[624] 2008年06月23日(月)
「デジタルを認めない理由(1)−"画像"と"写真"」
我輩はデジタルカメラの一つにNikon D200を使っているが、カメラ側が白飛びを恐れているためか、オートで撮ると大抵のカットで明らかな露光不足となる。
要は、「レタッチソフトで調整して下さい」という言葉無きメッセージなのであろう。あるいはRAWデータでの撮影を前提としている?
(1日に数千枚も撮るという話も聞くくらい大量に撮影するデジタルカメラであるから、わざわざRAWデータで1枚1枚調整するヒマ人もおるまいが。)
我輩も、デジタルカメラでの撮影カットは、従来の撮影と比べて非常に多くなっている。
撮影後はパソコンでサムネイル表示させ、明らかな不良(例えばストロボ撮影時にたまたま不発となり真っ黒に写ったカットなど)は削除していくわけだが、微妙なピンボケや露光過不足、そして甘いフレーミングの画像は見逃してしまう。
"見逃す"とは、気付かないという意味ではない。「まあ、とりあえずいいか」と見逃してやるのである。
デジタル画像というのは、レタッチによってある程度のものは救済出来る。そうなると、従来のフィルム撮影では明らかにボツ扱いだったカットでも採用組に入ってしまう。
もちろん、デジタル写真は数が多いため、全てのカットについてレタッチを行うことは時間的にも不可能。
そうなると、レタッチしても救済不可能なもの以外はとりあえず全てを保存しておき、利用することになった時にそのつどレタッチするしか無い。
問題は、「撮影のたびに画像が大量に発生すること」と、「成功カットとそうでないカットが渾然一体となること」である。
我輩は現在、写真データのバックアップは4GBのDVD-Rを使用しているが、大量に撮影してしまうとその容量でも不足を感ずる。大量に撮った場合は複数のメディアに分かれてしまい、ハンドリングが非常に悪くなる。
しかしその問題は、データ量の問題は時代が解決してくれるとは思う。
Blu-ray Discだと最大27GBも保存出来るらしいから、少し待てばこの点は楽になるかも知れぬ(動画保存には100GB以上のメディアが欲しいが)。
ただ、成功カットとそうでないカットが渾然一体となることについては、いつも釈然としない。
フィルムで撮影したものを見ると、そこには失敗写真は存在しない。なぜなら、現像されたスリーブ状のフィルムを切り分けてマウントする際に、失敗カットはゴミ箱に捨てているからだ。
とても素晴らしいタイミングで撮られたカットであっても、それが微妙に露光過不足があれば泣く泣くボツとした。それが今までのやり方だった。
そしてその採用のボーダーラインは、これまで下げたことは無い。それは、今までボツとなってきた写真を尊重するためである。もし途中でボーダーラインを下げてしまえば、それ以前にボツになったカットは何のために捨てられたのかということになってしまう。
そんな我輩が、デジタル写真を利用するにあたって、採用のボーダーラインの曖昧さがとても不愉快に思う。
DVD-Rの中に、レタッチを前提とする画像が大量にある。
我輩にはもはや、それらは写真には見えぬ。
単なる素材としか思えないのだ。
我輩のデジタルカメラ暦は11年ほどにもなるが、それでもデジタル写真に対しての価値について、便利さ以外の写真的価値を認めることは出来ない。
我輩の価値観では、フィルムで撮ったものは"写真"だが、デジタルカメラで撮ったものは、あくまで"画像"なのだ。
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