[696] 2010年05月28日(金)
「画像盗用する者は、覚悟して欲しい」
●写真盗用についての今回の経緯
我輩が撮影し 雑文440にて掲載していた「MINOLTA FLASHMETER VI」の外観写真(下写真)が、先日、第三者のネットオークション出品説明写真に無断盗用されたのを見付けた。
<盗用された写真> |
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我輩の脳内には過去に撮った膨大な写真のインデックスが納められているため、一目見ただけでその画像が我輩のものかどうかというのが判る。画像加工で誤魔化そうともムダだ( <ジー コーポレーション>の件でも述べた)。
出品者は古物商許可証を取っている業者らしく、神奈川県の「ハナマル」という。以下にその業者の情報を挙げておく。
オークションID |
wchinazz2007 |
会社名 |
ハナマル(ハナマル) |
代表者 |
山本 震 |
本店住所 |
210-0828 神奈川県川崎市川崎区四谷上町11-12-202 |
業務地 |
210-0828 神奈川県川崎市川崎区四谷上町11-12-202 |
電話 |
044-271-2612 |
ファックス |
044-271-2612 |
メール |
wchinazz@ybb.ne.jp |
URL |
なし |
担当部署 |
販売係 |
担当者 |
山本 眞澄 やまもと ますみ |
営業時間 |
AM 9:00-PM 5:00 |
会社概要備考欄 |
定休日: 土曜日、日曜日 祝日 |
免許情報 |
第452510000881号/神奈川県公安委員会 古物商許可証 |
我輩は直ちに相手方へ抗議のメールを送信したのだが、それに対する返信は無く、しばらく様子を見ていたところ、翌日になってそのオークションは取り下げられたのを確認した。
相手からの言葉が無いだけに、相手がこの件に関してどう思っているのかは全く分からないが、全くけしからんことだ。
防止策としては、一般的には画像隅に署名を入れるなどの方法が考えられるが、ハンドルネームでは著作権を主張する効力が無いため、その方法は単に「画像を汚しておく」という意味でしかないし、トリミングされれば元も子もない。
そもそも、これまでの膨大な画像に署名を入れるのは大変な労力であるし、JPEG画像を保存し直すと画像劣化が激しくなる。それを避けるために元画像から再度加工するとなれば、それこそ途方も無い作業量となるので不可能。
●ネットオークション出品写真について
ネットショップやネットオークションで使われる画像について調べてみると、下記のことが分かった。
ネットショップやネットオークションに使われる写真は、2つのパターンがある。
1つは、新品販売で使われる「不特定売買の写真」。
もう1つは、中古販売で使われる「特定売買の写真」。
新品販売で使われる写真は、実際に販売され消費者に渡る品物とは異なるものである。それを「不特定売買の写真」と呼ぶ。
もしその商品写真に製品のシリアルナンバーが写っていたとしたら、実際に買う製品のシリアルナンバーは異なるはずだ。つまり、1枚の商品写真は、実際の製品数千個・数万個の代表写真である。
よく、カタログ写真で「写真は実際の製品とは仕様が異なる場合があります」とか「写真は国内仕様のものではありません」という但し書きが入っているものはよく見る。場合によっては試作品を撮ったものもある。
消費者の購入意欲を高めるため創意工夫を凝らして撮られることから、画像は表現物としての価値を持ち、一般的には著作権が認められる。
それに対し、中古販売で使われる写真は、1点物である品物を説明するため、現物を撮った写真となる。それを「特定売買の写真」と呼ぶ。
製品にキズが入っていれば、写真で確認出来なければ問題となる。だから、同じ型番の製品を複数台売るにしても、中古であれば1点1点状態が異なるので、それぞれに対して撮影した写真を掲載せねばならない。
製品の状態を正確に伝える意味からも、表現物としての価値を持たせることは出来ず、一般的には著作権は認められない。
さて今回、オークションの出品業者に画像を盗用されたことに関して、出品物は中古品と明記されていた。
通常ならば「特定売買の写真」としての現物写真を使わねばならないケースである。だが業者は、我輩の撮った写真を盗用した。そうなると結果的に、我輩が所有している「MINOLTA FLASHMETER VI」を売るという形になってしまう。
これは大きな問題だ。写真盗用というよりも、窃盗未遂ではないか。我輩のあずかり知らぬところで我輩の「MINOLTA FLASHMETER VI」を売却しようというのだから。もちろん業者にはその意図は無いだろうが、だとしても入札者に対する詐欺行為である。
確かに、このオークションでは説明文章で中古の状態を記述していることから、暗黙知として「写真は不特定売買の写真だな」ということが成り立つかも知れない。
もしかしてこの業者は、我輩の写真をメーカーが撮った写真と見誤ったか? それは我輩にとって光栄だが、中古売買業者が商行為で行なっている以上、メーカー写真と言えども無断使用は出来ないはず。
適当にWeb検索して出てきた画像の中からそれっぽいものを引っ張ってきたのは間違いないのだから、まことに杜撰(ずさん)でいい加減な商売だと言わざるを得ない。本業も推して知るべし。
●我輩の写真の著作権について
7年ほど前、我輩は勤務先の業務に於いて、客先の製品のパンフレットを作成するにあたり、製品現物を借り受けて写真撮影をしたことがある。
その後、客先から「他の案件で製品写真を使いたいので画像を提供して欲しい」との要望があった。
製品は客先のものであるから製品写真を使いたいというのは理解出来るが、後々著作権の問題で揉めることを避けるためにも、写真を撮った我輩自身(つまり写真の著作者)はどうすべきか、そして何か気を付けるべきことは無いのかを確認するため、社内の知的財産関係の部署に相談してみた。
すると、「誰が撮っても同じように写る写真には著作権は存在しない」と言われた。
我輩はその言葉に驚いた。
我輩は、被写体が何であろうと、それとは別に、撮影技術や手間そして経費に対して一定の評価が与えられるものと思っていたのだ。つまり、写真の著作権は存在すると。
しかし、そういう我輩の個人的心情とは別に、法律的な解釈としては、「思想の表現を表わす創作性が無ければ、写真の著作権は認められない」とされるのである。
これは、我輩の写真趣味を全否定するにも等しい内容である。
もちろん、製品パンフレットの件については業務上の問題ではあるが、我輩が趣味の範囲で撮影する写真にも繋がる問題なのだ。
我輩はこれまで、被写体そのものを愛すことが写真の本質であると信じ、撮影者の個性や気配を写真から出来るだけ消し去ることだけを至上命題としてきた。正方形フォーマットを選択したのも、縦位置や横位置さえ撮影者の意思が感じられるからだ。
写真を観る者(自分自身を含め)に、これが写真であることを意識させることの無いよう、情報量(色深度と緻密感)にも拘った。
そのために必要な努力は、作為を込めた写真とはまた別の種類の苦労や努力が必要であった。
具体的な撮影内容を言うならば、「商品撮影」、「地質巡検撮影」、「鉄道・自動車撮影」などである。
観る者に、技法を凝らしたとは意識させず、あくまでも被写体そのものに関心が行くように、そして陰になる部分が無く色再現性の高い正確な描写が、我輩にとっての目指すべき写真であるのだ。
被写体そのものを愛すからこそ、違う色に染めたくない。全てを正確に写し込みたい。ただただ、そう願っていた。
目指すのは、図鑑に載っているような写真、あるいは絵ハガキに使われるような写真である。
そしてそういう写真こそが、時代を貫き存在し得る写真作品であると考えた。
しかしこれらの努力は、著作物という側面から見れば、全く逆効果ということになる。
我輩が追求する「撮影者の個性や気配を消し去る」ということは、つまり「写真の創造性を消し去る」ということに他ならない。
実際の撮影では、あらゆる技術を駆使して、あらゆる努力と費用を注ぎ込み撮影した写真なのだが、その苦労を感じさせないほどに普通に写るようにしたことが裏目に出たのだ。
真っ直ぐなものを真っ直ぐに写すこと、赤い色を赤いままに写すこと、そのように普通に写すということは意外に難しい。なぜなら、「まぐれ」というものが無いからだ。
芸術写真ならば、真っ直ぐなものが曲がって写り思いがけない写真になったとしても、それが心に響くものがあれば良かったりする。しかし我輩の場合、真っ直ぐなものを真っ直ぐに写らなければ、それは失敗写真である。
(※"真っ直ぐに写す"というのは例えであり、実際に我輩が真っ直ぐな写真を求めているという意味ではない)
このように、我輩の撮る写真は著作権の認められない方向性なのだ。
では何を問題とするのだろうか。
それは、我輩の心情的問題である。
確かに、我輩の写真はいずれは人類共有財産及び文化遺産として使われることを希望しているわけだが、自分が存命中のうちに写真を無断で使われるのには抵抗がある。
なぜなら、撮影にかかった努力や苦労や費用は、撮影者が生きているうちは消化出来ないからだ。
人間は、妨げとなる障害を乗り越えて行動を起こす。それが出来るのは、見返りがあるからに他ならない。苦しくても努力するのは、努力の結果として得られるものがあるからだ。もし苦労だけがあって結果的に何も得られないのであれば、誰も行動しないだろう。
せっかく努力したのに、その苦労を認められないどころか他人の手柄にされるのであれば、自分の存在する意義すら失われる。
自己の存在を否定されるということは、法律を越えてまでも抵抗せねばならぬ問題だ。法律で決まっているからと言って「ハイそうですか」とはいかない。断固として闘い、権利を勝ち取らねばならぬ。
いや、我輩だけの問題、個人だけの問題ではない。ひいては社会秩序すら失いかねないことだ。
努力が認められる世の中でなければ、行き着く先に光は無い。だからこそ、写真の盗用には断固抵抗するのである。
●工業所有権について
我輩は、趣味でカメラやクルマ、モデルガン、腕時計などの工業製品を写真に撮っている。
それらについては著作権が認められない可能性があると述べた。背景を無くし、ライティングを整えて商品撮影的に撮ったならば、それは創作物としての個性を失い、写真作品としての著作権の主張を難しくするのである。
だが話はそれで終わりではない。
商品そのものには工業的な意匠が存在し、"工業所有権"として保護されているのである。
例えば、「Nikon F3」を所有する消費者が、それを写真に撮ってWeb上で公開したとする(つまり我輩だが)。
その場合、「(株)ニコン」という法人が「Nikon F3」という工業製品についての意匠権を持っており、我輩がその製品を勝手に撮ったことで意匠権に抵触したとみなされることも有り得る。
<勝手に撮って勝手に掲載したNikon F3の写真> |
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もちろん、メーカーに撮影許諾を受ければ問題は無い。
しかし一旦その作業をやり始めたら、今までの写真を全て掘り返して許諾を受けねばならなくなるし、それ以降は1枚撮って掲載するごとに許諾を受けねばならなくなってしまう。1枚でも漏れがあれば、許諾を取っている意味が無くなってしまうのだ。やるなら全部やるしかない。
調べてみると、写真1枚1枚ではなくWebサイト全体に対して許諾を求めた者も一部にはいるようだが、印刷物のように内容が固定したものならばともかく、Webサイトやブログのような日々追加更新される媒体では、やはり写真1枚1枚の許諾を受けねば意味が無い。
そもそも、該当メーカーも「Nikon」、「Canon」、「PENTAX」、「OLYMPUS」、・・・と数々ある。カメラメーカーだけでなく、フィルムや用品メーカーなど多岐に渡る。
また、後から「それは撮影許諾を取っているのか」と言われた時のために、許諾の記録を管理しておかねばならない。ただし画像が特定出来るようにしなければどれに対して許諾を受けたか分からないので、理想的には、該当する画像をプリントアウトし、それに許諾の署名捺印してもらうほうが確実。
「作業が大変であってもそれが筋というものだからやるべきだ」という意見もあろうが、Web上のほとんどのサイトやブログではメーカーの許諾を取っているとは謳っていないだけに、なぜに我輩だけが・・・という気持ちにもなる。
考えてもみろ、例えばドライブに行ってクルマを入れて記念写真を撮り、それをブログに掲載するためにいちいちメーカーに許諾を受けねばならんとは。背景の中にたまたま写りこんだわけではなく、それを狙って撮っているのだから法的には引っ掛かるはず。
証明写真も困るぞ。メガネを掛けてたりすれば、メガネのメーカーに許諾を受けねばならなくなる。衣服も法的解釈は微妙ながらも個性的な意匠が強いものだけに、脱いで撮ったほうが無難。
ましてや鉄道写真など完全にアウトになってしまうぞ。これなどは自分が所有する車両ではないのだから、撮影時と掲載時にそれぞれ許諾を受けねばならない(撮影時は車両所有者の鉄道会社に、掲載時は車両意匠権を持つ製造メーカーに許諾を受けることになる)。
メーカーも大変だぞ。
毎日毎日、世界各国からの許諾申請が入るため、専用の部署を設けて対応に当たらねばならない。
大企業ならば効率化のためにWeb申請のシステムを導入するだろうが、それでも画像を人間の目で見て判断することは不可欠となる。
だが、現実にはそんなことがあるはずもない。
もちろん、営利目的で撮影される写真ならば何かしらの規制を受けるべきだろうが、我輩のように個人が非営利で撮影・掲載する写真について、現実的には規制を受けるとは思えないし、他の無数のサイトを見渡せばメーカーに黙認されていることは明らかである。
よって、我輩の非商用利用の撮影行為に関しては、法的な問題はクロだが、現実的には無問題と言える。もし問題があるとすれば、世界中の老若男女のウェブマスター及びブログ/SNSユーザーに手錠がはめられることになろう。
●結局のところ
今回のことで、著作権に関する法律解釈によれば「創作性が見られず誰でも同じように撮れる写真に著作権は存在しない」という判断が一般的だということが分かった。
これに則れば、先日北陸の雄島で写した柱状節理の写真も、著作権は認められまい。なぜならば、険しい崖から覗き見るため撮影ポイントはほぼ限定されており、誰が撮っても同じアングル/フレーミングとなる。極端なシャッタースピードやカラーフィルター、月夜での長時間露光などの工夫をしない限り、誰が撮っても同じような写真になることは避けられないのだ。
<著作権が認められないであろう雄島の柱状節理の写真> |
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そうなると、この写真が旅行業者のパンフレットに無断転載されても文句は言えないということになる。著作権の無い写真だから法的に問題無いのだ。
(※法廷では著作権の判断は個別に為されるだろうが、ここでは最悪のケースを想定している。)
しかし法律以前の問題として、これを撮るまでに2度訪れ数時間寒さに耐えたことの苦労はどうなる?
Web上からワンクリックで手軽に画像を転用することが許されるのであれば、現場に行って写真を撮りに行く必要も無い。わざわざ現場に行った我輩がバカだったということだ。
商品撮影にしても、自分で現物を買い、それを写真に撮っている。もちろん、写真を撮るためだけにその製品を買ったわけではないが、少なくとも自分の所有物の写真である。
それに対し、製品も買わずに画像だけを拝借して利用する者がいても無問題というのは、常識的に考えておかしいではないか。
結局のところ、著作権に関する法律そのものが間違っているとしか言いようが無い。
法律というのは、人間社会の秩序を守り、発展を促進させるためのものであると我輩は思っている。努力に応じた見返りが無ければ、誰も努力などしないし発展も無い。
もちろん"悪法も法"ではあるが、法律は変えることが出来る。調べてみると、著作権改正に関わるパブリックコメントの募集をしていたことがあるようだ。今は募集していないようだが、次にその機会があれば何かアクションを起こしてみたい。
法律が改正されるまでの間は、画像盗用などが起こるたびに大騒ぎして人の目に触れるようにし、我輩なりの問題提起を行っていきたいと思う。
そういう意味で、我輩の画像を盗用しようとする者は、覚悟して欲しい。
<参考> 著作権が主張出来ないことが確実な写真の例 |
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この写真は、過去に我輩がオークション出品用に撮影した写真である。単なる説明写真ゆえに創作性が無いことはハッキリしており、著作権が主張出来ないことはほぼ確実。これがどんなに手間を掛け苦労して撮った写真であったとしても関係無い。 よって、この画像を無断転載されようとも、文句は言えても法的手段は取れないことになる。 |
(2010.06.01追記)
「写真置き場」コーナーにて、写真提供をする方針を立ててみた。
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