写真の手法はアイディアの固まりである。
今では当たり前のように使っているテクニックでも、多くの先人たちが考えたアイディアに他ならぬ。我々は、その手法を使わせて頂いているということを忘れてはならない。
それらは特許や実用新案を認めても良いくらいのものだ。
もし、例えば「流し撮り」という手法に特許が認められていたら、どうする? その特許が切れるまで、「流し撮り」が許されなかったとしたら、どうする?
そう考えると、我々は先人たちのアイディアに感謝しなければならない。如何に単純なテクニックであろうとも、それを最初にやった者の後を倣(なら)っている。
しかし、先人に倣うためには、写真の仕組みや原理を知る必要がある。
仕組みも知らずにただうわべだけを取り込むのでは、自分の身にならないばかりか、先人に対して礼を失することにもなろう。
もし、写真の仕組みや原理を知ることになれば、その時初めて、そのテクニックを本当の意味で自分のものにしたことになる。
状況に応じて、自分なりのやりかたを研究することは、
「冒険野郎マクガイバー」の哲学にも通ずる。写真の仕組みや原理を知らずして、自分なりのものは作れない。
ちなみに我輩は、先人が利用した「リングボケ」を使わせて頂いたことがある。リングボケとはご存知の通り、レフレックスレンズで見られる効果である。
レフレックスレンズは反射望遠レンズと言われるように、光学系に反射鏡を使っている。その構造上、どうしても光軸の真ん中を通る光がスッポリと抜けてしまうことになり、ボケる時にそれがリング状に現れるのだ。
我輩は、このリングボケを、「初夏の気持ちの高鳴り」として表現したかった。しかし、当時使用していた中判カメラ「ゼンザブロニカSQ-Ai」では、レフレックスレンズなど用意されていない。
我輩は、リングボケの原理を知っていたので、諦める前に、リングボケを再現するフィルターを作ってみることにした。
原理的には、光がリング状に入れば良いので、フィルターの真ん中に小さな円形の金属板を接着し、それを望遠レンズに装着した。
結果は上々。ほぼイメージ通りの「初夏」を120フィルムに焼き付けることに成功した。
(その時の写真は「写真置き場」の「能書きの多い写真」に掲載してある)。
これは、ゼンザブロニカがレフレックスレンズを用意していなかったからやったのであり、決して金が無かったからやったのではない。故に、今回は「貧乏クサイ」とは言わせない。我輩の工夫心の勝利と言える。リングボケの原理を知っていたからこそ、レフレックスレンズではないノーマルレンズで同様の効果を生み出せたのだ。
もし、テクニックを単純に模倣するだけであるなら、ちょっとした困難によってそのテクニックは利用不可能となろう。
目的をしっかり見据え、写真の原理に立ち帰って見れば、必ず道は開けてくる。
多少、ドロくさい方法であっても、同じ目的地に着くならば、道を引き返すよりもずっと良い。