●3日目(8月9日)−曾祖父母−
この日は、我輩の父方の祖母に会うことになっていた。
4年前に20年ぶりに再会したきりであるから(参考:
雑文072)、元気でやっているか心配だった。聞いたところによれば、腰を痛めてリハビリ中だとか。もう88歳でもあり、今のうちに豚児に会わせておかねばならない。そうでないと後悔を残す。
昼頃、我輩とヘナチョコ、そして豚児の3人は、仲介役の叔母の家に行った。
豚児は叔母とは初対面だったが、結構打ち解けるのが早く叔母と一緒に遊んでいた。この様子ならば、祖母が来ても大丈夫だろう。
「なん、カメラが壊れたっちゅうたねぇ。新しいの買うたんち?(なんかカメラが壊れたらしいね、新しいの買ったって聞いたけど?)」と叔母は我輩に言った。
どうやらカメラの話が方々を回っているらしい。
しばらくすると、表に車が一台止まる音がした。そして玄関の戸が開いた。
皆で見に行くと、父親と祖母がそこにいた。
祖母はかなり足腰が弱っているように見えた。父親が手を貸して居間に案内した。
この父方の祖母にとっては、豚児は初曾孫であるそうで、とても嬉しそうだった。それに対して父親は、少しキョトンとして豚児を見ていた。何か不思議な物を見るような感じだった。孫という実感があまり無かったのだろうか。
豚児は最初、誰が来たのかと驚いていたが、しばらく経つと慣れた様子。我輩は豚児に「じーちゃん、ばーちゃん」と呼ばせた。
2人とも非常に喜んでいた。
特に祖母は、我輩の膝を叩いて「もう一回、ばーちゃんっち言わせてんね。(もう一回、ばーちゃんって言わせてよ。)」と催促した。
我輩はその場の様子をMAMIYA RB67で撮影した。
大きなカメラながらも、皆誰もカメラを意識することが無かったのは良かった。
ただ父親は、撮影後に脇に置いたカメラをシゲシゲと見て言った。
「おお、カメラが壊れたっち言うたなあ。(おお、カメラが壊れたって聞いたぞ。)」
そこまで噂が行っているのか。
父親は我輩に何かの印刷物を取り出して見せた。某政党の広報誌らしかったが、そこには若者数名が写ったカラー写真が掲載されていた。
父親はその写真の若者の中の一人を指さして「これがA子だ」と言った。
A子とは、父親の娘である。22歳になったと言う。
その時は撮影や豚児と祖母との相手で忙しくフーンと思っただけだったが、後でよく考えてみれば、父親の娘とは我輩の妹ということになるか。
もっとよく写真を見ておけば良かったと後悔した。
しばらくして皆で集合写真を撮ることになった。
最初は父親が用意したカメラで撮る。
まず三脚をセット。後で我輩もその三脚を使わせてもらう。
三脚の次はカメラだが、4年前の再会時には父親はMINOLTA α-9000を持参していたが、今回はなぜか旧式のMINOLTA SR-T 101 であった。どうやらα-9000は故障して修理不能となったらしい。
セルフタイマーが作動し皆カメラのほうを向いたが、シャッターが切れてもストロボが発光しなかった。何度やっても変わらない。
「なん、親子してカメラが壊れちょるんね。(なに親子でカメラが壊れてんの。)」と叔母が笑った。
結局、集合写真は我輩のカメラのみで撮ることになった。
失敗は許されないのでデジタルカメラNikon COOLPIX5400で試し撮りをする。
小型ストロボのためバウンス撮影では光量が足りず露光不足となる。そのため、光を直当てすることにした。自然な光であることよりも、鮮明に記録することを優先させる。
セルフタイマーが無いので叔母と交代でシャッターを切った。
祖母は、別れ際に豚児の手を取って手の甲にキスをした。豚児はビックリして手を引っ込めたが、祖母の目は温かかった。
次はいつ会えるか分からない。これが最初で最後ということもあり得る。そう考えると、祖母は悔いを残したくなかったのだろう。
同じ時間と空間を共有し、そして肌が触れ合った曾祖母と曾孫。
我輩は、それがとても羨ましく思えた。
皆、玄関先に出て、祖母を車に乗せて見送った。
去っていく車の中の祖母は振り向かなかったが、腰を痛めているので振り向けなかったのは分かっている。その後ろ姿に、皆で手を振って見送った。