ネガカラーによるプリントで、今まで満足した色が出たことはあまり無い。
我輩が写真を撮るようになったのは小学生の頃だったが、当時はカラー写真とモノクロ写真が半々で、カラーのほうは「色が着く」ということ以上の見方はしていなかった。
しかし中学生になり、初めて一眼レフカメラを手に入れた時、カラー写真の色の出方が気になるようになった。
一眼レフでの写真は、それまでのコンパクトカメラ(ピッカリコニカ)とは違い、露出や被写界深度の調整が出来る。もちろん現代ならば、コンパクトカメラでさえAFやズーム搭載されているため一眼レフで撮るのと変わらない写真が撮れたりもするだろう。しかし、当時のコンパクトカメラは限りなく「写ルンです」に近く、せいぜい目測によるピント調整が出来る程度であった。それ故、一眼レフカメラに移行した時、その自由度により自分の操作が写真に反映されることに関心が向くようになった。
ところが、写真の表現に関心が向くと、次第に色についての不満を感じてきた。
良い写真が撮れたと思い、焼き増しや引伸ばしを頼むのだが、なぜか最初の色とは程遠い冴えない色となってしまう。ここでようやく気付いた。当時の我輩にとって「良い写真」とは、単に良い色が出ている写真だった。そして、「良い色」とは他でもない、見たままの自然な色が出ている写真である。
しかし自然な色が出たプリントは少ない。そのため、たまたま自然な色のプリントが上がると目立つことになる。
当時は、「フジ」、「サクラ」、「コダック」が競争して鮮やかな色を出すフィルムを発売していたが、不自然な色が鮮やかになっても意味は無く、自然な色を得るためには偶然に頼るしか無かった。
その後、「コダクローム64(KR)」というリバーサルフィルムを試す機会があり、プラスチックケースと紙マウント仕上げが新鮮だったが、それ以上に見たままの色が出ていることに衝撃を受けた。
そうは言っても当時はスライドプロジェクターやライトボックス(イルミネータ)など持たず、光をかざして虫眼鏡で観る程度。プリントで観るのと比べればかなり面倒。リバーサルフィルムからプリントする「ダイレクトプリント」もあったが、L判で130円とかなり割高であり、ネガカラーからリバーサルへ移行することはなかった。
高校生になると、小遣いも少し増え、高価なダイレクトプリントに挑戦してみた。
ところが、色は良いのだがコントラストが強く、暗い部分がツブれてしまう。これで130円もかかるのではたまらない。
やはりネガカラーからは脱却出来なかった。
予備校生になると、予備校の寮に入り勉強をした。
浪人する友人たちは自宅から通うために比較的近い北九州の予備校を選んだが、我輩は自宅から離れた福岡の大手予備校を選んだ。我輩は当時、浪人することにショックを受けていたため、寮に入り本気で勉強しようと考えたのである。寮ならば自宅の近さは関係無い。そして友人のいない環境に自分を追い込み、その真剣さを維持させるのである。
最初のうちは遊び道具など全く持たず暮らしていたが、あまりに何も無いと逆に効率が落ちる。そこで、家族との面会時に「Nikomat FT2」を持ってきてもらった。
寮は博多湾の近くにあったため、日曜日には散歩がてらに海景色をリバーサルで撮った。
その出来上がりはまた素晴らしく、もちろん今の感覚では何の変哲も無いポジであるが、当時の我輩としては感動的な芸術作品であった。何しろ、見たままの色がそのまま出ている。青い空に青い海。それだけでもう、写真を撮る楽しさが湧き上がった。
その頃になると、もはやプリント写真にすることにこだわらず、ポジはポジのまま作品とすることを受け入れるようになった。もう、変な色の写真には戻りたくない。
少ない小遣いを倹約し、安価なスライドプロジェクターを買ったのもこの頃だった。
肝心の大学にはめでたく合格し、島根県松江市に移り住んだ。
大学時代はアルバイトもやったため、それまでと比べて自由に使える金が増えた。フィルムも「コダクローム64」を大量に使い、また同時に大量に失敗させた。失敗が増えたのは、難しいシチュエーションでの撮影に挑戦するようになったこと、そして何より目が肥えたことによる。
また、コダクロームは乳剤番号(エマルジョンナンバー)によってマゼンタが強く出ることがあったため、大学近くのカメラのキタムラで気に入った乳剤のフィルムをまとめ買いすることもあった。
マウント仕上げではなくスリーブ仕上げを依頼し始めたのはこの頃からである。
ある日、松江城の城山公園にてフジカラー主催の撮影会が催された。参加無料とのことで、我輩も行ってみた。
ところが撮影中、持参したコダクロームが足りなくなり、仕方無く主催者が売っていたフィルムを買った。それは、発売されたばかりの「ベルビア」であった。
後日それを現像してみると、ベルビアの色が異常なほどギラギラしており、モデルの衣装のなど酷いものだった。特に原色は、
ゼリービーンズの合成着色料のようで健康に悪そうである。こんな色ではコダクロームと混在させることが出来ないため、結局ベルビアの写真は不採用とせざるを得なかった。
発売直後のフィルムであるから、チューニングが十分でなかったのか・・・?
社会人になると、もはや本気の撮影ではネガカラーを使うことは無くなった。依然としてリバーサルフィルムはプリント用途に適さないが、なぜか「それは将来解決される」などという漠然とした思い込みがあった。とにかく、リバーサルで撮影しておけば間違いない。理屈抜きでそう信じ込んでいた。
(事実、それは「
フジ・メディアプリント」により解決された。)
こういった思い込みは、我輩のジンクスのひとつと言えるかも知れない(参考:
雑文254)。
だが、我輩にとって、リバーサルフィルムは一つの到達点である。自分の写真歴の中で構築された思想は、リバーサルフィルムを原版とし、それ以外を拒絶する。デジタルカメラのクオリティがいくら向上しようとも、それは"原版の無い写真"という認識しか持てない。利用はするが、未来に託そうとは思わぬ。
結局、写真はリバーサル。これしか無い。リバーサル至上主義の我輩の一方的価値観である。
議論の余地は、ここには無い。