2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

12.カタログ Nikon
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カメラ雑文

[501] 2004年08月06日(金)
「蔵王のお釜(5)」

7月30日(金)の夜、豚児がやけに熱くホカホカしていたので体温を測ると38度あった。
翌7月31日(土)はヘナチョコ妻が出掛ける予定で、我輩と豚児が留守番をすることになっていたのだが、豚児の容態によっては外出を中止してもらわねばなるまい。
とりあえず日が明けるまで様子を見ることにした。

次の日、豚児の熱は38度のまま。しかし当の本人は元気である。
その様子から、ヘナチョコは予定通り出掛けて行った。
「まったく、親として心配に思わんのか?」

その日の夜、いつものようにインターネットで天気をチェックしていたら、翌日の蔵王の天気は「晴」となっていた。降水確率は0パーセント。前日までは「晴のち曇」の予報だったのだが、今日になって予報が変わったようだ。
滅多に無い「晴」マークに、心が動いた。
「蔵王へ行くか・・・?」

8月1日(日)午前3時、豚児の熱を測ると38.5度あった。しかし豚児の様子を見ると、特に具合が悪いという感じでもなかった。
この時点で、蔵王に行くことはまだ迷っていた。
「直前の準備で撮影計画の無いままで行くのか?」
「夏休み中であるから混雑や渋滞の影響があるのではないか?」
「もっと金銭的余裕がある時にすべきではないか?」
いつもならば4時に起きれば良いのだが、3時に起きたのは迷う時間が必要だと思ったからだ。

結局、結論を後回しにしてとりあえず用意を始めたことにより、そのままの流れで家を出てしまった。金は家計より借金した。
豚児の熱は気掛かりだったが、まあ、大丈夫だろう。
ヘナチョコも、自分が昨日出掛けたという負い目もあり特に文句は言わなかった。

今回はビデオ撮りをメインにしたい。前回はビデオ撮影時のパン(左右の振り)が甘く、多少ブレが目立ったりして使いづらいカットが多かった。そういう意味で、スチルカメラのほうは邪魔にならない大きさのレンジファインダーカメラ「New MAMIYA-6」とする。軽量ゆえにレンズは50mm、75mm、150mmとフルセット用意した。
35mm判のほうは、前回と同じく「MINOLTA α-707si」と標準ズームである。

New MAMIYA-6

前回は昼食を食べる時間が無く帰りのバスの中で食べたこともあり、今回は行きのバスの中で食べることにした。10時過ぎくらいの昼食だったが、15時30分の昼食よりは良い。
ドリンクは多めに、500mlの麦茶を2本用意した。

蔵王へはいつも通りに到着。
刈田山頂のレストハウス周辺は観光客であふれていた。やはり夏休みの日曜日だからか。
しかし、お釜へ降りれば静かな空間が独り占め出来るので気にならない。
早速、お釜へ降りようとしたところ、見れば先に下り始めた者がいるではないか。我輩もそれを追うようにして柵を越えて降り始めた。

今回、降りる前からビデオカメラ(Canon DM-XV1)を回し始めた。
ビデオカメラのハンドルを片手で持ち、ザレ場を注意しながら下って行く。最初に降りた時はそんな余裕は無かったが、今では片手がふさがっていても大丈夫である。

Canon DM-XV1(ワイドコンバーター装着)

15分ほどかけて下まで降り、お釜まで歩いた。
途中、ふと子供の声がした。振り返ると、数人の人影がこちらに下ってくるように見えた。どうやら子供連れのよう。
「まさかな。恐らく好奇心で柵を越え、途中まで降りてみただけだろう。」
我輩は前に向き直り、再び歩いた。

今回の調査は、お釜右側にある浸食された台地が中心となる。
そこには川の模式図とも言えるような地形があり、そこを調査することにより自然の断片を垣間見ることが出来る。以前この台地に来た時は、時間の関係上単に通過しただけだったが、今回は時間を割いて調査・撮影を行う。

台地へ上るには、お釜の壁面をよじ登る必要がある。ここは他とは違い岩石が固まっているため、足掛かりが良く上りやすい。
上っている途中、また子供の声がして振り向くと、親子連れなのか4人の人影が近付いてくるのが見えた。子供は小学生風の2人。
最初に我輩が苦労してお釜に降りたことを思い出すと、「小学生ごときが気軽に来れるとは、我輩の苦労や覚悟は一体何だったんだ?」と思わざるを得ない。

台地に上ると、そこには広い平原があった。前回来た時も感動したが、今回も同様に感動した。そこには誰もいない。これほど広い場所が独り占めだと考えるとワクワクする。
我輩は、この平原を勝手に「ユートピア平原」と名付けた。火星の地名に倣(なら)った命名である。

ユートピア平原


ユートピア平原には水無川が1本あった。写真で前調査した時にはそれほど大きくは感じなかったが、間近で見るとかなり大きい。そしてその浸食具合を見ると、その平原が火山の噴火による堆積物で作られていることが良く分かる。至る所に層状の断面が浸食によって顔を出しているのだ。

河床には細かい砂が溜まっている。そしてその砂は湿っている部分もあった。恐らく数日前に雨が降ったのだろう。
我輩には、その水無川に水が流れる様子が目に浮かんだ。
上流の方向を見ると、小さな溝が幾つも集まって本流に繋がっているのが判る。一目で川の全てが見通せるということは模式図としての魅力である。
我輩は、この様子を写真とビデオに収めた。

ところが、35mm判カメラ(MINOLTA α-707si)は肩に、中判カメラ(New MAMIYA-6)は首に掛けていたのだが、ちょっとした身体の動きで双方のカメラがぶつかってしまった。
グシッ!
「ちょっとイヤな音がしたな・・・。」
見ると、New MAMIYA-6のファインダー前部のガラスが割れていた。
「クソッ、ファインダーが割れたのはこれで2度目だ。また修理代がかかる・・・。」


かなり落ち込んだが、気を取り直して水無川を遡(さかのぼ)り、川の始まりを見て回った。そこでは、トンボの群れにまとわりつかれた。ここのトンボは人間を恐れないのか、平気で手の甲にとまってくる。
ふと見ると、西側(山形側)から雲が風に煽られて上ってくる。たちまち辺りは霧に包まれてしまった。
お釜頂上(五色岳)を見ると、先ほどの親子連れが見えたが、霧に包まれて見えなくなった。そしてしばらくして霧が薄くなると、人影は無くなっていた。

頂上にはあまり面白いものは無い。最初に登頂した時の感動が過ぎればそれで終わる。
時間も13時となり、あと1時間で帰り始めなければならない。
我輩にはもう一つ見ておきたいものがあった。それは、雑文481にも書いた安斎徹の蔵王火山研究所跡である。写真でしか確認出来なかったものを、この目で直接見てみたい。

お釜を下る途中に、それは見えてきた。
細かい土砂で足を取られながらお釜斜面を下り、そこに到達すると、確かに人工構造物である石組みが確認出来た。ここには、昭和初期の建築物があったのだ。

<蔵王火山研究所跡(正面)>
New MAMIYA-6/50mm

その後、近くを流れる五色川を目指した。
研究所跡の地点から、五色川水流の音がしていた。チョロチョロと水の流れる澄んだ音が静かな空間の中で聞こえている。
水は結構冷たくキレイに見えた。麦茶も残り少なくなっていたため、我輩はこの水を飲んだ。特別な味はしなかったが、不味くはない。記録によれば、安斎徹ら研究者は研究所での生活で五色川の水を飲用したという。

その後五色川に沿って下り、お釜のデルタ(三角州)へ近付いた。このまま行けば五色川はお釜へ流れ込むはず。
しかしながら、お釜へ近付くにつれて流量は少なくなり、流れはついに湖面に達することなく途切れた。
恐らくデルタの砂地に水が吸い込まれ、伏流となり地下からお釜へ注がれているのだろう。これは安斎徹の著書にも書かれていたことでもあり、事前に予測はしていた。しかし実際に川が途切れるその現場を見ることが出来たのは大きな収穫である。

湖面に目を移すと、1ヶ月前に訪れた時よりも、お釜の水位が多少上がっているように思う。これは、外輪山の雪解け水などが大量に注ぎ込んだためだと考えられる。
先ほどは五色川の水を味わったので、今度はお釜の水を味わうことにした。手ですくって口に含んだ。酸味などは無いが、ただ、生臭い。とても飲む気にはならず吐き捨てた。
酸味が無かったことについては、恐らく河口であるから真水により薄まっているのだろう。違う場所ではもっと違う味がしたかも知れない。

見ると、浅い湖底から小さな泡がブクブクと立ち上っている。「すわ、火山活動か?」と思ったが、伏流となった川の水が出ているのだと解釈した。
時間があればもっとよく調べてみたかったが、そろそろ14時であったため、デルタを後にすることにした。
見ると、先ほど白く霧に包まれていた五色岳付近はスッキリ晴れていた。もう一度行ってみたかったが、今回はもう時間が無い。それは次の機会にしよう。

蔵王のお釜に訪れたのは今回で5度目である。考えてみると、通算15時間ほどそこで活動していることになる。しかしそれでもまだ調査は一部分のみ。興味の尽きぬ蔵王のお釜。
写真で見るその地形は小さく見えるのだが、間近で見た時に受けるスケールの大きさが頭の芯に響く。


さて下界へ戻り、翌日フィルムを現像した。すると、35mm判のほうで思いがけない発見をした。
前回では酷い周辺光量低下が見られたのだが、今回はそれほど酷くない。
というのも、今回は保護用UVフィルターを外して撮影したのである。原因は、まさかのフィルターによるケラレであった。
フィルター径は62mm。そこそこ大きいのであるが、24mm側ではフィルターが使えないということらしい。 しかし、いちいち24mm側にした時にフィルターを外すのも機動性が失われるため、事実上は「フィルターの使えないレンズ」と言えよう。
それにしても、こんなレンズの存在が許される時代になったのか・・・。