2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
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5.カメラ雑文
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カメラ雑文

[176] 2000年11月09日(木)
「ナマナマしい」

東京近辺で生活するようになると、地方局のローカルCMが見れなくなった。

ローカルCMとは、1〜2枚ほどの静止画(パネル)を録画し、それにナレーションを加えるという簡単なコマーシャルフィルムのことである。制作費がほとんどかからないため、中小企業や商店街が主なスポンサーとなる。
深夜になるとラブホテルのCMが何度も入る。昼間はニュースを読んでいるカタそうな地方局アナウンサーが、「2人の間に言葉は要らない、ただ吐息が欲しいだけ・・・」などとナレーションを読んでいたりする。
他にも、フンパツして動画でCMを作るスポンサーもいるが、登場人物がシロウトくさかったり、テロップのフチが滑らかでなくジャギーが入っていたりする。

こういうローカルCMは、全国区のCMと比較すると製作コストの違いはさすがに隠せない。
反面、ローカルCMはやけにナマナマしく、距離を近くに感じる。それは単純に所在地が近いということだけではない


ポートレートも同じような場合がある。
スタジオでライティングや衣装、ヘアスタイルなどに凝ってみたりしても、得られたキレイな写真には身近に感ずるような距離感が写っていないことが多い(もっとも、そういう意図で撮影したわけではないだろうが→関連雑文)。

巷には、キレイに撮られた写真は当たり前のように溢れている。「雑誌」、「ポスター」、「中吊り広告」、「看板」・・・。
ともすれば、目の前のポスターに何の印象も持たず通り過ぎるかも知れない。キレイに撮れば撮るほど、それは大勢の中に埋もれて目立たなくなってしまう。
撮影意図や工夫次第(例えば個性的なモデルを使うなど)で人の目を引く写真も撮れようが、少なくとも何も考えずにキレイな写真を目指すと、リアリティを打ち消す方向に働き、その写真の印象も薄れよう。

しかし、例えば正面からストロボ撮影した生写真では、妙なリアリティを感ずるものがたまにある。生写真なだけに「ナマナマしい」と言うべきか。
作品としてのクオリティは決して高くはないのだが、距離感は圧倒的に近くに感じる。それは、写真のために創り出した世界ではなく、現実の空間にカメラを持ち込んだと思わせるからだろう。
単にキレイなだけの写真では、ガラスを隔てた世界を見てしまう。錯覚として、そのガラスには写真の枠外にあるはずのライトやレフ板が映り込んでいるように見える。それゆえ、同一空気に触れていると感じさせるナマナマしさは無い。

そう考えると、写真家アラーキ(荒木経惟)の撮る写真などは、そういったナマナマしさを狙っているかのように思える。
まあ、アラーキの写真は、彼なりの思想に基づいて撮られたもので、我輩の推測とは違うかも知れない。前にも書いたように、「答えが同じであっても、その論理は異なる」

たまにアイドルの写真集でも、ポラロイドで撮ったカットが並べられていることがある。シロウトでも撮りうる写真。しかし、目を引くものがそこにある。
このような効果を生む写真を、我輩は「ナマ写真効果」と勝手に呼んでいる。

ローカルCMのケースでは、意図せず「ナマ写真効果」が現れたのかも知れない。確かに、中には「浮いている」だけのものもあるが、ローカルCMの身近さには独特のものがある。

念のために強調しておくが、我輩は「キレイな写真を撮るな」などと言ってはいない。それは撮影意図が決める問題だ。写真を撮る主体がどのような意図で写真を撮るかがハッキリとしていなければ目的を失う。だからこそ、色々な撮影スタイルが存在する。
ローカルCMの場合、クオリティの高いものを放映できればメジャーなイメージを打ち出すことが出来るだろう。しかし、それによって「身近さ(地域性)」や「インパクト」というものを取りこぼしてしまうかも知れない。どこに価値を置くかは、その企業の方針が決めることである。
写真も同様に、どのように見せるのかという意図が大事だ。

我輩は、「ナマ写真効果」を侮れない存在と見る。もし仮に、緻密な写真技法が生み出す効果よりも「ナマ写真効果」が意図に合っているならば、ローンで購入した虎の子の大型ストロボ装置をしまい込み、クリップオン・ストロボを選ぶだろう。

「姑のパソコンでソリティアをする嫁」