その後、我輩は覚えたての輪ゴム飛ばしを写真に撮ってもらった。輪ゴムを飛ばす瞬間を撮ってもらおうと思ったのだが、父親のタイミングが悪く、何度も何度も撮ってもらった。
その間、あの"知らない人"は我輩の後ろでギターを弾いていた。不思議な人だな、と少し思ったが、それ以上は気にしなかった。
しばらく後に知ったのだが、この"知らない人"は、菅原洋一という歌手だった。父親の事務所の講演会のイベントとして菅原氏を呼び、父親は菅原氏の身の回りの世話をする係だったらしい。
当時、菅原洋一氏は国民的人気歌手だったそうで、我輩はそのことを知らず、何の感動も無く菅原氏と写真に収まった。そして、ギターを弾く菅原氏を背景にした輪ゴム飛ばしのくだらない写真まで撮った・・・。
子供の頃であるから、有名人と言われてもピンと来なかったのだろう。ファンであるかそうでないかという以前に、名前や顔すら知らなかったのだから仕方無い。
だがそうは言っても、九州の片田舎の子供が出会うには偉大な有名人である。そのことを意識出来なかったのは、今考えると残念な事この上無い。
さて、それから時を経た今から5年ほど前、
雑文102で南正時(みなみまさとき)氏とお会いしたということを書いた。
実は我輩、南氏のことを知らず、職場の営業の者から「南さんという鉄道カメラマンと会う約束をしたから同席してくれ。」と言われた時には「何者だそれは?」と失礼なことを言ってしまった。
実際にお会いした南氏は、普通のオイちゃんであった。南氏の自宅兼事務所で、マルチメディアCD-ROMの話を色々とした。そして1時間くらいで帰社した。いつものような仕事の打ち合わせと何ら変わることは無かった。
しかしここ最近、南氏の名前を目にすることが多くなった。それは、昔から持っていた鉄道雑誌や鉄道写真集であった。
普段は写真家の名前など見ても特に気にしないが、南氏とお会いしてから、その名前だけは目に入り始めたのである。
「・・・なんだか、南氏の名前がよく出てくるな。意外と有名なカメラマンなのだろうか?」
雑文102を書いた時点では、まだそんな認識だった。
ところがつい最近、決定的な発見をした。
子供の頃から愛読していた「コロタン文庫」や「秋田書店」、そして「ケイブンシャ」等から出ていたミニ大百科シリーズで、南カメラマンが写真付きでよく登場していたということだ。しかも編集者と共に漫画で登場したり、取材記などが写真付きで載っていた。
そして初めて、「この人がそうだったのか」と認識した。
我輩にとって南氏は、子供の頃から知らず知らずのうちに影響を与えられていた存在だった。そんな人に知らないうちにお会いし、しかも我輩は「CD-ROM化検討のために」として南氏から「失われた鉄道100選」という本まで譲り受けた。
もし意識していたならば、その本にサインでもしてもらうところだったのだが・・・無念。