[831] 2014年11月13日(木)
「心宿す写真」
昔、江戸時代に臨死体験をした人物がいたという。そのような記録が残っているらしい。
それは心霊関係の本で読んだ内容で少々眉唾ものだが、興味深い内容なので覚えている範囲で紹介する。
ある男が、何らかの理由により心停止に陥った。
ふと目が覚めたところ、三途の川のほとりに立っており、自分が死んだことに気が付いた。
ところがそこに鬼が現れ、男を捕まえようと追いかけてきた。必死に逃げるものの、途中で転び、鬼に捕まりそうになった。しかしその瞬間、突然現れた童子(子供)が鬼の前に立ちふさがりまばゆい光を発したところ、鬼は恐れおののき退散した。
「危ないところを有り難う御座います。失礼ですがあなた様は一体・・・?」と男が訊いたところ、「私は、昔あなたが写経をした経文に御座います。」と答えたという。
その後、男は童子に導かれ、この世に戻って息を吹き返したとのこと。
この内容は話が出来過ぎているので、結局のところ、写経を広めるための当時のPRのような気もする。だがそれでも、心を込めることによって写経に心を宿すことはあるのではないかとも感じた。
もちろんこれは、「信じる・信じない」の話でしかない。
ただ、心はあくまでも内面的なものであり、その存在を証明することは不可能である。
自分に心が存在するということは、自分にしか分からない。何しろ、知性のある相手なのかあるいは単なる機械なのかを被験者に判定させる「チューリングテスト」の例では、その出力を見ただけでは知性の有無は判定出来ないということが示された。
こうなると、「我思う、故に我有り」としか言いようが無い。そして、「自分に心があるから、同様に考えて他の人間にも心があるのだろう」という状況証拠的な推測をするだけである。
結局のところ、心の存在というのは「信じる・信じない」という問題に収束せざるを得ない。
さて、毎年正月になると、ヘナチョコ妻の実家では新年の食事会が開かれる。
ヘナチョコ妻の兄弟夫婦やその子供たちも集まるので、わりと賑やかな一日となる。
そして最後に皆で集合写真を撮るのだが、その役目は我輩が担う。
最初のうちは中判フィルムでの撮影のため、ストロボはクリップオンストロボによる直照であった。天井バウンスしようにも、天井が真っ白ではないので微妙な色カブリは避けられない。
ところがここ最近はデジタルカメラを使うようになり、少々の色カブリもRAW現像時に調整可能となった。
そして今年2014年の正月は、マイクロフォーサーズカメラに高画質レンズを装着し、隅々までハッキリと写る見事な仕上がりを得た。バウンス発光の結果も、偶然の産物なのかちょうど良い具合に影が落ちて立体感も上々。
この写真を当雑文で紹介出来ないのが残念なほどの出来栄えだった。
それから半年ほど経ち、義父が癌であることが判明した。
手術やその他治療が行われたが、全身転移により回復の見込み無く、ついに先ごろ亡くなった。
遺影として使う写真は、遺体を実家に引き取るその場にいた全員一致で、正月の集合写真を採用することとした。家族に囲まれリラックスした穏やかな表情、最後の写真には相応しい。
我輩もその決定に異論は無く、写真データを葬儀社にメール送信した。
恐らくこの写真を使って葬儀社のほうで切り抜き加工を施し、喪服のようなものを合成して遺影に仕上げるのであろう。
通夜当日、勤務を早めに切り上げて式場に顔を出した。
その時我輩は、遺影を見て息を飲んだ。
まるで、生きている義父が穏やかな表情でそこにいるかのように見えたのだ。
遺影写真は背景切り抜き加工はしていたものの、我輩が想像していたような喪服の合成は無く、部屋着のジャージ姿そのままのリアルな姿。そして何より、自然な立体感があり、見れば見るほど、生きた義父がそこに佇んでいるかのように感ずる。
<祭壇> |
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参列者は皆、一様に「良い遺影だなあ」と言っている。
この写真は遺影の為に撮ったものでは決してないが、こうして皆に喜んでもらえるならば、撮影者としてまさに本望。
我輩がここで改めて言うまでも無いが、遺影というのは物質的には単なる写真用紙に過ぎない。
しかし、実際に被写体に当たった光を受けて受光素子に投影・結像させた陰影である。それはつまり、被写体を光学的になぞったものとも言えるだろう。手形やデスマスクと何ら変わるところは無かろう。
そんな遺影を観る者がそこに義父の姿を見るならば、遺影には義父の心が宿るのではないかと思う。
住職の読経を聞きながら我輩はずっと義父の遺影を見上げていた。どう見ても、そこに本人がいるようにしか見えなかった。
我輩はその日の夜、義父のために写経をした。
写真用紙に心が宿ることを信ずるならば、写経にも心が宿ることも信じられる。
この1枚の経文が、義父のあの世への道中で助けとなることを祈るのみ。心の問題だけに、それ以外に我輩がしてやれることが無い。
<写経> |
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