大学時代は遠い昔。
今では我輩の居た学部・学科も統廃合され、耳慣れぬ別の名前となった。
夜中には1階の窓から出入り出来た学部棟も、今ではIDカードが無ければ出入りすることが出来ない。
想い出は、つい昨日のことのような鮮明さを保ってはいるが、指を繰って数えると、それなりの年数になっていることに改めて驚く。
「もう、こんなに経ったのか。」
大学時代は人との巡り会いが多く、想いを巡らすと、多くの人々の顔が浮かんでくる。
最初に入った下宿の仲間たち、同じ学科の仲間たち、所属していた茶道部の仲間たち、大学祭実行委員会の仲間たち。
当時は青春であったから、何をやっても楽しく想い出も強い。
また、青春と言えば、恋。
我輩と同じ学科には女性が5人いたが、そのうちの1人が我輩にとって気になる存在だった。
しかしながらそれは片想いで終わり、今となっては苦笑い無しでは思い出せない。
就職活動の時期が来ると、我輩は若さに任せて自分自身で就職先を探した。通常は研究室に各企業(主にメーカー)からの募集が来るため、教授が学生を割り当てる。しかし我輩は、「自分の未来は自分で切り拓(ひら)く。教授の世話にはならん。」と独走した。その結果就職したのが、専攻とは全く関係の無いコンピュータ関係の会社だった。
今考えれば、教授の薦める企業(確かセメント会社だった)の研究所へ入れば、給与の面では今より遥かに良かったろう。肩書きの一つも付いたかも知れぬ。
しかし、自分の選択した道であるから悔いは無い。行動せず後悔を残すよりも、行動して結果を見るほうが良い。それがどんな結果であろうとも。
ただ、同期の者たちとは全く分野の異なる企業のため、業界的繋がりが全く無いのが寂しい。
我輩とその他2〜3名はコンピュータ関連の業種を選んだが、それ以外のほとんどはメーカーへ就職した。同様に、あの片想いに終わった彼女も、某有名メーカーへ就職し、縁は完全に切れた。
つい昨日のことのような想い出であるが、これはもう、昔の話。
さて、そういう想い出が甦るきっかけというのは色々ある。その一つが、その人の名前を聞く時である。
特に、あの片思いの彼女は珍しくもないありふれた名前のため、同姓同名の人間がいても不思議ではない。試しに今、Googleで彼女の名前を検索すると数百件ヒットする。もちろん皆、無関係。
ある時、職員たちの会話の中で、彼女と同姓同名の人物の名前を耳にした。
久しぶりに聞く名前に懐かしく思い、大学時代の想い出が甦った。我輩には何の関係も無い人物ながらも、同姓同名というだけで我輩の記憶を刺激した。
聞くとどうやら、その人物はこの職場に以前いたらしい。
ここは各企業からの出向者から構成されているため、人の入れ替わりが激しい。その人物も、出向期間が終了したことにより、この職場を去ったのである。
ところが、職員同士の会話を聞いていると、何だか別人とは思えない。思わずその会話に割り込んで聞き出すと、確かにその人物の出身大学は我輩と同じであった。
しかしそれでも偶然であることを完全に否定することは出来ず、後日、飲み会時の写真を互いに持ち寄って見比べることにした。
2日後、我輩は大学時代の飲み会の写真、そして職員は職場の飲み会の写真を持って来た。
写真を双方で見比べた結果、これは同一人物であるとの結論に至った。
「名字が変わっていないのか・・・。」
もし名字が変わっていたならば、気付かなかった。そして、写真が無ければ断定も出来なかった。
業種の全く異なる2人が、時期的なズレはあったものの同じ職場にいたという偶然。ちなみに、彼女の後任の者の席は、我輩の真後ろである。
以前にも、
雑文「いつも歩いた道、いつも歩いている道」にて偶然の驚きについて書いたのだが、今回はその驚きをさらに上回るものであった。
ウソのような本当の話。