2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
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9.掲示板
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12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[082] 2000年 7月11日(火)
「デザイン」

米国銃器メーカー、コルト社の傑作オートマチック拳銃「コルト・ガバメント1911A1」。
このガバメントは、他の多くのオートマチック拳銃の手本になり、今なお多くの国々で使われている。米国では、映画「ダイハード」でお馴染みの「ベレッタM92F」が公用銃として置き換わっていったが、ガバメントの基本性能の高さと信頼性から、いまだにベレッタを受け入れない団体もあると聞く。
ガバメントの洗練されたメカニズムはもちろんだが、何といっても人間が使い易い直線的グリップデザインは90年近く経った今でも色褪せない。人間の手の形は、数十万年ものあいだ同じままなのだから、当然と言えば当然だ。

人間の手に合わせたような、いわゆる「人間工学もどき」の銃は多い。まるで、粘土を手で握った形をそのままグリップにしたようなオプショングリップさえある。確かにそれは手にフィットし、短時間の使用には良いかも知れない。しかし、長時間の使用ではそれが逆に苦痛となる場合がある。

モデルガンを手にしたことのある者なら理解できると思うが、金属の銃はかなり重い。長時間持っていると、手がダレてくる。しかし、「人間工学もどき」のグリップだと、全ての指がグリップにフィットしているので、逆に引っかかりに乏しい。一見、使いやすそうなデザインも、こんな落とし穴がある。ただ単に、手にフィットするものを作るのは簡単だが、それは「人間工学」とは言えない。その銃がどういう状況下で使われるものかを理解し、その要求を満たす設計が必要だ。
そのためには、実際に銃を使ったことのある人間がデザインしないと、なかなか良い物が出来ない。

カメラの場合も、デザインを単に「かっこいいもの」や「手にフィットするもの」と捉えているような風潮がある。一般ウケするデザインは、商売としては大事かも知れないが、本当にユーザーの使い勝手を考えた商品も忘れてはならぬ。

現状を例えるなら、ただ単においしい料理を作ろうとしているだけで、栄養の事は何も考えていないようなものだ。栄養が伴ってこそ、おいしい料理が生きてくる。
そのためには、やはり、実際にカメラを使っている人間がデザインや設計に加わる必要があろう。現状は必ずしもそのようになっていない。芸術の分野から流れてきたデザイナーが、根拠もなく「フィーリング」でデザインするような時代なのだ。

ニコンF3にMD−4モータードライブを装着すると、その直線的なグリップは、まさにコルト・ガバメントのそれだと感じる。最初の握りにくさを通り越すと、逆にその直線が指に引っかかり、長時間のホールドも苦にならなくなる。
F4のグリップは曲線を基調とし、手に馴染みやすいのだが、長時間のグリップは逆に疲れてしまう。夏の湘南でF4を使用したときは、汗でグリップがスベりやすくなり、カメラを持つ手に力が入ったものだ。力を必要とする程、疲れは大きくなる。
F3、F4共にジュージアーロのデザインなのだが、同じ人間のデザインとは思えない。やはり、F3のモータードライブのグリップは、偶然の産物なのか? それとも、長時間の張り込みで撮影するようなユーザーは少なくなったか?

F3は今でも現行カメラであり、カメラマンによっては「F3でなければならない」という者さえいる。これは、冒頭の「コルト・ガバメント」と同じような現象だ。それはグリップだけの理由ではないにせよ、重要な要素の1つであると我輩は読む。

使用状況やカメラの重さによって、そのスタイルは合理的な設計がなされても良さそうなものだ。 それが逆にカメラの、機械としての普遍的な美しさになろう。