我輩は常に自分を忙しくさせている。
何やら強迫観念に囚われやすい性格であるが故、色々な作業を背負い込むのが原因。
今のところ作業中なのが「所蔵書籍のデジタル取込み」、「所蔵ビデオテープのDVD変換」、「所蔵ネガフィルムのデジタル取込み」といったところか。しかし、直接のきっかけが強迫観念の仕業だとしながらも、結局は遅かれ早かれ悩む問題である。我輩はその問題を、まだ十分に距離があるうちから認識し、心に病む。なぜならば、今までに多くの後悔をしてきたからだ。
失われてから後悔しても遅い。
さて先週、我輩は九州の実家に帰ったのだが、
昔の写真について雑文で書いたこともあり、ついでに実家のアルバムを取り出して眺めることにした。
しかし、それらの多くはホコリまみれで汚い。しかも写真が退色しているものがほとんどであった。
モノクロ写真がセピア調になるのは、まあ味があって良かろう。だがカラー写真が色褪せているのは何とも残念。古い写真であるが故、ネガなどもちろん無い。撮影者さえ判らぬものも多い。そうは言っても、せっかく色が記録されているカラー写真であるから、何とかその色を取り戻したいと思う。
そこで我輩は、写真をパソコンに取込んで色補正を行い、そのデータを「メディアプリントサービス」で再び写真印画紙に焼き付けることにした。今どきの印画紙ならば、100年くらいは保とう。
今、まさに、写真を長期保存するための計画「アーカイブス・プロジェクト」が始動した。これでまた、更に忙しくなる。
アルバムの数は7つ。最初は自分の写真だけを取込もうと思っていたのだが、アルバムをめくるにつれ、貴重な昔の写真が多くあるのに気付いた。しかもそれらの写真の多くは退色の途中にある。それらを見ると、もはや自分が写っているかそうではないかなどは些細なことのように感じてきた。
「よし、このアルバムの写真を全て取込んでやろう。」
ここで我輩が救わねば、いったい誰が救おうか。
それらのアルバムのほとんどは、台紙が粘着性を持つタイプで、上からビニールをカバーすることによって写真を保持している。その台紙のままスキャン出来れば楽であるが、少なくとも汚れたビニールカバーは剥がして読取らねばクオリティが落ちる。
1冊目のアルバムは比較的新しく、何とか問題無くスキャン出来た。
だが問題は次のアルバムだった。
背の内側の部分にアシダカグモ(日本最大のクモ)の卵嚢がまるでカイコの繭のように産み付けられていた。クモ嫌いな我輩は一瞬ひるんだものの、それが古いものであり、既に子グモは卵から孵化していると思われ安心した。作業中に数千もの子グモが次々に孵化してはかなわん(
過去にそういう経験がある)。
しかもこのアルバム、台紙の粘着部が固化していたため、いったんビニールカバーを剥がすと二度と貼れなくなってしまった。
クモの卵嚢と粘着部の固化。
さすがにこのアルバムを再び使うのは気が引けた。スキャン後は新規にアルバムを買い、そこに写真を移そうと思う。
だが、台紙の粘着部が固化しているために、写真を無理に台紙から剥がそうとすると、紙質の粗い写真の裏紙が剥がれてしまった。
途中で引き返すことも出来ず、かと言ってこのまま作業を続けるにも辛い。下手をすると写真そのものが破れてしまう。悩んだ末、アルバムの台紙そのものを切り抜くことにした。その分写真の厚みが増すが、現代の科学力ではこれが精一杯であろう。
とにかく、粘着性のものは経年変化に特に弱い。アルバムの多くが自由なレイアウトを可能にする粘着台紙のものであるが、これは長期保存用としては最も避けるべきこと。理想的な保存状態を保てるならば良いのだが、自分の目の届く範囲を離れ、押入れや物置きに無造作に置かれる危険性が少しでもあるならば、粘着性台紙を使うアルバムは選ぶべきではない。
また、セロハンテープを使うのもマズイ。
粘着部が変色・固化するのはもちろんのこと、セロハンは植物性(セルロース)であるので自然分解は避けられぬ。長期保存しようと思う写真にセロハンテープを使うのは絶対に止めるべきである。
スキャン作業中のアルバムの中に、文字を書いた紙をセロハンテープで写真に直接貼り付けているものがあった。当然ながら、粘着部は褐色に固化して写真を汚しており、セロハン部はまるで焼いた海苔のようにパリパリになって剥離していた。保存状況によっては、ほんの数年でこのようになる。
セロハンテープは透明であるが故に、つい写真表面にも貼り付けてしまうことがあるのだろう。貼った直後の見た目がキレイであろうとも、数年後には正視出来ぬものとなるから要注意。
それにしても、写りの悪いスナップ写真が大半ながらも、中にはかなり緻密なものもある。それらは写真館で撮られたと思われ、戦前の写真であるものの、その緻密感たるや現代の写真に全く劣らない。恐らくは大判写真で撮られたのであろう。戦前の映像を十分な情報量で伝えるその写真には、有無を言わさぬ価値を感ずる。
そこには、写真を取込み色補正する手間や、メディアプリントするコスト、そして新しいアルバムに整理する気力を投入する価値が確かにある。
我輩を動かす唯一の原動力、それは、貴重な情報を伝え残す義務感のみ。