最近、寒い日が続く。暑がりの我輩でも、さすがにコートを着るようになった。
冷たい風は、冬の匂いを感じさせる。そして、その匂いは、我輩が一眼レフカメラに目覚めさせた時のことを想い出させる。
我輩が一眼レフカメラを始めたのは中学の頃だった。
最初のきっかけは、学校のクラブ活動である。
当時、週に1度「必須クラブ」の時間があり、生徒は誰でも何かのクラブ活動に参加しなければならないことになっていた。それは学期ごとに決めなければならず、3学期は何にしようかと我輩は迷っていた。
友人の「クラッシャー・ジョウ(以下、ジョウと略す)」は、当時既にK2−DMDを所有しており、当然「写真クラブ」に入った。我輩は写真に興味はあったものの、特別、写真機というものを意識したことはなかった。
しかし他に魅力あるクラブも無かったことから、我輩はジョウと共に写真クラブに入ることにした。
写真クラブの顧問は、天然スキンヘッド先生(理科の教師)だった。中学では、カメラや時計を持ってくることは禁止されており、当然、クラブ活動でもカメラを持って撮影することは出来ない。結局は写真についての授業を毎回受けることになってしまった。
「写真クラブちゅーても、全然オモロないワ」と思い始めたある日、スキンヘッド先生は自分の一眼レフカメラを持ってきて三脚に据え、我々生徒に順番にシャッターを切らせてくれた。最初は外に出るのが寒く、面倒くさく思えた。
そのカメラは「オリンパス」だった。今思うとそれは「OM−1」だったろうか。そして、そのボディにはミラー望遠レンズが付けられており、我々は運動場でサッカーをしているクラスメートを撮影した。
今考えると何でもないような撮影である。だが、当時の我輩としては驚きの瞬間だった。
一眼レフカメラは、中学で備品となっているフジカST−801を操作したことはあったが、そのレンズは標準55mmであり、今回のような超望遠の世界を味わったのは初めてである。
それまでは、写真というのは「見たままの世界を写真に残す」ということしか知らなかった。人物を撮影すると、相手がそれに気付くのは当然だと思っていた。けれども、超望遠で撮るクラスメートの姿は、我輩がカメラ越しに見ていることに気付かないのだ。これはおもしろい。
そして、シャッターを切った瞬間、家のピッカリコニカでは得られないような高級なメカニズムの音がした。我輩は、カメラというものがどれも同じではないということを初めて知った。
後日出来上がった写真は、当時は珍しいフチ無しプリントであり、何よりクラスメートの背景がボケて人物が浮き立っているのがプロっぽかった。
ジョウは、オリンパスのカメラをバカにしていたようだったが、その後ジョウの家に遊びに行った時、色々なカメラを披露してくれたのが印象に残っている。
北向きの暗い部屋の畳にズラリと並べられたカメラたちは、何かしら不思議な妖気を放っていた。
どんなカメラがあったかは今では思い出せない。いや、当時はカメラの名前を聞いてもピンと来なかったのだろう(しかし中古屋でペンタックスMXを見ると妙に懐かしい思いがするので、その中にMXはあったかも知れない)。
その多くがジョウの親父さんの所有カメラだったようだが、ジョウは全てが自分のもののように説明してくれるのだ。それはいつもの調子なので気にしなかったが、暗い部屋で見たカメラの輪郭というのは、とても威厳をもった存在に映った。
帰り道、「もし自分がカメラを買うとしたら、絶対に一眼レフにするぞ」と心に決めた。
木枯らしの吹く寒い日の夕方だった。
※その後は
雑文085のエピソードへと続くわけだ。
クラッシャー・ジョウ