[668] 2009年06月26日(金)
「カメラ無くとも写真は撮れる」
一般的に、写実画を描く時、片目をつぶりながら腕一杯に伸ばした筆の柄で主要ポイントを採寸し、それをキャンバス上に転写する。幾つかの大まかな位置決めが出来たら、それらを起点として細かい描写を埋めていくと絵が出来上がる。
この方法は、最低限の技量さえあれば、決められた手順に従って機械的に作業することによりそれなりに正確な描写が可能であるというメリットがある。
とは言うものの、いちいち採寸するのは手間がかかる。
そこで、「カメラ・オブスキュラ」と呼ばれる暗箱を用い、投影された風景をなぞって描く手法が生まれた。
これならば、何も考えずになぞるだけで正確な描写が得られる(参考: 雑文292「先祖返り」)。
<東京ディズニーシーの「カメラ・オブスキュラ」の投影する映像> |
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しかしそうは言っても、なぞることにも一定の技量が必要であるし、なにより根気が必要。
トレース作業をしたことのある人間ならば理解出来るだろうが、目で見た風景をキャンバスに写していくのは楽しいが、投影された線を追っていくような単純作業は面白くも何ともない。
絵を描く楽しさを得るためならば、正確さを捨てて自分の描きたいように描くのが良かろう。
一方、業務に徹して写実性を追求するならば、効率性は重要となる。せっかく風景が平面に投影されたのだから、その映像をそのまま定着させることは出来ないだろうかと思うのは当然のこと。
必要は発明の母。
やがて、感光剤で絵を焼き付ける「ヘリオ・グラフィー(太陽が描く絵)」が生まれたのである。
歴史的経緯から言えば、カメラマンとは、写実派の画家の末裔とも言えよう。絵筆をカメラに持ち替え、目の前の風景を忠実にして手元に収める。
かくいう我輩も、カメラを手にしたのは、絵に限界を感じたからに他ならない。
幼い子供の頃、我輩は庭木の花や、そこに集まる昆虫たちの映像を手元に残したかった。そこで我輩は、絵が上手いという祖父にバラの花を描いてもらうよう頼んだ。
確かに、色鉛筆で描いてもらったバラの花は上手そうに描けていたが、何かが違う気がした。
そこで我輩は、自分が納得する絵を自分自身で描くしか方法が無いと考え、下手なりに絵を描き始めた。
絵は思ったように上手くならなかったが、それでも絵を描くこと自体に面白さはあり、続けることによる上達分くらいはあっただろう。
(絵というものは、才能よりも努力が大きく影響する。誰にも習わず始められる芸術は、絵画以外には無い。)
さて、小学校も高学年になった頃、家でカメラを買うことになった。それが「ピッカリコニカ(Konica C35EF)」であった。
それまでは祖父の「キヤノネット」があったが、それは祖父が主に使うものであったし、操作も手軽ではなかった。だから、押すだけの簡単カメラがやってきたことは大きな革命となった。
それまで絵で描くしかなかった、いや、描いても実物とはほど遠いものにしかならなかったものが、カメラを使うことにより、正確な相似形として映像を手元に残すことが出来るようになった。
もはや、絵などという不安定な描写力に頼る必要が無くなったのだ。
カメラは、一瞬でその場の映像を切り取り記録する魔法の道具。
我輩にとって、無くてはならぬもの。
カメラが無ければ不安になるが、逆にカメラさえあれば不安が消えてしまう。
ところが、そんな我輩の大切な道具であるカメラが使えない状況が生まれた。
それは、豚児の小学校での授業参観だった。
「授業参観であるから、授業の様子を撮ってやろう」と思っていたところ、なんと授業参観は撮影禁止というのだ。
"撮影は授業の妨げになる"というのが理由である。
確かにその主旨は理解出来る。しかし目の前の様子を映像として記録出来ないというのは何とも歯痒い。
カメラ無くとも写真を撮る方法は無いものか・・・。
そこで我輩は、原点に戻ることを考えついた。
我輩も画家の末裔のようなもの。カメラが使えぬのならば、絵を描けば良いではないか。
昔、シベリアに抑留された日本兵の中で、かろうじて生き延びた者が帰国を果たし、記憶を元にして当時の様子を絵に描いた。
また、原爆投下や東京大空襲、そして関東大震災の様子が絵で残されていることも有名な話。
我々はその絵から当時の様子を知ることが出来る。
また現代であっても、撮影禁止の法廷での様子を絵で再現して報道されたりもする。
絵はまさに、写真と同等の価値を持つ。
カメラマンである我輩は、昔を想い出し、絵を描くことにした。
授業参観当日、我輩は廊下側から教室の様子をスケッチした。
立ったままの状態で、刻々と変わるシーンを短時間で捉えるため、あまり丁寧に描き込むことは現実的ではない。特徴となるポイントを押さえておき、帰宅してからゆっくりと清書する。この清書の工程は、写真で言うところの「現像処理」と言えるかも知れない。
<授業参観の様子を描いた絵> |
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豚児は、最前列の席にいた。そのせいで、表情もよく見える。
何か不真面目なことをするような気がしたので、スケッチしながら豚児を見張っていた。
<豚児とその周囲を描いた絵> |
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しばらくすると、豚児が大きなあくびをした。
我輩はその様子をシッカリと捉え、"証拠写真"として素早くスケッチをした。
「アイツめ、家に帰ったら叱りつけてやるわ。」
<大あくびをする豚児を素早くスケッチ> |
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帰宅後、「おまえ、授業中に大きなあくびしてたろう!」と豚児に言ってやった。
すると豚児は「何のこと〜?」というふうにトボケた表情をしていたが、"証拠写真"を突き付けてやると、観念したように頭を掻いた。
写真ではなく絵であるからシラを切り続けることも出来たろうが、豚児がそれを証拠として認めたということは、やはり絵と言えども、視覚に訴えるものは印象が強かったからだろう。
カメラマンは、画家の末裔である。
その自覚と誇りさえ忘れなければ、カメラ無くとも写真は撮れる。
(2009.07.26追記)
スケッチ画中の「受業」の文字は「授業」の間違い。
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