日頃多くの事件が次々に報道され、少しでも古い事件はすぐに意識の外に追いやられてしまう。しかしその中でも、ふと思い出した事件があった。
朝日新聞の捏造体質を象徴する有名な「サンゴKY事件」。
発端は、1989年4月20日付の朝日新聞夕刊第一面に掲載された記事だった。
記事によると、このサンゴは世界最大のもので、ギネスブックにも載っているとのこと。環境庁は、人の手を加えてはならない「自然環境保全地域」と「海中特別地区」に指定したという。
しかし、そこにはあってはならぬ彫り物があった。
サンゴにくっきりと刻まれた「KY」のイニシャル・・・。
記事では、この彫り物を心無いダイバーによる所業として写真付きで紹介し、すさんだ日本人の心の象徴として反省を求めていた。
そして最後にこのように締めくくった。
「KYってだれだ。」
しかし地元ダイバーから状況の矛盾点を指摘され、その結果「元々あったKYの文字を、撮影効果を上げるためになぞって掘りなおした。少しやりすぎた。」と弁明することになった。
ところがそれでも矛盾は解消されず、最終的には彫り物そのものが記者による捏造であることが判明した。
環境保護を謳って偉そうに反省を求める記事を書きながらも、実際に心がすさんでいたのは朝日新聞の記者自身であったのだ。
「KYってだれだ。」
今読むと、よく言えたものだと本当に感心する。普通の人間の感覚があれば、猛烈に恥ずかしいはず。
さて現在では、新聞記事用の写真はほぼ全てがデジタルカメラによるものだと聞く。
ニュースは即時性が命であるから、現像処理を必要とせずしかもデータが電送可能なデジタルカメラはこの用途には最適。
しかしながら
雑文414「ブラック・ジョーク」でも書いたように、デジタルデータは手を加えることが当たり前であるから、レタッチと捏造の区別が曖昧になる。
このような悪意無き捏造でも十分問題になるわけだが、確信犯(誤用承知)がデジタルデータを悪用するならば、もっとややこしいことになろう。
朝日新聞のサンゴKY事件にしても、実際にサンゴにキズを付けるのはそれなりに罪悪感もあったろうと思う。ところが画像の中だけの捏造とすれば、実際にサンゴにキズを付けずとも済む。もちろんサンゴが特定されれば後で検証されてしまうが、巧くやれば画像の中の話が現実にすり替わる。
画面上だけのことであれば、捏造に伴う罪悪感は無くなり、捏造の敷居はかなり低くなるだろう。
確かに「実際にサンゴが傷付くことと比べれば罪は軽い」という見方もあるかも知れない。だが、記者の望むシナリオに読者を誘導することの罪は変わらない。
ここであらためて言うことでも無いが、ホントに捏造に都合の良い時代になったものだ・・・。