2000/04/05
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カメラ雑文

[545] 2005年08月02日(火)
「液晶へのこだわり」

子供の頃に任天堂の「ゲーム&ウォッチ」を初めて見た時、その不思議な表示デバイスに我輩の目は釘付けになった。
黒い切り絵のようなものが一瞬にして消えたり現れたりする。よく見るとその絵には影があり、少し浮いているように見えた。
後日、その表示は「液晶(LCD)」というものだと知った。

液晶は消費電力が極端に小さく、ボタン電池2個で数ヶ月もの間駆動する。それまでのFL(蛍光管)式やLED(発光ダイオード)式のLSIゲームなどはスイッチを入れっぱなしにしておくことが出来ず、それと比べると時計代わりにも使えるLCDゲーム「ゲーム&ウォッチ」は、玩具を越えたスマートさを感じた。

その後、ゲーム&ウォッチは大ヒットし、他社からも同様にLCDゲームが多く発売されるようになった。
様々なゲームが巷にあふれ、仲間内が所有するゲームを貸し借りすると実に多くのゲームに触れることが出来た。
最初は珍しかった液晶表示だったが、色々なゲームに触れるうちに目が肥え、見易い液晶や見づらい液晶などが気になるようになってきた。
当然ではあるが、見易い液晶のほうがゲームに集中出来る。

我輩が今まで触れたLCDゲームの中で、バンダイの「クレージーカラス」の液晶は良かった。
液晶マニアならば知っていると思うが、液晶パネルは、貼り合わされた2枚のガラス板に偏光板と反射板が配置されている。クレージーカラスでは反射板が少しギラギラついていたものの明るく見えるため、コントラストが非常に高くクッキリと見えた。

我輩が見たところ、液晶には見易さとして次の3つの要素があるように思う。

まず、コントラストの問題。
液晶が表示されると光が遮られて黒く見える。この黒さが薄くなればコントラストが低下する。また、光を反射するための反射板の色が濃ければそれもまたコントラストを低下させる。
黒い液晶が薄く、明るい反射板が暗ければ、相対的に明度差が小さくなるためである。

次に、視野角の問題。
見る角度によっては、コントラストが低下したりする。場合によっては、モノクロのはずが微妙に色が着いて見えることもある。

そして、液晶の落とす影との距離の問題。
液晶は電圧がかかると不透明になるため(偏光板を通して見た場合)、そこだけ光が通らずその下にある反射板に影が落ちる。このため液晶表示を見ると、表示と影が微妙に重なって見える。当然ながら、影の落ちる距離が大きければ重なりがズレて見づらくなる。これは恐らく、液晶を挟んだガラスの厚さや反射板の位置に関係するものと思う。

これらの問題については、過去にも雑文440「MINOLTA FLASHMETER VI」にて取り上げた。代を重ねるにつれてどんどん液晶表示が見づらくなっていく。これはコストの問題が大きいように見える。
逆に言えば、コストさえかければそれなりに見易い液晶表示になるということか。

MINOLTA FLASHMETER VI(最新型)

ピントがボケているように見えるが、液晶の落とす影が深くダブって見えるため。コントラストも低く、ちょっと角度をつけると見えなくなる。
MINOLTA FLASHMETER V

液晶の影が浅いため鮮明に見える。角度をつけても表示は薄くならない。ただしEL透過照明のためか反射板はやや緑色に透けて見える。
MINOLTA FLASHMETER IV

視認性は非常に良好。LCDゲーム「クレージーカラス」に匹敵するか。

ただコストとは言っても、液晶のコストが全体に占める割合は少ないのではないかと思う。
我輩は現在、TIMEXやCASIO、CITIZENのデジタルウォッチを所有しているが(我輩はアナログ時計はあまり好きではない)、不思議なことに、値段と見易さには関係が無いように思える。最も液晶が見易いのは、5千円の安っぽいウォッチであった。これで透過式のEL照明付きなのだからまさに皮肉。

もちろん、数が捌けない高価で専門的な単体露出計の液晶と、全世界で誰もが使うようなウォッチの液晶のコストは単純比較出来ないだろうとは思う。しかしそれでも、液晶の見易さを犠牲にしてまでコストを削らねばならぬほどとは思えぬ。
なぜ、一番目に付く液晶パネルで手を抜くか。

現在はデジタルカメラが台頭しており、液晶表示カメラですら開発が鈍化しダイヤル式カメラの盟友となりつつある(参考:雑文288「昔の敵は今日の友」)。もはや同情をかける対象とも言えようか。しかしそれでも、液晶クオリティには注文付けたいと思う。

これは、コストをかけて作られたはずの最新最上位機種であるNikon F6でも液晶表示が貧弱だったことを考えると、非常に残念なこととしか言いようが無い(参考:雑文511「あれは本当にNikon F6だったのか」)。
こういうカメラを手放しで誉める者は、いったいどこに目を付けている?
本当に液晶表示デバイスが素晴らしく使い易いとするならば、なぜ液晶そのもののクオリティを追求し問題視しない?

無彩色の明るい反射板に、真っ黒な液晶表示が影も無くクッキリと浮かぶ液晶パネル。
これこそが、我輩の理想とする液晶表示デバイスである。こんなパーツを使ったカメラがあれば、例えダイヤル式カメラでなくとも手元に置いておきたくなる。

それにしても、我輩の他に液晶表示にこだわる者はおらんのか・・・?