[724] 2011年03月21日(月)
「来るべき震災に備えて」
3月11日金曜日の午後、翌日土曜日に開催される日帰り社員旅行の調整のために、幹事である我輩は旅行会社と最終調整をしたり、旅行の手引き(パンフレット)を作ったりしていた。
旅行先は千葉県。
我輩自身は千葉県在住のため、千葉県から東京都を通って勤務先の神奈川県川崎市へ行き、そしてバスでまた千葉県へ入ることになる。面倒ではあるが、幹事であるから仕方が無い。
午後から作り始めた旅行の手引きがようやく出来上がり、数を確認してカバンに入れて一息ついた。
明日はカメラは何を使おうか。
一緒に連れて行く豚児は「PENTAX *istDS」を持って行くであろうから、我輩は中判の「New MAMIYA-6」にしようか。
すると、微妙に事務所が揺れているような気がした。
事務所は工場の中にあるため、近くの建屋にある大型機械が"ドスン"と稼働するとたまに揺れることがある。
しかし、今回は"ドスン"が無い。ということは、これは地震か・・・?
我輩は、地震の時はいつも震度の目安にしている吊り物を見た。
ゆーらゆーらと揺れている。
震度1。
周りを見ても、あまり気付いている職員はいないようだ。
鈍いのか、気にしていないのか。
しばらくすると、吊り物の揺れがだんだん大きくなった。震度2くらいになったか。
さすがにこれならば気にするだろうと、職員たちを見た。
ほらほら、周りを見渡しているぞ。
ところが、しばらくすれば止まるだろうと思っていた揺れは、さらに大きくなってきた。
ちょっと異変を感じて腰を浮かした。避難態勢を取るべきか?
あちこちから声があがった。
「地震だ!」
その瞬間、揺れが猛烈に激しくなった。
窓際のブレース(丸鋼筋交い)がバチンバチンと窓に当たる。
「ついに、その日が来たかっ!?」
恐れていた東海大地震。まさか、今日この日に来るとは思わなかった。
そのことが頭に浮かんだ瞬間、我輩は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
「太い柱に寄れっ!」
次長殿が叫んだ。
それと同時に、所内の照明とパソコンの電源が落ち、突然暗くなった。
「カメラだ、カメラ!」
我輩はカバンをたぐり寄せ、「PENTAX K-x」を引っ張り出して慌てる手でスイッチを入れる。
「早くしないと、揺れが収まってしまう!」
今考えると本当に信じられない思考だが、カメラのことを考えた瞬間に、地震の撮影に間に合うかどうかということが我輩の思考を占領した。
スイッチを入れるのももどかしくカメラを構えたが、揺れている様子を静止画で撮っても意味が無いと気付き、すぐさま動画撮影モードに切り替えた。
"パシャッ"とミラーが上がる音がして、液晶画面に動画撮影の様子が映った。
「よしっ! よしっ!」
もし東海大地震ならば、揺れはこんなものでは収まるまい。
机の上にあるものは全てが雪崩れ落ちるだろう。いや、机自体が行ったり来たりするくらいに揺れるはず。
我輩は、その本番の揺れに備えて身構えた。
ところが意外なことに、揺れはそれ以上強くならずに終息した。
揺れの音は無くなったが、金庫の警報アラームがピーピー鳴り、それが非常アラームのように聞こえる。
動画撮影したものを静止画キャプチャ (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/11 14:50 |
次長殿の指示で、いったん屋外避難をすることになった。
タイミングが遅くなったが、ヘルメットを被り、出口へ急ぐ。
我輩は小走りしながら構内PHSで家に電話をかけたが発信音がしない。携帯電話で掛け直したが、コール音が鳴らない。
もちろん、その時もカメラを前方に向けている。ノーファインダー撮影は日頃から慣れているので、いちいち液晶画面を見なくとも手が撮影方向を見ている。
動画撮影したものを静止画キャプチャ (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/11 14:50 |
外に出ると、他社工場職員たちも外に出てきた。
地区統括役が拡声器で整列を求めた。
避難訓練の手順どおり、所定の位置に集まり人数確認などをおこなった。
職員の1人が携帯電話でワンセグテレビを見ると、東北から関東までの太平洋側で津波警報が出ていた。
震源は東北か?
だとしたら、この揺れから考えると、東北のほうの揺れはかなりのものかと思われた。
<津波警報機> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/11 15:10 |
「地震だ!」
強い余震が襲ってきた。近くに停まっているトラックが前後に揺れる。
「皆、しゃがめーっ!」
統括役が拡声器で指示する。
その時、ゴオーッと音がして見上げると、大型旅客機が低空で飛んできた。
「なにあれ?」
皆も空を見上げた。
こんなところを低空で、こんな大型旅客機が飛ぶのは見たことがない。しばらくすると、今度は別の大型旅客機が同じように低空を飛んで行った。ヘリコプターも2機現れた。
何か不吉なものを感じて背筋が寒くなる。
<低空を飛ぶ大型旅客機> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/11 15:21 |
寒くなると言えば、最初は緊張感のため気にならなかったが、気付くと外の寒さが身に染みる。
屋内に入りたいが、まだ余震があるので入れなかったが、さすがに1時間近くもいると寒さやショックで体調が悪くなる者も出てきた。
そこで、細心の注意を払いながら所内に戻り上着や荷物を取りに戻ることになった。そしてそのまま、この日は解散・帰宅という指示が出た。
夕方になったせいで、停電中の所内はかなり暗くなっていた。
我輩は、ロッカールームへ上着を取りに行った。そしてふと、いつもは着ないセーターが目に付いた。
最近は残業禁止令があるので遅くまで居ることは無かったが、残業のあった頃は暖房の切れた工場建屋はかなり冷え込む。寒さのため、キーボードを打つ手が麻痺して思うように動かなくなるほど。そのため、セーターをロッカーに入れていたのだが、一度も着ぬままの状態だった。
状況を鑑みると、通勤難民になるのは容易に想像が付く。この規模の地震、そして続く余震、電車は恐らく不通となろう。神奈川県から千葉県まで歩いて帰るのは無理であるから、行くところも無く野宿となる公算が高い。この冷え込みを乗り切るには、このセーターは持って行くべきだろう。
そうなると、各自支給されている非常食セットも携行すべきと思われる。
また、職場カメラの「PENTAX K10D」から2GBメモリカードを抜き取りポケットに突っ込んだ。予備の単三電池もある。
不思議なことに、撮影体制が万全と確信すると、不安感は一気に消え去った。
撮影という目的があれば、その実現のためにはどんな困難にも立ち向かえるという"攻め"の気持ちになるのだ。
課長殿と幾つか打合せをしてから職場を後にしたせいで、皆とは離れてしまった。
我輩はJRの駅へ向かおうとしたが、わずかに残った者は「私鉄のほうが動いている可能性が高い」と反対方向へ分かれてしまった。
我輩は、同じくJRへ向かう所長代理殿と2人で駅へ向かって歩いた。
途中、交差点にさしかかったところ、信号機は停電で点灯していなかった。
しかし、交差点中央で交通整理をしている者がいた。見たところ警官ではなく、近くの工事現場の警備員のようだった。自発的行動だろうか。だとすれば迅速な対応に感心させられる。
<信号機は停電のため点灯せず> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/11 16:17 |
最寄りのJR駅に到着すると、やはり思った通り、全面的に不通状態であった。
この辺りは停電にならなかったようで、見たところ駅構内及び駅前交差点の信号機は点灯していた。
所長代理殿は横浜が自宅とのこと。我輩は千葉方面であるから、本来ならばここでさようならとなるはずだが、この状況では2人とも身動きがとれない。この辺りでは宿泊施設もまず無いし、どうしたものか。
<JR線全面不通> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/11 16:27 |
ふと見ると、同僚らが4〜5人集まっているのが目に入った。我輩より先にJRへ向かった組らしい。
その輪の中に見知らぬオイちゃんがいたので、最初はたまたまその場で親しくなっただけかと思っていたら、実は協力会社の部長殿ということだった。
寒い中では身体が冷える。
出番が早いが、ロッカーから持ち出したセーターを着込んだ。
そのうち、1人が駅のコンビニエンスストアで使い捨てカイロを人数分買ってきて配ってくれた。ありがたい。
また他の1人がホット飲料を人数分買ってきてそれをまた配った。そして今度は、協力会社部長殿がサンドイッチを買ってきて配った。
我輩も何かしなければとポケットを探ったが、400円しか無い。急いでコンビニエンスストアのATMで金を下ろした。だが、次に買うものが思い付かないので、無理に買うことも無い。とりあえずは次の機会をうかがうことにしよう。
それにしても、相変わらず携帯電話が通じない。規制がかかっているようで、発信すら出来ない状況になっている。
こんなことは今まで経験したことが無い。
ただし携帯メールは大丈夫なようで、それによって家族の無事は確認出来た。
営業の者が所長代理殿に、営業車を使って皆で帰っても良いかを訊ねたのだが、所長代理殿は「いやー、ダメでしょう」と許可を出さなかった。
その時、川崎駅までバス振り替えがあるとのアナウンスがあり、所長代理殿はそちらに行ってしまった。川崎まで出て、横浜まで歩くつもりらしい。見ると、駅前のバス停には長い行列が出来、バスはかなり満員状態になっていた。
我々は、寒いので改札の内側に入ってしばらく待ってみた。
我輩は「恐らくすぐには開通すまい」と思っていたので、このまま皆と一緒に待っていてもラチがあかないと思い始めた。あてもなく歩いてみるか?
しかしそれは自殺行為に近い。
しばらくすると、我輩の携帯電話に着信があった。
相手は旅行会社からだった。明日の旅行は中止にするが良いか?という用件だった。
我輩はそれに了承し、電話を切った。
電話が繋がるようになったのかと思い、改めて自宅にかけてみたのだが、やはり先程と同じで発信すら出来ない。
18時半になり、駅からのアナウンスがあった。それによると、本日中の運行再開は無いとのこと。駅構内はその瞬間どよめいた。
どうする?
その時、課長代理殿が合流した。営業車の使用許可が得られなかったという話をしたところ、「こんな状況だからクルマを使おう」と言ってくれた。
とりあえず、ここで立ったまま居るのは辛いので、近くのビルのロビーに避難することにした。
外は、とにかく風が強く、寒かった。
やっとの思いでビルのロビーに入り、待合コーナーの席を確保。
<避難先のビルのロビー> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/11 18:59 |
まず、それぞれの行き先別に分かれる。
2人が鎌倉方面。協力会社部長殿が東京都内の職場に戻る。残り4人は東京・千葉方面。
運転手の営業が千葉方面なので、まずは鎌倉方面の2人をクルマに乗せて行くことになった。残された4人は、それが終わってクルマが戻ってくるのを待つことになる。
この時、時間は19時。
3人を見送った後、我輩を含む4人はロビーにいたのだが、人の出入りで外の風が入ってきて寒い。特に、ヒザが冷える。
たまらずイスとテーブルをその奥のエレベーターホールまで移動させてそこで待つことにした。
我輩たち以外のグループもエレベーターホールに移ってきていた。
ちなみに、エレベーターは緊急停止中のようで、復旧案内のアナウンスが定期的に流れる。
時々、強めの余震が襲ってくるが、その度に点検をしているようで、アナウンスからもその大変さが伝わってくる。
我輩はとりあえず、社員旅行の中止を伝えるため、参加者の連絡表を見ながら電話をかけてみた。
しかし、電話がかからない。NTTドコモなのだが、ダメなのか?
側にいた別の者が、「私の携帯でかけてみましょう」と電話をかけてみたところ、見事に繋がって用件を伝えることが出来た。ちなみに、その携帯電話もNTTドコモだった。
協力会社部長殿を除く3人(全員NTTドコモ)で手分けして電話をかけてみたが、やはり先程の携帯しか繋がらない。
我輩も自分の携帯電話も何度かリダイヤルの連打で10回に1回くらいは発信が出来ることが分かったのだが、受け手側で繋がらないらしく、自動アナウンスが流れるのみ。
そうこうしているうち、3人とも携帯電話の電源が心細くなってきた。1人が持っていた単三電池から給電出来るアダプタを交代で使った。
<イスが運び込まれたエレベーターホールを拠点に電話連絡> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/11 20:12 |
それにしても寒さが堪える。
近くの席では、ビルのコンビニエンスストアで買ったと見られるカップ焼きそばを食べている者がおり、その美味そうな匂いが漂ってくる。
ここでカップラーメンでも食べ、寒さと空腹の解消を図ろうかと思った。今までは買ってもらってばかりだったので、我輩がカップラーメンを買ってくれば収支が合う。
だが、カップラーメンには湯を入れて持って来る必要があり、4人分を我輩だけで持って来ることは難しい。
そこで、課長代理殿に声を掛けて2人で買いに行った。
ところがレジ会計は課長代理殿が我輩を抑えてやってしまい、結局は我輩が金を出すチャンスが無かった。
<カップラーメンで夕食> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/11 21:21 |
食後しばらくは身体も暖まったが、手足は寒さで辛い。鼻水が止まらず、何度も鼻をかむ。
あまりに寒いので、持ち出した非常食セットの中にあった非常ブランケットを広げてひざに掛けた。これはかなり薄いアルミ箔のようなビニールシートだが、これでも寒さが柔らいだ。
<非常ブランケットで防寒> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/11 22:10 |
その後、電話連絡を再開したのだが、我輩と課長代理の携帯電話からは繋がらないので、ビルの公衆電話ブースから電話をかけてみることにした。
公衆電話は2つ。当然ながら順番待ちにはなっていたが、驚くことに公衆電話では一発でかかった。2人で2つの公衆電話に何度も並びながら、ようやく全員に連絡が取れたのは23時に近かった。
それにしても、単三電池アダプタから給電しても、携帯電話の電池容量表示は全く増えない。こういうのは電力消費を緩和するだけで充電出来るほどの力は無いのかも知れない。
周囲を見渡すと、ロビーに幾つかコンセントがあるのが目に入った。
無断でコンセントを使うのは問題があるかも知れないが、こういう状況だから仕方無い。我輩はACアダプタを取り出してコンセントから充電をし始めた。他の者にもコンセントの存在を知らせたが、ACアダプタを持っている者は我輩しかおらず、結局は順番で充電するしか無かった。
ところで、鎌倉方面へ行ったクルマはいつ戻ってくるだろうか。
そう思っていると、24時近くに電話連絡があった。出発して5時間も経っているのに、まだ目的地に着いていないという。渋滞が酷いらしい。
こんな調子で、ここまで戻って来れるのか? そして千葉方面まで行けるのか?
そうは言っても待つしか無い。
ただ、座って待っていると寒さで耐えられない。長丁場となりそうなので少し眠ろうかと目を瞑るがとても無理。
ロビーにあるコンビニエンスストアも23時で閉店してしまったので、暖かいものも買えない。
皆たまらず、立ち上がって足踏みし始めた。
<立って寒さに耐える> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/12 00:08 |
我輩は電子書籍の「amazon kindle」を持っており、そこからインターネットにアクセス出来るのだが、刻々と地震被害のニュースが入ってきて、この地震はただの地震ではないと感じ始めた。
死者が数十人単位で増えている。
だが、津波によりある地区では300人が犠牲になった可能性があるというニュースを見た時は、さすがに目を疑った。
もしかしたらこれは、阪神大震災にも匹敵する震災ではないのか・・・?
そんな時、館内アナウンスがあり、暖房装置が復旧したとのことで、少しずつ暖かい空気が入るようになった。
もちろん、一気に寒さが解消されるわけではなく、ほんのり暖かくなってきたような気がするという程度だが、少し希望が出てきた。
ふと時計を見ると、もう1時過ぎ。
なんだか時間が経つのが異様に早い。地震が起きたのが昼過ぎだったような気がしたのに、もう翌日とは。
正直言って、時間の感覚が無い。
少し座って目を閉じていた。
寒さで眠れないので、黙想状態である。それこそ、時間の経過が分からないくらい、頭の中がボンヤリした状態だったが、急に誰かがやって来た気配がしたので顔を上げてみると、鎌倉方面に行った運転手の営業が帰ってきたところだった。
時計を見ると、2時半近く。
行きと比べると早い時間に思うが、帰りは渋滞が無かったらしい。
とにかく助かった。
これから東京・千葉方面へ向かう。
急いでトイレに行ってからクルマに乗り込んだ。
<鎌倉へ行って戻ってきたクルマに乗り込む> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/12 02:27 |
気の毒なことに、運転手は何も食べていないので、サンドイッチなどを渡して食べるように言った。
運転を代わることも少し考えたが、この運転手は千葉方面は裏道まで熟知しているので任せるしか無い。
クルマは、以前我輩も運転したことのある「三菱ギャラン・フォルティス」(参考: 雑文678)。
大きさには余裕はあるが、それでも5人乗るのは後部座席が少々狭い。だが、暖房が効いているので非常に有り難かった。
<東京・千葉方面へ向け走る> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/12 02:32 |
最初は順調だったものの、都内を抜けるあたりで渋滞が始まった。
途中、災害派遣の自衛隊車輌の車列やレスキュー車輌に遭遇するなどして、報道以外の実体験として大きな災害が起きたことを実感し始めた。
<災害派遣の車列> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/12 03:48 |
車内では、情報収集のためテレビをつけていたが、しきりに番組が中断され、早期地震警戒システムの「緊急地震速報」のアラームが鳴り響く。
「強い揺れが予想されます!ただちに身の安全を確保して下さい!」
暗闇の中に響くアナウンサーの声が、車内の緊張感を高めた。
そしてそのうち、意外な緊急地震速報が出た。
「今度は、新潟地方に強い揺れが予想されます!」
我々はビックリした。
「新潟!?」
どうやら、今回の地震が他の地方の地震を誘発しているようだ。
日本全体の危機のようにも思われた。
そうこうしているうち、4時半頃になって中野区まで到達。近くに自宅のある職員を1人降ろした。
「気を付けて下さいよ!」と声を掛けた。
5時頃、協力会社部長殿を神田の職場近くで降ろした。
「ありがとうございました!」と降りて行った。
社内旅行を実施するよりも、こういう中で生まれた関係のほうが信頼感が強くなったように思えた。
それにしても、渋滞がどんどん酷くなり、なかなか進まなくなった。
裏道を使って抜けて行こうとするものの、同じように考えるクルマも多いようで、裏道効果は無いとは言わないものの、期待したほどの効果も無い。
そのうち、夜が明けてきた。
東京スカイツリーも見えてくるようになった。
<夜が明ける> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/12 05:39 |
千葉側へは、川を渡るのが一つの関門となる。
川沿い道路を走って橋を目指すが、すぐに渋滞に捕まり進まなくなった。前方を見ると、方向転換をして引き返すクルマが続出。どうやらその橋が通れないようだ。
こちらも同様に方向転換して引き返し、別の橋を渡ろうと思ったが、そちらはかなり混んでおり、通過するまでかなりの時間を要した。
<前方には方向転換するクルマ> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/12 08:07 |
テレビ情報によれば、JR線は本数が少ないながらも開通したとのことで、結局、我輩と課長代理殿は途中でクルマを降りてJRに乗り換えることにした。
最後に残った運転手の営業は、実家の岩手まで破損した家屋の補修手伝いにこれから向かうとのこと。寝てないのに大丈夫かと心配したが、いったん自宅に帰ってしまうともう気力的に出られないだろうと言う。
結局、JR亀有へ到着したのは、10時に近かった。
夜通し走ってくれた運転手の営業とギャラン・フォルティスに感謝したい。おかげで、移動だけでなく、寒さからも守ってくれた。
ありがとう。
感謝の気持ちを込めて、その去り際を撮影した。
<夜通しありがとう> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/12 09:56 |
我輩と課長代理殿は、早速亀有駅ホームまで昇り、電車に乗ろうとしたが、しばらく停車しているようで満員状態で動きが無い。
<なかなか発車しない電車> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/12 09:58 |
ここで足止めかと思われたが、間もなく運転再開の知らせが出て、乗車。
途中駅での乗客出入りでかなりの混雑にもみくちゃにされたが、何とか自宅最寄り駅まで到着した。
駅からの帰り道、よく見ると、街中には地震によると思われる破損が各所に見られた。
<近所の被災状況> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/12 10:35 |
ただ、そのどれもが軽微なもので、壁のひび割れやブロック塀落下などに留まり、家屋の根幹に関わる破損が無さそうに見えたのは幸いだった。
<近所の被災状況> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/12 10:36 |
自宅のほうは、全体的に特に問題無いように見えたが、玄関側の内壁壁紙が少々裂けていた。
恐らく一時的な力がかかっただけのものと思うが、念のため、後日工務店にて点検してもらうことにしたい。
<自宅玄関内壁壁紙の裂け> (※クリックで拡大) |
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自室のほうは、元々片付けが為されていないせいで、地震前と地震後の間違い探しが困難だった。
しかし仔細に見ていくと、微妙に小物の位置が違うのが判った。
ただし、機材庫に保管してあった「国産名車シリーズ」のミニチュアカーが高所より落下し幾つか破損していたのは残念である。中には修復不能なほどに粉砕されたパーツもあるので、少々心理的ダメージを受けた。今はそれらの手当も含め、自分の視界に入れたくない気持ちである。
<破損したミニチュアカー> (※クリックで拡大) |
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さて、余震が続く中、自家用車のガソリンが残り少ないのがかなり気になったので、もしもの時のためにガソリンを満タンにしておくことにした。最近はガソリン価格が高騰しており給油を控えていたのだが、そうも言っておれまい。
ガソリンスタンドに行くと、クルマが他に1台居るだけで寂しい状態。やはりガソリン価格の高騰が影響しているようだ。しかし、地震危機のせいで少しくらい混んでいても良さそうなものだが・・・?
ちなみに、この日のガソリン単価はハイオクで152円/L。もっと早めに給油しておけば安く済んだものを。
<すぐさま給油> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/12 11:05 |
以上が、我輩の地震体験の写真記録である。
報道機関とは異なり、我輩の周りで起こった範囲での撮影に限られているが、少なくとも報道機関の提供する写真画像よりも大きな画像が閲覧出来るようにした。
また、一般人の撮影する携帯電話画質のような、見るに耐えない酷い画質ではないところも、我輩が撮ったことの意味を持つものである。
なお、今回撮影した動画については、下に掲載したので併せて参照して欲しい(オリジナルサイズは1280x720)。
後に、今回の地震は「東北地方太平洋沖地震」と名付けられた。地震名とは別に、震災名としては色々と出ているようだ。
今回は、以前から危惧されている東海大地震ではなかったため、我輩の目に入る範囲では物理的被害はあまり無かった。そういう意味では、震災写真とは言えないし、そもそも、今後大震災が発生する危険性は解消されていないばかりか危険性はより高まったようだ。
しかし、これから近いうちに起こるであろう大地震に備えるための、多くの経験と教訓を得たと思う。
中には、通勤難民のように個人では解決不可能な問題もあるが、少なくとも撮影体制に関しては、今回の経験と教訓を基に、来るべき震災に備えて更なる工夫を考えたい。
さて、以下は余談となるが、その後の様子も若干掲載したいと思う。
自宅に帰った2日後の3月14日(月)、たまたま休暇を取っていたので電池を買いに出掛けた。前の週に購入していた災害用LEDランタンの電池に使うためである。
ところが、どこに行ってもランタン用の単1電池が無い。
<単1、単2乾電池完売> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/14 14:34 |
そこで、単3型エネループ用の単1スペーサーを買おうかと思ったが、それも無い。
いったい、どうなっている?
<乾電池完売> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/14 14:54 |
トイレットペーパーが無くなりそうになったのでスーパーに行こうとクルマを走らせたところ、途中、妙な車列を見かけた。道の渋滞ではなく、路肩に停まるような状態でクルマが並んでいるのだ。
それらのクルマを追い越して行くと、その先にはガソリンスタンドがあった。
ガソリン給油待ちの列だった。
<ガソリンスタンドに連なる行列> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/14 15:32 |
ガソリンは危険物のため一般家庭では買い溜めが出来ないことから、この現象は恐らく、ガソリン価格高騰により買い控えが進んでいたところに地震が起こったものだから、我輩のように急遽満タンにしたいという"駆け込み満タン需要"が集中したせいであろう。
ギリギリまで待たずに日頃から満タンになるようにしておれば、今回のような状態にはならなかったはず。それは我輩も反省したい。
なお、2日前に給油したガソリンスタンドに行ってみたところ、そこは品切れで閉店していた。
この現象は、各クルマが満タンになれば終息するだろうと思う。(→3月21日現在も解消されていないらしく、そのことから、供給そのものが少ないようだ。)
<品切れ閉店中> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/14 15:50 |
スーパーに行ってみると、東京電力の計画停電の影響で、15時で閉店とのことで入れなかった。
仕方無いので、翌3月15日(火)に午前中のうちに行ってみた(勤務先工場は閉鎖されたため1週間自宅待機となっており我輩は休暇状態)。
スーパーに着いて、早速トイレットペーパーの棚に行ってみると、品物は完全に品切れ状態。今日売り切れたのか? それとも入荷そのものが無いのか?
恐らく、下痢が蔓延してトイレットペーパーが足りなくなったのだろう。お見舞い申し上げたい。
<トイレットペーパーの棚> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/15 10:19 |
食料品を買おうと思ったが、買えるものが何も無い。
計画停電があるため、冷蔵庫を必要としない食べ物を買おうかと思ったわけだが、コーンフレークの棚はガランとしている。
この数日間で朝食の洋風化が進んだようだ。
<コーンフレークの棚> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/15 10:25 |
我輩は一日一回はコーヒー牛乳を飲むので牛乳を買おうと思ったのだが、コーンフレークが大人気ならば当然牛乳も大人気で、低脂肪乳しか残っていない。
<牛乳の棚> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/15 10:26 |
昼食はお好み焼きの予定だが、たまごも、無い。
きっと、関西人の団体が移住してきて、今日はお好み焼き大会なのだろう。
<たまごの棚> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/15 10:45 |
驚いたのはカップラーメン売り場。
こちらは特に買う予定ではなかったが、両脇に設けられた棚に商品が無い。どこかのイベントか何かで、各商品の食べ比べ大会が行われたに違いない。
唯一、そうめんとキムチ系ラーメンだけは、いつもと変わらぬ様子で棚に置かれていたのが印象的。
<カップラーメンの棚> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/15 11:07 |
レジ待ちは、とにかく行列だった。
脇にある冷凍食品は潤沢にある様子。計画停電の影響のため、このような食品は売れないようだ。もちろん我輩も、せっかく冷凍食品を買っても為すすべ無く解凍せねばならぬのは悲しく、買うことは出来なかった。
<レジ待ち行列> (※クリックで拡大) |
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[PENTAX K-x/15mm] 2011/03/15 10:55 |
互いに頼る者の無い東京(東京都と周辺の県)では、今後もこのような買い物パニックは防ぐことは出来ないだろう。
「食べる物が無い」と訴えたところで、自己責任が問われる風潮。誰も助けてはくれない。
世界では、「災害時でも暴動・略奪の起きない日本」として称賛されているという。そんな日本でさえこんな事態に陥るのだから、これ以上を望むには自由な流通に任せずに国家の介入・統制・配給制度は不可欠である。要するに、買い占めを違法だと明確にし、買い占め行動を不可能にすることが重要だ。
そうでなくば、現状では買い占めはあくまで合法であり、批判されるいわれは全く無いということになってしまう。
決まり文句の用に言われる"モラルに問う"ということでは、何も解決しないばかりか、モラルを守る者だけが不平等を被(こうむ)ることになる。
外国人(特に中国人)が多くなってきた昨今、これ以上日本特有のモラルで行動するということは難しく、制度として明確な「良い」・「悪い」を示すことが必要ではないか。
そうでなくば、日常の買い物をする者が罪悪感から買い物が出来ず、一方では買い占めは堂々と行われる。買い占めの自粛を呼びかければ呼びかけるほど、一般の者が苦しむだけだ。
東京でも、安定して食べ物や生活物資が得られる仕組みが必要ではなかろうか。ひいてはそれが、被災地への物資安定供給にも繋がるのではないかと、今回は余談ながらも消費者の立場として感じた。
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