前回の
雑文「ビデオカメラ」では、蔵王のお釜に対する情熱によりビデオカメラの購入を果たしたのだが、その情熱の根元として蔵王のお釜に対する新しい発見が挙げられよう。
以前、
雑文081「写真の情報量」にて、写真に込められた隠された情報によってあらためて発見する光景について書いた。その時には気付かなくとも、後になって発見されるものは多い。
昔の自分では見えなかった光景が、今の自分にはハッキリと見えるものがある。
雑文447「蔵王のお釜(3)」では、蔵王のお釜の縁を回り中判写真を撮影した。時々、それらの写真を拡大して眺め、情報の掘り起こしをして楽しんでいる。特に山肌の浸食具合は興味深く、雨天時の水の流れを想像させ、自然の営みを頭の中で再構築させてくれる(樹状になっている川跡は数学的にも物理学的にも意味がありそうだ)。
ところで最近、検索サイトGoogleの大きな更新が行われたのか、蔵王のお釜に関する検索結果がかなり変わり、初めて見るサイトが見付かった。
その中に、安斎徹についての記述があった。それによると、安斎徹は蔵王のお釜の研究で有名とのことで、昭和15年にお釜の麓に蔵王火山研究所を建て観察を続けたという。
我輩は安斎徹に興味を持ち、安斎の著書「神秘の火口湖 蔵王のお釜(昭和36年刊)」を何とか入手して読み始めた。それによると、安斎徹は大正12年にお釜に対する研究を始め、特に昭和6年、そして昭和14年の火山活動活発化の時期に貴重な観測結果を残した。
それらの研究を記した著書を読み進めていくうちに、現在の深い緑色の湖水が、かつては今以上に酸性度が高く青い色をしていたことや、火山活動によって白濁したり褐色に変わったり、そして中央部から激しく硫黄が噴出したりと、驚くような光景があったことを知った。
また、お釜の水源は3本の川であり、そのうち五色川と呼ばれる流れは晴天時でも枯れることなく流れ込んでいる。その川は飲用出来るくらいの水であるらしい。その川はお釜に入る直前に伏流となり湖の水となる。
しかも驚いたことに、お釜の水は壁面の亀裂によって漏れていると考えられており、どんなに水位が下がっても(川の流れが凍結する冬季にはお釜の水位が下がる)その亀裂の高さより下がることはないらしい。
他にも、ここでは書ききれないほど多くの興味深い内容があった。
我輩は、あらためて去年撮影した写真を丹念に眺め、その中に研究所の跡地と思われる石組みが写っているのを発見した。写真をスキャナでめいっぱい拡大し、安斎の著書に掲載されていた研究所の写真と見比べてみると、石組みの様子が酷似している。どうやら間違いない。
その時には気付かなかったものが、写真にはしっかりと写っていたのだ。