以前、我輩は
「適正露出は1つではない」と書いた。しかし、その基準が定まっていなければ、いくら自分の表現にこだわってみても意味を失う。
写真を鑑賞する形態は様々である。
ネガフィルムで撮影したものならば、プリントとして鑑賞するだろう。
カラーリバーサルで撮影したものならば、イルミネータの上に置いてルーペで覗くか、あるいはスライドプロジェクターで投影させて鑑賞する。
更に、印刷物にして観る場合もある。
最近では、パソコンへの取り込みも容易になり、ブラウン管や液晶パネル、液晶プロジェクターで観ることもあるだろう。またパソコンの場合、カラープリンターへも出力できる。
写真を正しく観るには、光源が正しいものでなくてはならない。
フィルムの銘柄、種類、1/3段の露出補正、色温度、フィルター、レンズの発色など、撮影時の細かい露出や色調整にウルサイ人間は多いのだが、なぜか鑑賞条件となると無頓着になる者もまた多い。
特にリバーサルフィルムの場合、イルミネータの光量と色温度によって、かなり見栄えが変わってくる。極端な話、露出アンダーの写真が、イルミネータによっては適正露出に見えたりすることがある。これでは、いくら1/3段補正したりしても意味が無くなってしまう。必ず何かの基準があるはずなのだ。しかし、そのことに触れた書籍はなかなか見つからない。
我輩は、昔からこのことが気になっており、「日本カメラ」にハガキを送って質問した。
その結果、我輩の質問は
1994年7月号(224ページ)に掲載され、一応の回答を得た。
しかし、「1/3段の露出補正が必要だ」などと言っている者は、そもそもこのような基準を知っているのだろうか。いくら「経験上、自分のイルミネータの明るさでの適正濃度は分かっている」とは言っても、1度でも基準に照らし合わされてなければ、それはあくまで独自の基準でしかないぞ。それで本当に、その写真が適正露出だと言えるのか。
写真とは、「感性」が重要である。しかし、写真が得られるプロセスというのは、極めて科学的であり、化学的である。適正露出の概念を「感性」の枠の中だけに閉じこめておけば、結局は自分のやっていることの意味を失う。
もっとも、その写真が他人の目に触れることはないという前提ならば、独自の基準でも構わないだろうが。
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明日は、今日の内容を予備知識として、写真のデジタルデータについて書く。
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