[085] 2000年 7月14日(金)
「想い出のファインダー」
我輩が初めて買った一眼レフは、「キヤノンAE−1」だった。
北九州市の小倉で、確か、デパート「井筒屋」の中にあるカメラ店だったと思う。
そこには中古カメラのショーケースがあり、並んでいる一眼レフの中で一番安かったのが、その「AE−1黒ボディ」だった。カドの塗料が剥げてはいたが、当時の我輩にとっては、「一眼レフ」という大人の道具が手に入ることの興奮が大きかった。
値段は1万5千円。当時中学生の我輩にとっては、決して安い買い物ではない。交換レンズは同時には買えない。しかし、交換レンズは次の機会に手に入れることにして、とにかく一眼レフのボディを所有することを優先した。
その日は確か、母親と小倉に映画を見に行く途中だった。映画館のイスに座るや否や、先程買ったAE−1を手に取り、ファインダーを覗いて上に向けたり下に向けたり。
それまでは、祖父の「キャノネット(レンズシャッター機)」や、家族全員で使っていた「コニカC35EF(ピッカリコニカ)」しか使ったことがなかった。だから、一眼レフのファインダーというものが新鮮で仕方がなかった。
レンズの付いていない一眼レフというのは、当然ながらファインダーには何も映らない。けれども、スリガラス越しに見た映画の光が、ボンヤリと視野を明るくし、画面中央のスプリットプリズムを浮かび上がらせている。
カメラのスイッチを入れ、そっとシャッターボタンに触れてみると、露出計の針がピンッと反応し、赤いLED(発光ダイオード)のランプが早い周期で点滅した・・・。
それから数ヶ月後、我輩はキヤノンのレンズの中で一番安い「50mmF1.8」をなんとか購入し、ひととおり撮影出来るようになった。それまでの間は、虫眼鏡のレンズを使って交換レンズの代わりをしていたのだ。それを思えば、大した進歩だった。
しかし、一眼レフのファインダーというものは不思議なものだ。
スリガラス状のファインダースクリーンに映った映像は、今まで使っていたカメラの透過式ファインダーよりザラついて見えるのだが、「この光がそのままフィルムに到達し、写真になるんだ」と思うと、とたんに有り難く思えた。たとえホコリが乗っていようとも、それがかえってスクリーンの存在を意識させ、「レンズを通った光が投影されている」と実感できたのである。
時々、あの頃の新鮮さが懐かしく思われることがある。一眼レフという、とてつもないツールを手にした喜び。年々、その感覚が遠くなる。
人間の脳は、同じ刺激を継続して受け続けると、その感覚に対してニブくなる。常に一眼レフが手元にあるという現在の状態では、感動が薄れてくるのは当然だ。
今は辛うじて思い出すことができるが、そのうち、思い出そうと思っても出来なくなる日が来るのだろうか・・・。
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