昔、ある政治家に対して某団体が街宣車でホメ殺しを行った。
「金儲けの上手な○○センセイを総理大臣にしましょう!」
これを聞いて、「そうか、○○センセイというの某団体がホメちぎるほどの素晴らしい政治家なのか」と思う者は少なかろう。
"ホメ殺し"とは、言うまでもなく、表面上のホメた口調を使って相手を貶(けな)すことである。
以前、我輩は
雑文308「ホメ殺し」にて同じようにデジタルカメラをホメ殺した。これも当然ながら、表面上のホメた口調によって当時のデジタルカメラを貶しているわけだ。
このことは、我輩の意図したものである。
ところが稀(まれ)に、自分が意図せずホメ殺しをやってしまう者がいる。この例については
雑文519「異分野での同志」でも次のように書いた。
”銀塩写真を肯定する者がいても、「手間がかかるところが趣味的だ」とか「粒子感が粗いので味がある」などと変な主張をするためにますます銀塩写真の画質が良くないと思わせてしまう。”
これらの主張については、擁護しようとする意図は十分理解出来るのだが、それがかえってホメ殺しになってしまい、結果的に貶すことになっている。しかも言った本人たちがそれに気付かない。
似たようなことは他の分野でも良くある。
例えば、「8mm映画はスクラッチ(傷)が入るから良いのだ」とか、「レコードはスクラッチノイズがあるから味が出るのだ」という主張。
彼らの主張するこれらの利点は、ビデオや音楽CDなど新しい方式が登場する以前は最大の欠点であったはず。それがなぜか、従来の方式を肯定するための材料とされてしまうのである。
こういった主張は、欠点を嫌って乗り換えた者に対しては何の説得力にもなり得ないどころか、最大のホメ殺しにも聞こえる。
8mm映画やレコードに特別な思い入れを持たぬ我輩がそのような言葉を聞くと、「そうか、やはり8mm映画は画質が悪いのか」とか「結局レコードはそういうものなのか」としか思わない。
「痘痕(あばた)もえくぼ」という言葉があるが、思い入れの無い人間にとって、痘痕は痘痕でしかない。
もちろん、銀塩写真に味方してくれるのは有り難い。だが、欠点を認めずに正当化することだけは止めてもらいたい。もう少し冷静になり、利点や欠点を正しく見つめなければ、ロモグラファーたちのような特異な存在に自らを追い込むことにもなりかねない(参考:
雑文324「小さな野火」)。
(※ロモグラファーたちの世界は裸の王様そのもので、コミュニティーの中で"これは画質が良くない"と言い出せる者が誰もいない。)
今一度、自分の発言がホメ殺しになっていないかを再確認すべし。