[496] 2004年06月24日(木)
「いつも歩いた道、いつも歩いている道」
仕事中、我輩は業者に連絡を取るために引出しから名刺帳を取り出した。
受話器を肩で挟みながら名刺帳を開くと、ハラリと1枚の紙片が落ちた。
それは手作りの名刺であった。大きさが一般的なものとは違っていたため、ホルダーには入れることが出来ずに表紙のポケット部分に入れていたものだった。それが落ちてきたのだ。
我輩は、受話器を置いてその名刺を手に取った。インクジェットプリンターで印刷し手作業で切り分けたことが一目瞭然な稚拙な名刺だった。
5年くらい前、我輩はある客を担当していた(この頃は技術担当であり営業ではない)。
客先は某財団法人の事務局で、そこのホームページの運営に関する仕事をしていたのである。前任者からそのまま受け継いだ仕事で、最寄り駅は地下鉄「霞ヶ関駅」ということをそのまま自分の頭にインプットした。そして駅からの道のりは、前任者と歩いた道しか知らない。
都会というのはどちらを向いてもビルばかりで似たような風景であり、それぞれの特徴が無い。しかし、いつも同じ道を往復していただけに、その道は今でも思い出深い。
雨に降られて小走りしたこともあった。暑い日に上着を片手に汗を拭きながら歩いたこともあった。急に呼び出しを受けて夕方の暗い中歩いたこともあった。
我輩は、手にした名刺を見てそんなことを思い出した。その名刺は、当時の担当者の方の名刺だった。
考えてみれば、我輩も別な財団法人へ出向し働いている。
ホームページのことで業者に電話でウルサイことを言おうとしている自分が、今から考えると妙な気分である。
・・・ところで、霞ヶ関というのは地理的にはどの辺だろう?JRの駅で言えばどこが近いのか?
調べてみると、新橋駅に近いではないか。我輩は、地下鉄とJR線との位置関係をあまり把握していないため、そのような当たり前のことを知って驚く。
さらに調べてみると、意外なことが分かった。
我輩が現在通勤時に歩いている道は、かつて客先へ通っていた道を横切っていたのだ。考えてみると、全ての地理的な位置関係が一致するではないか。
しかも、本屋などに寄り道する時には、まさしくその道を歩く。当然、客先の前も知らずに通り過ぎていたことになる。
どうして今まで気付かなかった・・・?
この瞬間、見慣れた風景が一変した。頭の中の記憶が再編成され、新しい世界が組み直されたような気分だった。
もはや用件も無く二度と歩くことは無いと思っていた道を、我輩は知らぬまま日常的に歩いていたのだ。
何とも間抜けな話だが、こんな事もあるのか・・・。
その場所に行くと、今まで見たのと同じ風景。しかし、意識を変えるとフッと景色が変わる。
新しい記憶と昔の記憶が、同じ場所で重なる。同じ場所であるのに、2つの記憶を持つ場所。
我輩は今回の体験により、同じ景色を自分が見るのと他人が見るのとでは、全く違うのではないかと感じた。
我輩が見ている風景は、我輩にしか見えない風景なのではないか・・・?
そのように考えると、妙に孤独感が湧き上がる。
我輩は、自分自身の感覚する世界にしか存在しないのか・・・?
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