[537] 2005年07月01日(金)
「行き過ぎた進化」
生物の進化の歴史とは、「多様化」と「環境変化による淘汰」の繰り返しと言える。
安定した環境が続きありとあらゆる種が生まれる。それがある時、環境の激変による淘汰を経て数少ない種が生き残る。
環境の安定した時代があまりにも長く続くと、その環境に究極まで適応する種も出てくる。他の生物よりも生存に有利であるがゆえ、その時代の栄華を極める。恐竜などもその一例だと言われている。
ただ、環境がひとたび変わると、もはや後戻り出来ぬまでに適応しすぎた種は滅ぶしかない・・・。
さて、我輩はここ数年、露出決定にデジタルカメラを利用している。
デジタルカメラであれば、ポラロイドと同じように仕上がりイメージがモニタリングが可能。定常光とストロボ光とのミックスであっても不安は微塵も無い。
通常の露出計の場合、いくら確信を持って決めた値であっても一抹の不安はある。結果は現像してからでなければ最終的な答が出ないからだ。そのため、どうしても失敗が許されない場合には露出値をズラして何枚か撮ることになる。
もっとも、デジタルカメラを露出計として利用を始めた最初の頃は、恐る恐るであったため幾つかバックアップ体制を敷いていた。段階露出はもちろん、予備の単体露出計、そして露出値の記録。
しかしデジタルカメラの実績を積むにつれバックアップの必要性を忘れ、いつしかデジタルカメラだけに頼ることに違和感を持たなくなった。露光値の失敗も無く、撮影日時や露光情報も全てがデジタルカメラの画像に記されている。
正直な話、単体露出計を使うための勘も鈍り(単体露出計は測り方ひとつで全く値が変わるため)、それをバックアップとして携行しても役に立つとは思えなくなってきた。そうであるならば、むしろデジタルカメラの電源が切れぬようバッテリーを万全とすべきか。
もはや我輩にとって、デジタルカメラは必要不可欠の存在であり、それが無い状況など全く想定していない。
ところがゴールデンウィーク中、水戸に旅行に行った際にデジタルカメラが機能不全に陥った。
見るとレンズ繰り出し部分にトラブルがあるようで、モーター音が苦しそうに唸るもののレンズが引っ込んだまま。
電池なら予備は用意してあるのだが、肝心のカメラ本体が故障すれば何の意味も無い。
旅行から帰宅後、我輩は中古のデジタルカメラを物色したりした。本来ならば単体露出計の携行を徹底するべきだが、もはやデジタルカメラを前提とした思考のため、そんなことは検討すらしなかった。
結局金が無いことにより中古購入は諦め、故障したデジタルカメラを自力で修理し、幸運にも機能を回復させることに成功した。
しかし先日、撮影中に誤ってデジタルカメラをカーペット敷きのコンクリートの床に落としてしまった。
拾い上げてみると、意外にも外傷は無い。だが水戸での症状が再発。レンズが引っ込んだまま出てこない。
分解修理した経験上、レンズ駆動部のギアボックスの噛み合わせがズレたせいだと分かった。しかしその場で分解するわけにもいかない。そもそも工具も無い。
完全にお手上げだった。
ここまで痛い目に遭えば、我輩も目が覚める。
「デジタルカメラ一辺倒も、問題があるな・・・。」
これはまさに、栄華を究めた恐竜の末期(まつご)のようなものか。
あまりにもデジタルカメラでの測光を前提にしすぎたため、それ以外の方法を退化させてきたツケが廻ってきた。今そこに単体露出計があっても、デジタルカメラのモニタリングに慣れた我輩には目隠しをした状態で歩くようなもの。
恐竜と同じように、環境の激変に為す術が無い・・・。
帰宅後、デジタルカメラは修理によって再び機能を回復した。しかし、同じ事はまた起こるだろう。もしかしたら、完全に故障する日も近いかも知れない。
これを猶予期間と考え、それまでに何とか単体露出計による勘を取り戻さねばならぬ。
いやむしろ、デジタルカメラを使ってきた経験を活かし、更なるレベルアップを狙うことを目標としよう。
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