2000/04/05
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表紙

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カメラ雑文

[697] 2010年07月19日(月)
「公約を実行出来ない民主党」


去年2009年、長らく続いた自民党政権が、衆議院選挙で民主党に大敗した。政権交代の歴史的瞬間であった。
そしてその時、我輩以外の日本人は皆、未来への希望に心を躍らせた。

選挙前の民主党は、「高速道路の原則無料化」とか、「ガソリン税減税」とか、「子供手当支給」とか、様々な選挙公約(マニフェスト)を打ち出し、それらに賛同した有権者から票を集めた。

ところが、いざ民主党が政権を取ると、現実の問題が次々に浮上し、公約の実現には至らなかったものがあまりに多い。
我輩以外の日本人が、民主党の公約実現を期待したからこそ選挙で民主党を勝たせたというのに、公約が実現できない民主党に、いったい何の存在理由がある?

・・・・・

さて、デジタルカメラは現在、1,000万画素のあたりが主流となっている。コンパクトタイプ、ミラーレス一眼タイプ、一眼レフタイプと、それぞれにイメージセンサーの大きさに違いはあれど、どれも大体そういう状況。

ところが一般的に、画素数を増やしていくとノイズが多くなったりダイナミックレンジが狭くなる。それを嫌う者の中には、デジタルカメラが1,000万画素で頭打ちになることを望む者すらいる。
「画素数の高さよりも、ノイズの少なさを優先させたい。」
これが、彼らの主張である。

しかしながらノイズの問題が表面化するのは、コンパクトタイプデジタルカメラの本当に小さなイメージセンサー(1/1.8インチなど)の場合であって、一眼レフタイプのような比較的大きなイメージセンサーであればまだまだ余裕はある。それでもノイズが酷いと言われているのは、超々高感度領域での話。
例えば、1,200万画素機「Nikon D700」と2,000万画素機「Canon EOS5D Mark2」では、通常感度域でのノイズの優劣に顕著な違いは見られない。

そもそも、超々高感度が必要な場面がそんなにあるのかと問いたい。
そういう場合、銀塩写真時代であればストロボを使ったり、F1.2などの大口径レンズを用意したり、三脚で固定しケーブルレリーズで長時間露光したりしたもの。そうやってもなお、超々高感度でなければ撮影不能な状況があるのか?
どうせまた、横着して撮ろうというのだろう。いかにもデジタルカメラ使いにありがちな発想だな。

それに、いくらノイズの少ない滑らかな諧調であっても、画素数が足らず全面モザイクになってしまえば、写真として不足がある。

<ノイズの乗った高解像画像>
<ノイズの無い低解像画像>
ノイズの乗った高解像画像 ノイズの無い低解像画像

最近はパソコンディスプレイもフルHDタイプが当たり前のように売られているし、先日などSONYの4K解像度(4096x2160ドット)のディスプレイも目にしたが、1,000万画素がそのまま表示されていたのには驚かされた。そのようなディスプレイが当たり前の時代になれば1,000万画素ではギリギリで、トリミングは2,000万画素でなければ無理である。

我輩の正直な気持ちは、銀塩写真を絶滅の危機に追いやったデジタルカメラが、早々に画素数に見切りを付けるなどということを許すことは出来ない。あれほど「銀塩の画質(画素数)を越えた!」と喧伝していたデジタルカメラなのだから、最後まで筋を通して画素数にこだわるべきである。もしそれが出来ねば、公約を実行出来ない民主党のようだと呼ばれても仕方あるまい。

もちろん、デジタルカメラは画素数を公約にしていたわけではないが、銀塩カメラとの政権交代は、事実上、画素数の向上によってもたらされたものであることを忘れるべきではない。

それを考えると、もしデジタルカメラが少々のノイズを恐れて1,000万画素で頭打ちになるならば、何のために銀塩から政権を奪ったのだ?という話になる。少々のノイズがどうこう言うくらいの神経質であるならば、デジタルの色の浅さを問題にしないのは矛盾にもほどがあるし、むしろそちらのほうが致命的画質低下ではないのか。

デジタルカメラを選ぶのであれば、少々の画質低下よりも解像度としての情報量を優先させるべきだと我輩は思う。それこそが、銀塩を否定したデジタルカメラの存在意義なのだ。
画質に妥協出来なくば、今すぐにでも銀塩に戻れ。
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イラスト提供:シェト・プロダクション