2000/04/05
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表紙

1.主旨と説明
2.用語集
3.基本操作法
4.我輩所有機
5.カメラ雑文
6.写真置き場
7.テーマ別写真
8.リンク
9.掲示板
10.アンケート
11.その他企画

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カメラ雑文

[625] 2008年06月23日(月)
「デジタルを認めない理由(2)−成果物」

最近のデジタル写真には目を見張るものがある。
それは、我輩の写真に対する興味の一つ、「何でも細かく写り込んで、後で観るのに楽しい」という、いわば「写真の情報量」について、我輩の要求を満たしつつあるからだ。
(参考:雑文081「写真の情報量」

今や、2,000万画素も実用の時代となった。
レンズを通る光さえ細かく解像すれば、あとは高画素受光素子(CCDやCMOS)が情報量を確保する。

しかも、受光素子は最大でも35mm判サイズ(一般向けデジカメの場合)であるから、被写界深度は中判カメラに比べて深い。広角レンズで絞り込めば、パンフォーカス画像も容易に手に出来る。これが2,000万画素であるとすれば、まさに隅々まで見渡して楽しめる情報量となろう。

さて、デジタルカメラで撮られた画像は、最終的にデジタルデータの形として保存される。
デジタルデータの場合、出力方法は2通つの方法があり、1つはパソコンディスプレイによる表示、そしてもう1つはプリンターによる印刷である。

まずパソコンディスプレイについてだが、あまり写真の鑑賞には向かない。なぜならば、画素密度200dpiくらいで頭打ちなのだ。
だから、大きなデータを表示させるには、寸法の大きなディスプレイで表示させねばならないが、画素密度そのものは変わらないので、写真としての緻密感はディスプレイ上からは感ずることは出来ない。

次に印刷の場合。
現在のパソコンプリンターは専用紙を使えばかなりキレイに出せるようになった。使用するインクの色数も多くなり、オフセット印刷よりも鮮やかさでは勝るものまである。
しかしいくら鮮やかとは言っても、すべての写真をプリント出力するのは現実的ではない。大きな画像データであれば、出力もそれなりに大きな紙サイズが必要となろう。鑑賞として使う用途ならば、撮った画像のデータ量はすべてを味わうのは当然のことである。もし小さな紙に出力するならば、ハンドリングは向上するものの、画質はその分スポイルされてしまう。

そもそも、ディスプレイやプリンターによる出力は、パソコンという機械によってデータを映像として見える形に復元されねばならぬ。
もし画像を保存しているメディアが破損したり、画像形式そのものが廃れたりした場合、もはやどうしようも無い。

それに対し、従来のフィルム(ポジ)ではどうか。
デジタルカメラとは違い、得られるものはポジという透明陽画である。パソコンで利用するにはスキャナで読み取るなど手間がかかる。

しかしながら我輩は、これまで出会ってきた写真媒体の中で、ポジという形態が写真として非常に合理的であると考え、これを採用してきた。

ポジは、それ自身に最大の表現密度を持っている。(ディスプレイに対する利点)
ポジは、それ自身が保存に適したハンドリングの良いサイズである。(紙印刷に対する利点)
ポジは、再生機が無くともそれ自身で閲覧出来る。(デジタルデータに対する利点)
ポジは、拡大投影によって自在に表示サイズを変えられる。(ディスプレイに対する利点)

もちろん、現在のデジタルカメラが高性能であることは、認める。
しかし、せっかく大きな情報量を貯め込んでも、そのデータ量に相応しい形で出力が出来ないというのでは、片手落ちと言わざるを得まい。

その点に関しての議論は我輩以外では行う者はいないが、その点は誰もが割り切っているからであろうか。

しかし我輩としては、入力(撮影)から出力(成果物)までを一貫して考えてしまうため、どうしてもポジ出力に勝る出力が出来ないデジタル画像には、その価値を認める気にはならないのである。