[328] 2002年01月12日(土)
「予定調和」
新年が明けて十日以上も経つというのに、この雑文のほうは新年を迎えることがなかなか出来なかった。
それというのも、我輩に新たな試練が課せられたからに他ならない。
今回の話は、いつも以上にクドクドと長くなりそうであるが、それが我輩の苦難を表現することにもなるため、敢えて要約せず書き連ねることにする。言ってみれば、「世界一長い言い訳」とでも言おうか。
もちろん、最後には文の筋を1本に束ねようと思ってはいる。何が言いたいのかだけが知りたいのであれば、文章を色分けしてあるので、もし面倒ならば、白文字の部分だけを読めば一応の意味が通る。青文字は読み飛ばしても良い。
先日、パソコンの増強を果たした。
我輩はスチルカメラを専門にしているため、ビデオ撮影というのは基本的にはやらない。その理由として、「出来ない」ということと「やらない」ということが複合している。
まず、「出来ない」ということについての理由。
ビデオは基本的にカメラの画面の動きが重要であり、スチル写真のように一瞬のフレーミングに集中すれば良いというわけではなく、常にカメラの動きを意識しておく必要がある。思いつきでカメラを動かすのは一番タチが悪い。被写体の動きに翻弄され、観る方が疲れてくる。被写体の一瞬先の動きを予測しながら、どのように画面で動きを追うのかを考えるにはそれなりの訓練が必要とされよう。
次に、「やらない」ということについての理由。
趣味としてやるならば、適当にやってお茶を濁すなどというのは自分自身が許さない。中途半端なものならば、最初から全く手を付けないのが我輩流。右手にスチルカメラ、左手にビデオカメラなどという芸当はとても出来そうにない。
実際、我輩は過去にビデオカメラを2度購入した経験があるが、そのいずれも長続きせず売却してしまった。単に「新しモノ好き」の心を一瞬だけ満たすに過ぎなかった。結局は金のムダであるから、もう二度とビデオカメラには手を出さぬことを誓った。
ところが最近、ヘナチョコ妻の要請でビデオ撮りが必要になってきた。元々、ヘナチョコは習い事の発表会でビデオ撮りが発生することが多いのであるが、今までは他人や業者がビデオ撮影したものを観ていたので、ビデオカメラが必要とされる場面は無かった。しかし色々な事情もあり、「やっぱりビデオカメラはあったほうが良い」というヘナチョコからの要求が強くなってきた。
ヘナチョコ妻はヘナチョコであるので、ビデオ撮影から編集まで全てを我輩に任せようという魂胆である。我輩はそれを頑なに拒んだ。しかしヘナチョコは変なところで頑固になることがあり、双方の言い分は平行線のままだった。仕方無く、我輩が妥協案として「もしパソコンでDVD-Videoを制作する環境が整ったら、編集作業だけは引き受けても良い」と提案した。そしてその際に掛かる費用を見積もってヘナチョコに渡した。
ヘナチョコはビデオの整理が大変だということは理解していたため、その妥協案には即座に同意し、必要と思われる費用が家計からまかなわれることとなった。
面倒な作業が増えるが、自分の小遣いを減らすことなくDVD-Video制作環境が整うというのは願ってもないことだ。
DVD-Videoを作成するには、画像をキャプチャー(取り込み)してMPEG2ファイルにエンコード(圧縮)するボードと、それをDVD-Video形式でディスクに書き込むライターが必要となる。
メインパソコンはPCIスロットの空きが無く、しかも重い処理をこれ以上させるわけにもいかないので、Video-CD作成用となっているセカンドパソコンをDVD-Video作成用にグレードアップすることとした。
そのパソコンのスペックは「Pentium2-350MHz」。「Pentium4」が主流の現在ではかなり非力ではあるが、Video-CD作成用ということもあり、今までは全くグレードアップの必要性が無かった。しかし、そのスペックはDVD-Video作成用とするならばかなり厳しい。
通常、キャプチャーボードはPCIバスという高速なデータ転送可能な接続で繋がれるので、パソコンのCPUによってソフトウェア的にエンコードする。しかし、その場合はCPUにそれなりのスペックが要求されることになる。「Pentium2-350MHz」ごときでは全く歯が立たない。
そこで非力なCPUに負担を与えないよう、特にキャプチャーボードのハードウェアでMPEG2にエンコード出来るボードを選んで買い求めた。しかしこれでも最低要求スペックは「Pentium2-400MHz」となっている。現状では性能的余裕が全く無い。
とりあえず試してみたのだが、一応、動画は正常にキャプチャーされているように見えるが、キャプチャー中のプレビュー画面の動きがコマ送り状態で見るに耐えない。画面と音がズレて見えるので不安になる。
しかも、キャプチャーしたMPEG2ファイルの容量が大きく、ハードディスクの容量がこの先危うい。
次の日、60GBのIDEハードディスクを購入。これでとりあえずの問題はクリア出来るはずだった。しかし、メインボード(マザーボード)が大容量ハードディスクに対応しておらず、BIOSアップデートツールさえも「対象外」と表示される始末。
大容量ハードディスクに対応したメインボードは他にも転がっていたが、そのボードに換える手間を考えると、現在のギリギリスペックを向上させる良い機会だと思い、「Pentium3」にすることにした。
しかし、実際に店頭で探してみると、もはや「Pentium3」関連製品の選択肢は少なく、まさに終点間近の列車に乗ろうとしているのは明白だった。もしグレードアップするならば、「Pentium4」(しかもSocket478)を選ぶしか無かろう。
そうなると、今度はパソコン筐体が問題となった。筐体に付属している電源装置が「Pentium4」仕様ではないので、新たに筐体を購入しなければならない。狭い住宅ではさすがにこれは無理だ。余った筐体は処分に困る。そこで、値段的にはあまり変わらないが、350Wの電源部のみを単体で購入した。もちろん同時に、「Pentium4」とメインボードも購入。金がかかる・・・。
ところが問題はこれだけでは無かった。
新しいメインボードでは、今まで使っていたAGP接続のビデオボードが刺さらないことが判明した。よく見ると、AGPスロットの形状が少し違う。なんと、ちょっと見ぬ間にスロットの切り欠きが1つ増えていたのだ。今度はビデオボードさえも新規に必要となるのか・・・!?
結局は金が続かないので、やむなく古いPCI接続のビデオボードを取り付けた。当面はこれで誤魔化しておくことにする(キャプチャーに失敗することが多くなったが、これが原因か?)。
余談に余談を重ねるが、新しいメインボードはメモリスロットが3つであるため、今まで刺さっていた4つのメモリのうち1つを抜かなければならなくなる。これではグレードダウンとなるので、容量の大きいメモリを1枚買う必要があった(メモリスロットの多いボードであっても、メモリチップの数によっては4枚全てが使えるとは限らない)。
結局はDVD-Videoを作るために15万円も掛かってしまった。
「とりあえずはDVD-Videoが作れれば良い」という動機のグレードアップでしかなかったのだが、ノートパソコンにも負けていたスペックのパソコンが、図らずも我輩のパソコンの中では最強のスペックとなってしまった。
結果的に見ると、ほとんど新規に組み立てたような感じではあったが、外から見れば同じ筐体のパソコンであるのに、段違いの性能には驚くばかりである。
パソコンの場合、CPUを始め、ハードディスク、メモリ、ビデオボードなどのパーツを要求に応じて選択することにより、トータルとしても高性能なスペックが手に入る。パーツそれぞれの性能が向上すれば、全体的な性能も向上するのは当然である。
(もちろん、1つのパーツの性能を向上させてもボトルネックの存在で効果が上がらない場合もあるが、ボトルネックが解消されればその性能は解放される。)
もし仮に、カメラもパソコンのようにユーザーが各パーツを取り替えることが出来るとするなら、そのカメラはどんどん進化を続けるだろうか? どんどん使い勝手が良くなるだろうか? そして、良い写真を多く残せるだろうか?
しかし、カメラというのは内部処理だけ速くても意味が無い。適度な重量、ボタンやダイヤルのクリック感、そして各操作部の配置は重要となる。前回の雑文にも書いたが、例えばグリップというのはその容積と形状自体が性能である。それは、大き過ぎても小さ過ぎてもいけない。丸過ぎても角張り過ぎてもダメだ。それは人間工学と言われ、人間の形と機能に沿った設計が重要とされている。
パソコンでも、キー・ピッチ(キーの間隔)やキー・ストローク(キーの沈み込み)などで人間工学方面からの要求はある。しかし、それはパソコンの本質的な性能ではない。パソコンはあくまで処理装置である。
カメラの場合では、手に持って使う道具であるということから、人間工学の塊とも言えよう。人間工学という言葉がいつ生まれたのかは知らないが、先人たちは無意識のうちに人間が一番使い易い道具を目指してきたことは、カメラの歴史を見ればすぐに解るだろう。
(ちなみに、これは 前にも書いたことだが、人間工学とは「握る形にフィットする」という安易な話ではない。目的によっては角を付けて適度な抗力で手応えを与えることもある。そういったサジ加減は設計思想に依存される。単に指のラインをなぞっていれば良いと考えている設計者がいるとすれば、まったくもって浅い考えと言わざるを得ない。)
そう考えると、「最新型カメラ=良いカメラ」とは必ずしも言えない。パソコンならば全体を考えなくとも、とりあえずは部分部分の性能を向上させていれば、今回の我輩のパソコンのように「いつの間にか」高性能なパソコンが完成してしまう。予定調和の最たるもの。
だがカメラは、全体を考えて作られなければならぬ。如何に個々の部品に最新技術を注ぎ込んだとしても、それがトータルとして素晴らしいカメラとしてまとまるとは限らない。
カメラのカタログを読むと、個々のスペックから予定調和の実現が期待されるが、やはりトータル性能が求められる機械であるからには、実際に手に取ってみなければそのカメラの価値は判らぬ。
我輩の場合、時代遅れのカメラ「Nikon F3」でそれを知った。
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