装着し、AEプリズムファインダーを乗せることになる。モータードライブも装着しようかと迷ったが、あまりに重くなるためスピードグリップにした。それでも、ストロボを装着したその姿は、お手軽なコンパクトデジタルカメラが主流の現在では、異様なほど大きく見える。
測光はAEプリズムファインダーでも可能であるが、撮影結果を確認するという意味ではデジタルカメラが欠かせぬ。ストロボを使用することもあるため、デジタルカメラは強い味方となる。これはポケットサイズの「RICOH GR-D」を用いる。
旅行当日は、豚児も参加させた。
これはもちろん、我輩の子供時代のように、豚児に色々な大人と接する機会を与えるという意味もあるのだが(参考:
雑文410「知らなかった有名人」)、どちらかと言えばその場の雰囲気を和ませ品川組と川崎組の架け橋になることを狙った。
その意図は見事に当たり、豚児は川崎組の子供と仲良くなり大役を果たした。
一方、肝心な記念撮影であるが、江ノ島水族館の入り口前での撮影となった。
我輩はバスから降りる時に必要な機材を持って来たはずだったが、デジタルカメラが見付からない。バスに置き忘れたか。その時すでに、全員がカメラの前に並びつつあった。
失敗の許されない撮影である。我輩は、AEプリズムファインダーの値を参考にして露出値を決めた。そして、撮影距離に応じたストロボの発光量をセットした。
1枚目、ストロボ不発。
慌てて見てみるとホットシューの接続が甘かった。
全体のチェックも甘いと感じたため、改めてチェックしなおし、2枚目の撮影を行った。
今度はうまくストロボが発光した。
念のための3枚目の撮影を行おうとしたが、ファインダーで見ると、背景に巨大なクリスマスツリーがあることに気付いた。
危なかった。撮影に気を取られ過ぎ、せっかくのクリスマスツリーがフレームアウトするところだった・・・。
少しカメラを上に向けてクリスマスツリーが入るように調整した。
撮影調整中に、「貴重な人材が来ましたね」などという声が聞こえた。我輩の狙い通りの展開であったが、もし撮影に失敗していれば全てが水の泡。まだこの時点では素直に喜べない。
気になる現像結果だが、ちょうど帰宅が遅くなる日が続いたため、翌週の木曜日にようやく現像に出し、金曜日に結果を得た。
会計を済ませ、急いでラボ店頭にあるライトボックス(イルミネーター)でチェックした。
3枚とも、全て成功カットだった。
最初のストロボ不発カットでも、目のキャッチライトが無いだけで全体的な露光量には影響が無かった。
雑文161「記念撮影の暗黙の了解」で挙げた暗黙の了解については、幸いなことに、デジタル時代の現在ではこれらの要件がほぼ必要無くなった。
ここで、暗黙の了解を再度載せ、それについての現在の対応について書き加えたい。
- (1) ネガフィルムを使うべし
- プリント写真にするのは絶対条件。ネガではなくリバーサルからのダイレクトプリントだと、割高なうえに画質も硬調ぎみで反感を買う。間違ってもリバーサルは使ってはならない。
また、「焼き回ししてくれ」などと言われても、いちいち「焼き増しだろ」と間違いを指摘して相手に恥をかかせてはならない。
−−−発色の良いポジフィルムで撮影したいところだが、現在ではフィルムをスキャンしてデジタルデータ化してしまえば、高品位なプリントが短納期で得られる。ダイレクトプリントは完全に過去のものとなった。
- (2) 日付を入れるべし
- 日付が写り込まない記念写真は価値が半減する。
「高そうなカメラなのに日付も入らないんだねえ」と言われる。
−−−これもまた、デジタルデータ化してしまえば、日付はもちろん、場所の記述も加えることが可能。デザイン文字も自由に入れることが出来、写真の付加価値を高めることになった。
- (3) 風景を入れ、複数人を写すべし
- 人物はもちろんだが、風景を同時に入れるのは必須条件。どこで撮ったかという情報が写り込んでいなければ、記念写真の意味が全く無い。
また、いまどき「3人で写真を撮ると真ん中が早死にする」などと言う人間もいないので、それは気にしない。ただし、一人だけを写すと、本人がその写真だけ半強制的に買い取らされるという意識を持つのでなるべく(リクエストが無い限り)それは避ける。
写真には自分が写っていなくても良いが、他に洩れた人がいないかを常に気を配らなければならない。
−−−現在だから可能となったという意味ではないが、今回は集合写真のため、この心配は無い。このことから、スナップ撮影ではなく集合写真に徹するというのも一つの方法であると悟った。
- (4) 失敗写真も含め、全て公開すべし
- 露出の過不足やピンボケなどの失敗写真であっても、一応見せなければならない。写りの悪い写真は許せるが、全く写っていない(あるいは見せない)というのは問題である。
失敗写真を見せるのが恥ずかしいなら、失敗しないように2〜3枚撮っておく必要がある。
目つぶり写真については、それだけで本人以外に面白がられるので、必ずしも失敗とは言えない。
−−−デジタルデータ化したことにより、ある程度の露出過不足は救済出来る。また、複数枚のカットを押さえることにより、目つぶりの問題を無くすことが可能である。今回の写真でも、目つぶりや横見などの写真を修整するため、3枚の写真から合成して全員の顔がベストな状態になるよう仕上げた。特に、メガネ使用者はストロボ光がレンズ面に反射したため、ストロボ不発カットが役立った。
- (5) 悪役を引き受けるべし
- 写真には容姿端麗の女性ばかりが写り込むわけではないため、写真を言い訳に使われることもある。
「あたしヘンな顔になってる〜、あんまり写りが良くないね!」
また、見た目は普通の化粧であっても、ストロボ撮影の関係で顔だけが真っ白になる人もいる。その人物だけに露出を合わせるワケにもいかないため、これは不可抗力。しかし見た目は普通の化粧に見えるからこそ写真のせいにされる。
それを否定すると、その人間の容姿を否定することに通ずるため、それはやってはいけない。カメラマンは、ただ、耐えるのみ。
−−−これも、デジタルデータ化したことにより、回避出来ることがある。今回の撮影では無かったが、品川勤務の時に社内で証明写真を撮影する機会があり、額の広い者がどうしてもテカってしまうことがあった。その時は画像処理で額のテカリを軽減させた。
- (6) 評価を気にするべからず
- 一般人の評価は天と地。
写真の構図を少し工夫して人物を中心からズラすと、なかなか絵になる構図が出来る。しかし真ん中が重要だと考える者もいるため、「なんか人物が中心からズレてるなぁ」という評価も下されるだろう。いちいち気にしてはならない。
−−−これも、スナップ写真を回避し、集合写真に徹することによって解決出来る。
- (7) こまめで太っ腹であるべし
- 写真を回覧して焼き増し希望者を募る場合、注文の集計と会計を面倒だと思ってはならない。
また、写真を見ながら写っている人を洗い出す方法では、写真を無償でプレゼントするくらいの気持ちのほうが、未払いの者がいても気にしなくて済む。
−−−写真係という大儀を得ることにより、現像代とプリント代は旅行会としての経費が落ちることになった。もしそうでなくとも、デジタルカメラが主流の今では、写真をデジタルデータのままメールで送れば済む。
以上、デジタル時代の記念写真について新しい見解を書いたが、それでも「写っていないかも知れない」という心配事はフィルムを使う限り常につきまとう。これは非常に強いプレッシャーである。
もちろん、デジタルカメラを使えば済むことだが、我輩が大げさな機材で撮ることのインパクトが無くなることになれば、そもそもの政治的意図を失ってしまうのだ。
(2006.11.21追記)
万全を期して仕上げた写真だったが、それでも「私こんな顔じゃない」という声が上がってしまった。
我輩としては、目つぶりや横目についてチェックし修正しているわけだが、容姿について言われてもどうしようもない。
やはり撮影係としては今回限りとすべきであろう。得るものが無ければやる意味も無い。
この判断も、政治的意図によるものである。あくまで今回は、第一印象を決めるためのパフォーマンスであった。
もう、絶対やらん。