我輩は、現在は営業部署に属している。
しかし技術・制作部署出身ということもあり、実作業も同時に行う。つまり、自分で営業活動をして自分で制作業務を行うのである。自分1人では手に負えない案件は協力会社に依頼することもあるが、そういう場合であっても客先との技術的な内容を含んだ打合せも我輩一人で対応する。
このように書くと、バリバリに仕事をこなしているヤリ手社員のように聞こえるかも知れないが、実際は不況による仕事量の減少と、人員不足による"よろずや化"によるものである。我輩自身、このような仕事のやり方を好んでやっているわけではない。やらねば生活出来ない。ただそれだけである。
ところが、会社がこのような状況にあっても、まだなお「オレは営業だから」などと言って技術的な話から逃げる奴がいる。
この時代、パソコンや携帯電話などの情報端末も一般家庭に普及し、インターネット人口もかなり多いというのにも関わらず、そんな一般人にすら知識が劣る営業マンがいるのだ。
だから、少しでも技術的な案件があると、必ず我輩に話を持って来る。内容を聞いても「技術的なことは分かんないから客先と直接話してくれ」の一点張り。技術的な話を抜きにしても、客先が何をやりたいかということすら聞けないのか?
こういう人間は、自分から「オレは営業だから」という守備範囲を限定してしまい、理解力の有無以前に、最初から話を聞く気すら無い。
だから、世間一般ですら常識となっている知識であっても、技術的な色合いが少しでもあると耳をふさいで情報入力をカットしてしまうのであろう。
もちろん、営業畑一筋でやってきた人間からすれば、技術的な面はなかなか入り込めないというのは理解出来るのだが、仮にも情報系企業の営業マンであるならば、せめて一般人並にはパソコンやインターネットに興味を持てと言いたい。
自分の殻を打ち破らねば、時代から置いて行かれるぞ。
さて話は変わり、このたび発売されたばかりの「Canon EOS 5D Mark II」で撮られたフルハイビジョン映像を、インターネットから観た。
観た瞬間、鳥肌が立った。
一見、スチル写真のように思えた画像が、次の瞬間おもむろに動き出す。
不思議な感覚であった・・・。
ビデオの動画撮影と、スチルカメラの撮影は、似て非なるものである。
実際我輩も、
カメラ雑文328「予定調和」にも書いたように、当初はビデオ撮影には否定的だった。
そもそも、アナログの時代にはビデオというのはアマチュアとプロとの機材の違いが大きく、画質と機能を追求するならば必要なコストも青天井だった。単純なカット編集をするだけでもビデオデッキが2台必要で、文字入れや各種エフェクトなどを考えるとさらに機材が必要となった。
仮にプロが使う機材が手に入ったとしても、肩乗せの重量級ビデオカメラを運用することは無理である。
どんなに頑張ろうがプロが撮るような映像が撮れないビデオの分野よりも、プロと同じ機材で同じ画質が撮れるスチルカメラのほうが、趣味として面白いのは当然のこと。
ところがデジタル時代になって状況が変化してきた。
パソコンにビデオを取り込めば、編集はソフトウェア次第で何とでもなるようになった。いわゆる「ノンリニア編集」である。しかも、編集時のダビングで画質が劣化することも無い(デジタルでもMPEGのような不可逆圧縮データでは劣化するが、MPEGに書き出すのは編集が終わった最後の最後にすれば画質劣化は最小限である)。
我輩がビデオ撮影に取り組み始めたのも、この状況があってこそである。当時はアナログ式の8ミリビデオカメラを使ってはいたが、パソコンにキャプチャーさえすればデジタル化して編集可能となった。
また最近ではハイビジョン撮影機能を持つビデオカメラが普及しつつあり、むしろNTSCのスタンダード画質しか撮れないビデオカメラはもうほとんど存在しない。
ハイビジョンとしては、後は再生環境が整うのを待つだけであるが、「HD-DVD」と「Blu-ray Disc」の規格競争に決着がついたことから、それも時間の問題かと思われる。
ただそれでも、家庭用ビデオカメラにありがちなノイズやコントラストの高い黒潰れや白飛びは相変わらずだ。しかも撮像素子の面積が小さいためか、被写界深度は深く、表現の幅がとても狭い。まさに家庭用ビデオ特有の画である。
我輩の職場にあるフルハイビジョン撮影可能なビデオカメラでも、ハイビジョンと言うだけあって確かに画素が多いという印象はあるものの、ビデオ臭さはそのまま残っている。
そんな時、「EOS 5D Mark II」で撮られたハイビジョン映像を見て目を丸くした。
この映像には、ビデオ臭さが全く無い。
レンズが自由に交換出来る、撮像素子の面積の大きい一眼レフカメラで撮られた映像が、そのまま動画として動いているのである。素晴らしいとしか言いようがあるまい。
それにしてもこのような革命的とも言えるビデオ機材が発売されたというのに、我輩の目には盛り上がりを欠くように見えるのはなぜか。
恐らく、スチルカメラマンは昔の我輩のように、「ビデオは自分の守備範囲外である」と拒絶反応を起こしている者が多いのではないかと思う。もしこれが真実だとしたら、何とももったいなく、同時に嘆かわしい。
我々スチルカメラマンは、スチル分野での経験を通して多くの知識を蓄積している。ビデオの感覚では考えられないような次元において、画質や描写を追求してきた。交換レンズの特性や、それらに最も適した構図の取り方などの知識は、身体で覚えた貴重な財産である。
そんなスチルカメラの知識が最大限に活かせるビデオカメラとして「EOS 5D Mark II」が現れた。ここで我々が本気を出せば、ビデオ界に革命を起こすことが出来るだろう。スチル界では常識のようなことでも、ビデオ界では画期的なことも多くあるはず。
ここで最大の障害は、スチルカメラマン側が「オレはスチルカメラマンだから」という殻に閉じこもっていることである。
デジタルには静止画も動画も同様に取り扱える自由度があるため、「EOS 5D Mark II」のような製品が出るのは必然であった。今さら、スチル専門だからなどという言い訳は通用しない。なぜならば、一般人でさえ携帯電話で動画を積極的に撮影する時代なのだ。動画投稿サイト「YouTube」を見るがいい。そこには下手クソなシロウトビデオが溢れているじゃないか。スチルカメラ専門とは言え、ビデオすら撮れないなんていうのは恥だぞ。
改めて言うが、「YouTube」にアップロードされている画像の大半は見るに耐えないものばかりである。ピンボケ、手ブレ、日の丸構図・・・。しかも画質そのものも最低と言うしか無い。こんなレベルの低い作品ばかり集まっているのを、カメラマンとして黙って見ておれるのか?
最近になって「YouTube」でもハイビジョン画質で閲覧出来るコマンドが伝わってきて話題になったが、どんなに画質が向上しようが、シロウトが撮るビデオは見るに耐えないことには変わりない。たとえビデオが趣味の者がいたとしても、従来の家庭用ビデオの中でしか撮影は出来まい。
今こそ、スチル出身のカメラマンがこの「EOS 5D Mark II」の超絶能力を活用し、スチルカメラの知識と経験を活かしたビデオを撮るべきじゃないのか?
このまま、「EOS 5D Mark II」のフルハイビジョン撮影機能を、単なるオマケ機能として埋もれさせてはならぬ。
まずは、「EOS 5D Mark II」が入手出来る財力のある者から始めて欲しい。そしてゆくゆくは、世間に圧倒的な作品力を見せつけ、「スチルカメラ出身の奴はちょっと違うな」と思わせようじゃないか。
(補足)
我輩の見た「EOS 5D Mark II」で撮られたハイビジョン画像は、外国人カメラマンが東京を写したものであった。
昔から日本人は、自分たちの作った素晴らしいものに気付かず、外国から評価されて初めてその素晴らしさを認識する。我輩はそのハイビジョン画像から、外国人の目を通して、「東京の風景」と「EOS 5D Mark II」の両方を再評価するに至った。