[709] 2010年10月17日(日)速報版〜10月22日(金)完成版
報道統制 〜伝えられない出来事〜(1)
<ここ最近の中国に関わる情勢について>
時が経つと、当時の情勢について記憶があいまいになってしまうことがあるため、まず、ここ最近の中国に関わる情勢をまとめておきたい。
- 2010年9月7日に沖縄県尖閣諸島領海内にて中国漁船と海上保安庁の巡視船が衝突。その様子はビデオで撮影され、中国船船長は公務執行妨害の疑いで逮捕された。船長は否認。
- 日本政府(与党:民主党)は、国内法に基づいて粛々と対応するとして船長の拘留延長を決め、起訴の方針を匂わせた。
- それに対し中国共産党は猛反発。これから起こる日中関係の緊張の責任はすべて日本側にあると主張。
- 中国共産党は日中交流事業の中止やレアアース(希土類資源)の輸出手続きを遅らせるなど日本に対する圧力を加えた。
- 9月21日、中国外務省は衝突事故について「中国漁船が巡視船にぶつけられた」と主張し、日本側にビデオ公開を要求。日本側は「証拠品の公開は有り得ない」と拒否。
- 9月21日、大手ゼネコン「フジタ」の社員4人が中国の軍事管理区域を撮影したとしてスパイ容疑で拘束された。日本の強硬姿勢に対する報復措置だという見方が大きい。
- 9月24日に那覇地検が処分保留で中国船船長の釈放を決定。那覇地検は「日中関係及び日本人の安全を考慮した結果」と説明。地検が政治判断をしたと批判を受けたが、実際は日本政府から那覇地検への指示があったとされる。
- 船長釈放について、「中国に屈した」という見方と「難局を乗り切った」という見方があったが、中国との水面下の交換条件は無いため、中国で拘留されている4人の日本人が釈放されるかは不透明。
- 9月25日以降、尖閣諸島や東シナ海のガス田開発地域周辺に10隻以上の中国海洋調査船が集結。ガス田掘削の兆候も見られたが、日本政府は「中国が掘削しているという確証は無い」と国民に説明。
- 9月30日、中国で拘留中の4人のうち3人が釈放され、日本に帰国。
- 10月9日、拘留中の残る1人も釈放。拘留期間は、中国船船長と同じ19日間だった。
- 衝突時に撮影したビデオの公開が検討されるも、日本政府は「国民がビデオを見ると激高する」という理由で非公開が決定される。
- これらの事件とは直接関連は無いが、服役中の中国の民主活動家劉暁波氏が10月8日にノーベル平和賞を受賞。それに対して中国共産党は猛反発。自国民に対して報道統制を行い黙殺した。
- また、中国内では大学生を中心とした反日暴動・略奪が激しさを増しているが、中国共産党は軍を投入するでもなく何もせず見ている状態が続いている。香港誌によれば、官製デモとの疑いもある。
<デモ参加の経緯>
さて、中国は尖閣諸島だけでなく沖縄も中国領だと主張し始め、今回の衝突事故の日本側譲歩によって、中国の領土主張の動きが大きくなるという見方がある。
そうなれば東シナ海の資源の問題だけでなく、日本人の生活が直接脅かされることにも繋がり、我輩は、日本という国そのものの存続の危機を強く感じた。
いや、中国がどうのこうのと言う前に、日本政府、つまり与党民主党の考えがまるで解らない。
中国がどんな国であろうとも、日本政府がしっかりとした外交交渉を行い、相手に付け入る隙を与えねば、ここまで危機を感ずることは無いであろう。「政府を信頼すれば良い」と安心出来るはずだ。
ところが実際は、政治に疎いシロウトの我輩でもハラハラしたり、場合によってはイライラさせられるような対応ばかりを日本政府はやっている。「このまま政府に任せっきりで良いのか」という不安は強くなる一方。
もちろん、日本の政府は我々国民が選挙で選んだ結果であるため、その責任は我々国民にある。それが民主主義国家である。しかし民意というものが多数決だという原則がある限り、我輩のような危機感を持つ極少数の意見は反映されないのだ。
このまま黙って、多数派について行かねばならぬのか・・・?
そんな時、一つの団体の存在を知った。
「頑張れ日本!全国行動委員会」というものである。
正直言うと、第一印象としては胡散臭い団体なのかとも思ったが、元航空自衛隊航空幕僚長の田母神俊雄(たもがみとしお)氏が会長を務めるということや、その他著名人の賛同者が多いこと、そしてこの団体の理念が、よくあるような、中国人や朝鮮人などの外国人排斥運動を意図するわけではなく、正当な主張の出来る健全なる国づくりを目指しているということを感じた。
(※あまり書くとこの団体の宣伝をしているかのようになってしまうが、ここでは我輩が賛同したことの経緯を説明したまででありそれ以上の意図は無い。)
これは、我輩の日本政府に対する不満の受け皿となるのではないだろうか。
我輩は、とりあえずこの団体のメール会員となり、活動予定の情報を得ることにした。
会員登録が完了し、それからすぐに1通の活動予定メールが届いた。
それによれば、10月2日に代々木公園で中国の尖閣諸島侵略糾弾デモが行なわれるとのこと。
"デモ"と言うと、自分とは違う世界の活動だという意識があったが、中国へ毅然たる主張の出来ない日本政府に任せておけないという気持ちが大きくなり、ここで参加してみようかと少し思った。今まで何も出来なかった自分に対する反省もある。
だが、その気持ちは今考えるとそれほど強いものではなかったようで、たまたまその日に入っていた3つの用事をこなすことを優先し、結局はデモに参加しなかった。
デモの様子は、Web上にて写真や動画などから知ることが出来た。
渋谷の路上に国旗日の丸がズラリと揃ったところは衝撃的で、日本でこのような活動が行なわれたことに驚きを感じた。しかも、デモに参加しているのは見るからに一般市民という感じで、子供連れさえいる。2,600人以上が集まったそうだ。
「一般の日本人は政治的な主張や行動などしないと思っていたが・・・もしかしてこれは、歴史的な出来事ではないのか?」
そう思えるほどの衝撃だった。
ところがWeb上では「テレビ・新聞ではデモのことを報道しているところは1つも無い」と大きな騒ぎとなった。
我輩もビックリして、テレビなどをつけたりしたのだが、デモのデの字も出てこない。
小さな村の小さな行事を紹介する一方で、このような衝撃的なデモの様子を報道しないというのはどういうことだ?
我輩は、不自然な報道姿勢を目の当たりにして、気持ちの悪さを拭えなかった。明らかに、「報道しない」という強い意図をそこに感じるのだ。
この気持ちの悪さは徐々に大きくなっていき、次第に諦めの気持ちになっていった。
これは情報統制がされている。いくらなんでも、1社も報道しないというのは理由が解らない。以前からマスコミは中国や韓国などの国に都合の悪い情報は報道されないということを聞いたことはあったが、まさかここまで露骨とは・・・。
結局、Web上でのニュースでも、国内ニュースには渋谷デモの報道はされず、外国メディアが報道した渋谷デモの記事が海外ニュースとして外から入ってきたという。
これをねじれ報道と言わざるして何と言おう。
その後、今度は10月16日に青山公園から中国大使館までの六本木周辺でデモが予定されていることを知った。
地図を見ると、六本木周辺は各国の大使館があり、そういう意味では、日本向けでなく世界に向けてのアピールになるのではないかと期待する。
だが恐らく、今回も日本のマスコミは報道しないであろう。このままで良いのか・・・?
その時、我輩の心の中に、渋谷の映像が再び蘇ってきた。
我輩は、写真を趣味とし、小規模ながらもウェブサイトという場を持っている。この道具を使い、今回のデモについて、1人でも多くの一般国民に何が起こったのかということを知らせたい。
もちろん、それによって何をしろとか、賛同しろなどと言うつもりは全く無い。この出来事を知った者がどう感ずるかは、各々に任せるべきである。そのための判断材料として、事実起こったことをそのまま伝えたいのだ。逆に言えば、それこそが本来の報道というものであろう。
今回の行動は、「我輩に何か出来ることを・・・」と考えた末の、一つの形である。
よし、10月16日はカメラを持って六本木に行こう。我輩は、国民の目となり耳となるのだ。
マスコミに対して感じた気持ちの悪さを吹き飛ばすべく、我輩は自らを奮い立たせた。
我輩は早速、「頑張れ日本!全国行動委員会」に、デモの写真撮影とWeb掲載について問題無いかをメールで問い合わせた。
回答としては、参加者の顔が写ると問題があるので、それを考慮して欲しいとのこと。確かに、こういう活動では反対勢力の圧力や弾圧が予想される。慎重に対処せねばなるまい。
さて、カメラ選定をどうするか。
出来れば、メインカメラはリバーサルフィルムで行ないたい。それには、3つの理由がある。
まず1つ目の理由として、「年月を経た後、後世で捏造の疑惑を払拭するため」である。
通常のデジタル写真では、捏造が無いということを証明出来ないが、リバーサルフィルムでの撮影ならば、もし本当に証明が必要な時にはフィルム現物を提示することが出来る。
2つ目の理由として、「歴史に残るようにするため」。
歴史が動くきっかけというのは、それが起きたその時にはその重要性に気付かないことが多い。後になって、「ああ、あの時が歴史が動いたその時だったんだ」と思うことになる。だから、今その判断が付かないなら、とにかく撮っておくしかないし、撮った後にその写真の歴史的価値を後世で判断すれば良いこと。
デジタル写真では、最初からその写真の重要性を認められねば、撮影者がこの世を去った後は写真データの保持は絶望的。一目見ただけではその媒体に何が入っているかが第三者には分らないからだ。遺品の中に古いパソコンやDVD-Rなどがあっても、ハードウェアに興味が無ければ廃棄されるのがオチ。だがフィルムであれば、一目見ればそれが写真だということが一目瞭然のため、廃棄を免れ生き残る可能性は高いと期待する。
そして3つ目の理由として、「唯一無二の写真形態である」ということ。
現地では我輩の他にもカメラ撮影は多く行なわれようが、今の時代では銀塩写真は恐らく我輩撮影分が唯一のものとなるはず。フィルムを使って撮るものは他におるまい。そういう意味では、問答無用の存在価値があろう。
ただし画質の確保を考えると、中判撮影が好ましいと言わざるを得まい。
もちろん、悠長な撮影も出来ぬであろうから、ズームレンズを装着したフルオート一眼レフ「PENTAX 645N」が相応しい。
一方、デジタル撮影では「Nikon D700」の投入を考えたが、「645N」との併用を考えた際に負担があるかと思う。また、「D700」では動画撮影も出来ない。ここは、動画撮影も可能な軽量デジタルカメラ「Panasonic DMC-GF1」としたい。
<10月16日(土)当日>
当日、撮影機材を乗せてクルマで出発。
我輩は、平日は乗り換えの多い気の休まらぬ電車通勤をしているため、休日ではとても電車には乗れない。そういうわけで1日最大1,800円と少々高いがコインパーキングに停めることにしたのだ。
ただ、それでも現地までは少し距離がある。
本当に現地に近いパーキングではもっと値段が高かったり、安くとも駐車台数が少なかったりして、確実に停められる値段上限のあるところを探すと、少々離れた場所になるのは仕方が無い。
駐車場を出てから、登山用に使っている携帯GPS「GARMIN」を取り出し空に向けて測位を始めたが、ビルの谷間では衛星が捕捉出来ない。
時間が無いので、高くそびえる六本木ヒルズの高層ビルを目印にしながら歩いて行った。
しばらく歩いていると、拡声器の声がかすかに聞こえてくる。恐らくその方向であろう。
歩く速度を少し早めた。
途中、霊園を通り、そこを抜けた先の公園に、日本国旗「日の丸」が沢山見えた。そこが、集会場所の「青山公園南地区」である。
そこには数え切れないほどの多くの人々が集まっており、明らかに一般市民という雰囲気である。見た限りでは、いわゆる右翼系のなりをした者はいない。
<青山公園南地区> |
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[PENTAX 645N/45-85mm/Kodak E100G] 2010/10/16 14:34 |
集会では、多くの文化人や地方議員が登壇し演説をしていた。
我輩は、集まった人々の様子や、演説の様子などを撮影していたが、演説の内容が非常に尤もな主張ばかりで、それを聞いただけでも溜飲が下がる思いだった。
<「頑張れ日本!!全国行動委員会」 水島幹事長> |
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[PENTAX 645N/45-85mm/Kodak E100G] 2010/10/16 15:31 |
そしてこのデモが非常に理性的であることを感じ取ったので、やはり我輩自身もこのデモに参加すべきだと考えた。
我輩も、行動すべきなのだ。声を上げるべきなのだ。
<青山公園南地区に集合し、登壇者の話に賛同するデモ参加者> |
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[PENTAX 645N/45-85mm/Kodak E100G] 2010/10/16 15:27 |
演説が一通り終わり、15時50分頃、デモ行進が始まった。
デモ参加者は、インターネットを通じて集まった一般市民であるためか、それぞれに自作のプラカードを作っていた。我輩が見渡せる範囲では、このデモの趣旨に外れた内容のプラカードは特に無かったように思う。
<青山公園を整然と出発するデモ参加者> |
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[PENTAX 645N/45-85mm/Kodak E100G] 2010/10/16 15:53 |
まず、大きな日の丸を持っている者たちが先頭を歩く。そして、シュプレッヒコールを読み上げるウグイス嬢の乗った宣伝カーが続き、我輩を含むその他諸々が付いていく。
公園出口付近では、警官隊が列を成して出迎えていた。そして車道端を5列で歩くように指示が行なわれ、我々はそれに従い、シュプレッヒコールを叫びながら整然と歩いた。
<警官の指示に従いながら整然と行進するデモの隊列> |
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[PENTAX 645N/45-85mm/Kodak E100G] 2010/10/16 16:07 |
あらためて前後を見れば、子連れや高齢者の参加者もいる。大学生か高校生のような若者もいた。前のほうの列にいる抱っこされている子供と目が合い、笑顔を返した。
今の日本で、こんな一般の人々がデモに参加している。この事実がにわかに信じ難い。
それに参加している自分でさえ、そう思うのだ。我輩の雑文でこのデモを初めて知る者には、この光景がどう映るのであろう。我輩は、カメラのシャッターを切りながら、使命感のようなものを感じた。
<警官の指示に従いながら整然と行進するデモの隊列> |
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[PENTAX 645N/45-85mm/Kodak E100G] 2010/10/16 16:12 |
デモの隊列は、警官たちの交通整理に従いながら粛々と行進し、その途中、折り返して中国大使館へ向かう先頭集団とすれ違った。
その中に「頑張れ日本!!全国行動委員会」会長の田母神氏がおり、我輩はとっさにシャッターをきったものの、慌ててズームしながら撮ったために大きくブレてしまった。
<中国大使館へ向かう 田母神俊雄会長とすれ違った> |
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[Panasonic LUMIX DMC-GF1/14-42mm] 2010/10/16 16:38 |
我々の隊列は、16時45分頃「三河台公園」へ到着した。
そこでは、先に到着した者たちが拍手で我々を迎えてくれた。それはまるでマラソンを完走したかのような、ちょっとした感動が味わえた。
その感動を後から到着する者たちへ贈るため、我輩も拍手に加わった。
<三河台公園へ到着した者たちを拍手で迎える> |
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[PENTAX 645N/45-85mm/Kodak E100G] 2010/10/16 16:50 |
この公園にて、「頑張れ日本!!全国行動委員会」の水島幹事長から激励の言葉と、参加者の数が発表された。
それによれば、警察発表で5,800人の参加者があったとのこと。前回の2,600人を大幅に上回る数である。我輩もその1人となったのか。
<三河台公園にて水島幹事長から激励の言葉と参加者の数が発表された> |
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[PENTAX 645N/45-85mm/Kodak E100G] 2010/10/16 16:55 |
さて、これから中国大使館へ向かい、皆で抗議活動を行なうことになっているのだが、空を見ると、もう夕方から夜になろうとしていた。
マズイことに、ストロボを持ってこなかったため、ストロボを内蔵していない645判の「PENTAX 645N」のほうはそろそろ撮影限界になってしまう。フィルム感度もISO100であるから、暗さには弱い。せめて、F2.8の明るい標準レンズがカバンに入っておれば良かった。
そういうわけで、この先はデジタルカメラ「GF1」が頼みの綱。
折り返しで大使館へ向かう列はデモ行進ではないため、車道ではなく歩道を歩くことになる。一般通行者の邪魔にならぬよう、警察の指示で1列で移動する。
前方を見ると、横断歩道を渡る「日の丸」の列。
東京の街中で、このような光景を目にすることになろうとは・・・。
<中国大使館を目指し横断歩道を渡る「日の丸」の列> |
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[Panasonic LUMIX DMC-GF1/14-42mm] 2010/10/16 17:19 |
それにしても、六本木ヒルズ辺りにさしかかった頃、列が進まなくなってしまった。
途中、伝令のような者が前方から近付きながら叫んでいる。それによれば、「中国大使館前には5人1組でしか行けないようになっている。このままでは翌日までかかる。」とのこと。
「5人1組なんて観光じゃないんだから」と周囲から不満が漏れる。
<中国大使館を目指すものの、なかなか前に進めない状況> |
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[Panasonic LUMIX DMC-GF1/14-42mm] 2010/10/16 17:52 |
我輩も、さすがに疲れてきた。
やはりクルマで来て良かった。電車だと乗り換えのたびに重い荷物を抱えて階段を上り下りせねばならなかったろう。
また伝令役がやってきた。
「警官たちは我々を疲れさせて抗議を骨抜きにするつもりだ!頑張れ!」
確かに、もう帰りたくなっていたところだ。だがもう少し踏ん張ろう。せっかくここまで来たんだ。
途中、日の丸を持っていない者たちが一般通行人を装って列を抜けて前に歩いて行く。我輩もそれに付いて行った。もし問題があれば、このまま通行人のままで帰れば良かろう。
少し先に進んだところ、大使館近くでは大使館側の歩道が通行禁止になって警官隊に止められた。
そこでは少々言い争いが起きていた。暴力は無いが、日本人としての権利を強く主張する側と、交通整理と秩序を守ろうとする警官隊とのせめぎ合いである。我輩にも緊張感が走るが、動画撮影でその様子を撮影した。
やがて、警官たちが説明不足を謝罪し、この場は収まった。そして、警官の指示する側へ誘導され、再び行列になって歩いた。
だがやはり、何度も行列は止まってなかなか進まない。途中で警官が止めるのだ。よく見れば、確かに5人ずつ通しているようだ。
<5人ずつ通すための警官による通せんぼ> |
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[Panasonic LUMIX DMC-GF1/14-42mm] 2010/10/16 18:19 |
通せんぼをされている時にその警官に中国大使館までの距離を訪ねると、「もうすぐそこです」と指差して教えてくれた。「正門がそっち側にあります」と。
警官一人一人は親切なのだが、上からの命令があるのであろう。
しばらくして通せんぼが解除され、5人で中国大使館前を通った。見ると、多くの警官が門前を護っていた。
我輩は特に抗議の言葉を用意していなかったので、不意に通り過ぎた瞬間に声を上げられなかったのだが、何人かは「ノーベル平和賞おめでとう!」と叫んだ。
<中国大使館正門> |
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[Panasonic LUMIX DMC-GF1/14-42mm] 2010/10/16 18:23 |
だが、5人1組の通過が納得出来ない者たちが大使館を少し過ぎた歩道上に溜まり始め、交通整理の警官隊に道を開けるよう注意を受けた。
最初は道を空けていたものの、人数が増えるにつれてそれも物理的に難しくなってきた。
<中国大使館正門前で仲間を迎える> |
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[Panasonic LUMIX DMC-GF1/14-42mm] 2010/10/16 18:24 |
警官は拡声器を使い、「このままだとあなたたちの仲間が通れず、抗議活動ができませんよ」と呼びかけた。するとすかさず「5人1組じゃ抗議にならないよ!」とか「いっぺんにまとめて通せばすぐに済むでしょうが!」と声が上がった。
我輩としては、警官の立場も解る。確かに無制限に通しては大変な混乱が予想される。しかしそれでも、5人1組というのはヒドイと思った。やはり抗議活動が抗議活動として行なわれるよう配慮すべきではいのか。
<中国大使館正門道路向かい側 − 警官に抗議するデモ参加者> |
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[Panasonic LUMIX DMC-GF1/14-42mm] 2010/10/16 18:30 |
野次が飛び交い、それに対して拍手が涌き起こる。
警官が「抗議に賛同する拍手はしないで下さい」と拡声器で叫んだが、より一層の大きな拍手が上がるだけだった。我輩も、その警官の目の前で拍手をしたので、もしかしたら公務執行妨害で逮捕でもされるかと覚悟を決めたが、拍手の人数が多かったためかそれ以上緊張が高まるやり取りは無かった。
我輩はそれらのやりとりを「GF1」の動画撮影機能で撮影していたのだが、途中でメモリ不足で撮影不能となってしまった。実は、予備のメモリを持ってくるのを忘れたため、撮影はそれ以上出来なくなってしまったのだ。
急いで不要な画像を何枚か削除したりして、少々の容量を確保したのだが、しばらくして幹事長である水島氏からの終了宣言が出され、その様子を撮ったものを最後に撮影は完了となった。
<中国大使館正門前 − 水島氏による終了宣言> |
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[Panasonic LUMIX DMC-GF1/14-42mm] 2010/10/16 18:44 |
これにて、デモと抗議活動が終わった。
我輩は、もう体力的に限界で、人混みをかき分けて駐車場のある方向へ歩いた。
数百メートル歩くと、あの人混みがウソかと思うくらいに閑静な夜道に出た。
早くクルマの座席に座って休みたい・・・。
それにしても、方向が分らない。
ドイツ大使館があったので、大体の位置関係が分ったものの、道が素直に伸びているわけではないので道の右左どちらへ行けば良いのか迷う。
改めて携帯GPSのスイッチを入れてみた。
なるべく空が開けた場所に移動し、測位が終わるのをひたすら待つ。
5分くらいして、ようやく現在地が現れた。しかし衛星の補足が弱いのか、誤差が数十メートルあるとの表示。しかしそれでも助かる。
しばらくすると、建物の合間から六本木ヒルズの高層ビルが見えてきた。ここまで来れば、あとは高層ビルを目印にして歩ける。
重い撮影機材が肩に食い込みながらも、早く休みたい一心で早歩きになる。
ようやく、見たことのある風景が現れた。
地下駐車場のため、地下道へ入り、そこからエレベーターに乗ってさらに下へ降りる。
清算を済ませた後、機械式パーキングから現れた自分のクルマに乗り込み、一息ついた。エンジンをかけ、長いらせん状のスロープを慎重に上がり、道に出た。
これから運転して帰る労力もあるが、電車で吊革に掴まって立ったり、乗り換え駅で階段を上り下りする苦労に比べれば、クルマのほうが遥かに楽。
<マスコミ報道及び我輩の個人報道について>
デモから帰宅したその夜、ニュースの時間帯にテレビをつけ、各局を観てみたのだが、1局のみが「中国での反日暴動・略奪の原因が日本のデモだ」などという論調でほんの数秒出た程度で、やはりデモのことを取り上げているところを見付けることは出来なかった。
土曜日から日曜日にかけては、一週間の出来事をまとめて伝える番組も幾つかあることから少々期待したのだが、全く無かったことにされていた。
また、週刊誌については、書店で確認した範囲では10月21日発売の「週刊新潮」にて紹介されているのみ。
そして新聞は、我輩は未確認だが産経新聞のほうでの報道があった以外はほんの数行だったそうだ。
こういう状態では今回も、国民のほとんどがデモのことを知ることも無く終わるだろう。
<今回のデモについて報道した「週刊新潮」> |
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さて、我輩が今回デモに参加した理由は、2つの目的があった。
1つ目の目的は、自分が日本政府及び中国共産党に対する内に秘めた不満を外へ主張するための具体的行動を起こしたかったということ。
思っているだけでは何も変わらない。それがどうにも歯がゆい。選挙で投票しようとも、直近の民意は反映されない、ましてや我々のような少数派の意見が持ち上がらない以上、何か行動で示さねばと、かねてから思っていた。
ただし、我輩の主張行動は我輩自身の問題であり、この場で賛同を得ようという意図は無い。もしそれが目的ならば、当ウェブサイトで場違いな記事を書くことなどするはずがない。
2つ目の目的は、マスコミが報道しない事実を我輩が報道するということ。
これは、我輩がたまたま持っていた写真趣味と、同じくたまたま持っていたウェブサイトという道具を使い、今回の出来事を1人でも多くの国民に知らせようと考えたのだ。
政治主張を行うならば場所を選ばねばならないが、事実を伝える目的ならば、当ウェブサイトでも問題は無いと考えた。寧ろ、政治外交を意識していない者たちへ知らせることになる。
マスコミが情報を取捨選択するのは、限られた放送枠ではある意味仕方無い点もあろうが、今回の件に関しては、明らかに情報統制されていると言わざるを得ず、国民の知る権利を著しく損なっていると感じた。
「別にこのような出来事を知ろうが関心など無い」と思う者もいるだろうが、情報というのは余すところ無く伝えてこそ意味があるのだ。全ての情報を与えられねば、正しい判断は何も出来ない。伝えた後、関心が無ければそれはそれで良い。
マスコミが取捨選択をした後のニュースだけを観て物事を判断するならば、それは結局、マスコミの判断を追認するだけの作業でしかない。なぜならば、知ったことを基にして判断は出来るが、知らないことについて判断することは出来ないからだ。
もちろん、我輩は一般人であり、記者ではない。だから、我輩がマスコミの報道しないことを全てフォローすることなど出来ぬし、やろうとも思わぬ。
しかし、マスコミの伝えぬ我輩の知る範囲の事実を、自分の範囲内で報道することは、我輩に課せられた使命であると考えたのだ。
改めて繰り返すが、この個人的報道を見て、何を感ずるか、何を考えるかは、人それぞれ。
我輩はただ、自分の知りえたマスコミの伝えぬ事実を伝えたかった。
<今回の写真撮影に関するまとめ・反省点>
・現像したあとのポジを見ると、やはりポジでの撮影は意味があることが分かる。
・明るい標準レンズ「80mm F2.8」は軽量なため、光量不足に備えてカバンに常備すべし。
・予備のフィルムマガジンは必要。
・動画を撮るならばメモリカードは潤沢に用意。
・状況により途中でデモから離脱して報道撮影に徹しても良かった。
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