テレビやWebなどで「古き良き時代」とか「憧れの田舎暮らし」などという言葉を見聞きすると、「ああ、また戯言(たわごと)の類か」と思ってしまうのは、我輩が古い時代や田舎暮らしから出てきた人間だからであろう。
昔は良いことばかりではなかったはずだ。むしろ不便で、非効率で、無理解で、貧しく、不安全だった。我輩が乳児の頃は、握り飯や粉ミルクさえ事欠いたと母親から聞かされた。
田舎暮らしにしても、面倒なことは多いくせに、刺激は極端に少ない。土地は売れずに不良債権化し(※)、交通の便は年々悪くなり、商店街もシャッター街と化す。
(※田舎の土地は売ろうにも売れず、固定資産税を食い扶持とする市町村には物納はおろか無償譲渡も拒否される。まさにトランプのババ抜き状態。)
本物を知らない者というのは、幻想を見るのだろう。美化された理想の昔の時代、理想の田舎暮らし。
そんなものは、現実にはありはしない。
もちろん、本当にそういう生活が馴染む者もいるだろうが、そうではなく、現在の生活をただ否定するためだけに「昔は良かった」とか「田舎に憧れる」と軽く言ってしまう者には大変違和感を持つのである。
これは、カメラの分野でも同じこと。
最近はカメラに妙なものを求める者が多い。数として多いのかは分からないが、そういう意見自体よく目にする。
「金属製のカメラが良い」だとか、「レトロ感のあるカメラが良い」だとか、およそカメラの本質とは関係無い、場合によっては本来のカメラの機能や操作を邪魔する方向性を求める声が多い。
我輩は、カメラメーカーがそういう声を真に受けて、妙なカメラを出していることに大変危惧している。
例えば、OLYMPUSでは完全にレトロ路線にハマり込み、電源スイッチの位置や金属ローレット(ズームリングや電子ダイヤル等)など、レトロデザイン優先で使い勝手を無視したカメラ作りになってしまった。シリーズ名も「OM」だとか「PEN」だとか、完全に後ろ向き。
金属ボディにしても、鋳造品では脆いばかりで衝撃に強いとはとても思えぬ(参考:
雑文374)。かえってファイバー入りの強化プラスチックのほうが粘り強く柔軟で、衝撃には強いんじゃないのか?
昔のAFカメラは、アルミダイキャストの芯をプラスチックカバーでガードしていたものだが、昔が良いと言うなら、そういう昔もあろうかと思うが、どうやらそれはイメージとしての昔っぽさには合わないようだな。
一方、Nikonのレトロ路線については、通常のシリーズとは違う流れの「Nikon Df」を発売した。
これについては我輩も最初こそ「ダイヤル式の意味が無い」と断じたが、よくよく考えれば、レトロに酔った者たちを「Df」に集めて隔離するにはちょうど良いエサだったと思う。「Df」とは別にプロ向けはプロ向けとして、レトロ感のレの字も無く最先端を志向すれば良いのだ。
だが我輩が今使っているSONYや、我輩と全く縁の薄いFUJIFILMなどは、コンセプトが機能性を志向していない。
FUJIFILMのほうはもう完全にレトロ感の追及であり、どこに機能性があるのかを見付けるのが難しい。ダイヤルを採用するのは良いとして、それが最新技術によって消化し昇華していない。ダイヤルの良いところを活かして最新化させたのではなく、ただ単に、昔の使い方に戻っただけだ。いわゆる「逆行」というやつである。
ダイヤルを採用するならば少なくとも、スピーディーに指一本でチャキチャキと動かせるディスクタイプしか無い(参考:
雑文802)。なぜ今さらドラムタイプのダイヤルを採用するのか?
やはり機能性ではなく、ファッションとしてのレトロ感追及でしか無い。
SONYのほうは、妙にツァイス銘にこだわり、デジタル画質にマッチしていないし、レンズ筐体もカッコにこだわるあまりズームリングなどのローレットが金属剥き出しで操作性は良くない。指が滑るだけでなく、固い物にぶつけると衝撃をモロに受けてしまう。ここはゴムを巻くべきだった。
例えばもし、クルマのタイヤがゴムをやめて質感を重視したオール金属製になったら納得出来るか? 多少ゴツゴツした乗り心地になろうとも、金属なら仕方ないか?
確かに昔はゴムを巻かずに金属そのままのレンズもあったが、それでも滑らぬよう指掛かりのある形状を持たせていたし、多少余裕のある時代に入るとゴムを巻くようになった。あくまでも貧しい時代の過渡的産物だったのだ。
そんな時代にわざわざ戻すというのは理解に苦しむ。やはり実用性とは無関係の、ファッションだけのことだろう。
そんなに、昔の憧れのカメラが欲しければ、本当の昔のカメラを買えば良い。
フィルム時代の、ランニングコストのかかる、思い通りに動かせない不便なカメラを使って頑張ってくれ。