ヘナチョコ妻とケンカした。
原因は新居のカーテンについてである。
ヘナチョコは、オーダーカーテンの値段の高さに溜息をついた。新居の窓が既成カーテンのサイズとは全く異なるためである。
聞くところによれば、ヘナチョコの知り合いはカーテンにこだわって一部屋に15万円もかけたらしい。まあ、それは極端な例。
ただ我輩は、学生時代にデパートで安売りカーテン/カーペット屋でアルバイトしていたため、「よほど凝らなければあんな単純な布切れ如きに金がかかるわけがない」と感じていた。
オーダーカーテンを選ぶ理由の一つとして、個性を主張したいということがあろうかと思う。大量生産の布地はコストを下げるが、似たものが多く流通することになる。柄や織りや縫製も種類が少なく好みに合うものが限られてくる。
しかしながらカーテンマニアでもない我が家で、なぜにこのようなオーダーカーテンを選ばねばならぬのか。それがサイズだけの問題だとしたら、全く金の無駄としか言いようが無い。
そこで我輩はヘナチョコに提案した。
「カーテンなど、自分で合うように調整して縫えば出来るだろう。」
見れば、カーテンの作りは非常に単純で、やる気さえあれば何とかなりそうだった。生地そのものが高価であるならば、数千円の既製カーテンで大きめのサイズを裾上げなどすれば良かろう。
これは我輩のシロウト考えだが、出来ないという理由が思い付かない。恐らく、可能である。
実はこの提案は以前からのものだったが、もうそろそろ現実問題として取り組まねばならぬ時期に来ていた。
ヘナチョコは強い口調で反論した。
「単純に見えても実は難しい。縫い物を職としている知人がそう言っている。」
ヘナチョコは縫い物を職としている知人の意見を、そのまま鵜呑みにしたかあるいは我輩の提案を否定する材料として利用したわけであるが、我輩にとってそれはあまり説得力を感じなかった。
その筋に詳しい者の意見というのは、裏を返せば常識に囚われた意見でもある。確かに体系的な知識や技能持っているに違いないが、豊富な知識と経験により、無謀さが失われてしまっているのだ。
(参考:
雑文297「挑戦なき者」)
無謀さが失われているということは、若さを失っていることでもある。我輩はそういう意味では"怖いもの知らずの青二才"とも言える。
しかしながら、それこそが我輩のエネルギーでもある。
我輩は動物好きであるから、シェトランド・シープドックのぬいぐるみを何匹か買ったことがある(本物はさすがに飼えぬ。牧羊犬であるから、相当な運動を保証せねばならない。)。しかし毛の長い犬種のためかあまり製品化されておらず、あっても不細工であったりする。
そこで我輩は思った。
「気に入ったものが無ければ、自分で作れば良い。」
針と糸で縫い合わせれば良いのだから、やろうと思えば誰でも出来るはず。
思うのは簡単、作るのは困難。
今までぬいぐるみ作りはおろか縫い物すらしたことが無かった我輩である。しかし目的を持ち、「必ず実現出来るはずだ」という1パーセントの霊感を信じて突き進んだ(参考:
雑文456「中判フィルムスキャナ(霊感と汗)」)。
目的を持っている限り、「困難」というのは止める理由にはならないのだ。
その結果、我輩は目的をやり遂げた。自分のイメージに合うシェトランド・シープドックのぬいぐるみを、現実の世界へ現すことに成功したのである。