2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
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5.カメラ雑文
6.写真置き場
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カメラ雑文

[404] 2003年03月06日(木)
「動的な映像活用」

電子メールを受信していると、受信フォルダにメールが溜まってくる。
必要なものと不必要なものがあり、特にダイレクトメールなどは即刻消去している。
だが、必要なものだけを残しても重要度がそれぞれに違うため、さらに分類作業が必要になる。

我輩は、重要度に応じてメールを分け、一つ一つのメールをテキストファイルに保存する。テキストファイルならば汎用性が高く普遍性があるというのがその理由。それらは、同じ話題について送信・受信の履歴を1つのファイルにまとめている。いちいち、幾つもファイルを開いて会話の流れを追う必要も無い。
そして、複数のパソコンでメールを受信している現状から、それらを一元管理するためにも共通に使えるリムーバブルメディアに保存している。それらのメールは我輩独自のネーミングルールによって名前が付けられ、ファイル名からでも容易に目的のメールを探し当てることが可能。まさに完璧である。

・・・とまあ、我輩のメール管理に関する完璧さは、実は妄想の中だけである。強いて言うならば、実現不可能な願望か。現実は全くの正反対。
我輩のパソコンのメーラーには、過去数年の間に蓄積された数千件もの受信メールが無秩序に溜まっている。分類などやったことも無い。
(我輩はメール保存領域を別ドライブに指定しているため、何度OSを再インストールしてもメールが消えることは無い。デスクトップ領域も同様。)

一度読めば用済みになるようなメールは消しても良いのだが、意外にも、消そうかどうか迷うメールが非常に多い。迷うと結論を後回しにするので結局消せずに残る。
いつかは大掃除しようと思っていたのだが、ここまでくるともう、そんな気さえ失せる。
沼地に堆積した植物が時を経て泥炭や石炭になるかの如く、過去のメールも二度と開かれぬまま堆積し石炭と化すのだろうか・・・。


さて話は変わり、我輩は現在、3台のデジタルカメラを所有している。
もっぱら露出計代わりの用途であるため、撮影後はデータを消しても支障が無い。原版の存在しない写真など、取っておいても使い道が無い。

だがメールの時と同じように、「そのうち必要になるかも知れない」などと考え、とりあえずパソコンのハードディスクに移して保存している。しかも、キチンと整理するわけでもなく、ただ無秩序に溜め込んでいるだけ。
恐らく、本当に必要な画像もあるのだろうが、いまさら見返す気力も無い。全ての画像を確認し分類するのに、一体どれだけの時間がかかることやら。

もちろん、画像のサムネイル表示も可能であるが、大量の画像をサムネイル表示させるには時間もかかり、しかも、小さなサムネイルだけでは要・不要の判断が難しいのが現実。
そうこうしているうち、新しい画像が次々に追加される。フィルムを必要としないデジタルカメラゆえ、画像の増え方は桁違い。
結局は整理もままならず、そのままCD-RやDVD-Rに保存し、棚にしまっておくことになる。
つくづく、デジタルカメラをスマートに使いこなせない自分に苛立ちを感ずる。

我輩がデジタルカメラを巧く使いこなせない原因は、従来のカメラの使い方をそのままデジタルカメラに持ち込んでいるからである。だがデジタルカメラは、銀塩カメラと同じような使い方をしてはならない。
古い概念でデジタルカメラを使おうとすると、我輩のように行き詰まる。それゆえ、デジタルカメラに対して批判的な姿勢になりがちとなる。
だが、デジタルカメラの利点を活かせないのは、結局は自分の問題。新しい製品を活かすには、古い概念を捨てねばならぬ。

雑文345でも書いたとおり、デジタルカメラの映像というものは、撮影した時点で消費されねならない。保存し、それを後になって利用しようなどと思ったところで、結局は埋もれて二度と見ることは無いのだ。それではデジタルカメラの特長を活かすことは出来ない。

例えば、現在の若者の必須アイテムである携帯電話のメール機能。
我輩にはこれが使いこなせない(我輩は営業時代に携帯電話を持っていた)。メールをテキストファイルで保存したり検索したりするという前提で捉えていたため、パソコン上でのメールしか考えられなかった。
だが新しい世代は、そもそもそんな使い方は考えない。今までのメールの概念に縛られず、もはや「会話」と同じ感覚で使う。会話であるから保存の必要など無く、その場で役目を終える。携帯メールは、「今手元にメールが届く」ということが大切なのだ。家に帰るまでメールが受信出来ないというのでは、コミュニケーションツールとしては使えない。
そう考えると、デジタルカメラの映像も「会話」と言えるかも知れない。

デジタルカメラを便利だと思う理由は幾つかあると思うが、一番大きな点は、「映像の即時性」であろう。面倒でランニングコストのかかる現像処理を経ず、映像がすぐに手に入る。これは何物にも代え難い特長と言える。
だが銀塩カメラと同じ視点でデジタルカメラを眺めれば、デジタルカメラの不便さしか見えないのは当然。逆に、デジタルカメラの視点で見れば銀塩カメラの不便さしか見えないとも言える。
デジタルカメラの特長を巧く活かして使いこなすには、新しい使い方をしなければ意味が無い。
デジタルカメラで撮影した映像を、永く遺すなどということは考えてはならぬ。それは、古い人間の発想である。本当にデジタルカメラの利点を突き詰めるならば、得た画像をその場で利用することを心掛けよ。

「画像メール」、「ネットオークション」、「ウェブサイト更新」、「写真日記」・・・。
これら写真の新しい利用は動的である。かつてのように、写真を印画紙にプリントし保存・鑑賞するという静的な利用では考えられなかった時代が、21世紀の"今"である。
積極的に映像を活用すればこそ、デジタルカメラが必要不可欠な存在となる。従来の静的な使い方でデジタルカメラを使おうとするならば、我輩のメール受信フォルダと同じように、整理がつかず溢れる画像に悩まされることになる。

今使わないデジタル画像を、今後使うはずも無い。
デジタルカメラを使う者、振り返ること無く、動的に映像を活用せよ。