先日、インターネットオークションで「大判・中判カメラ」のカテゴリを眺めていたところ、大正〜昭和初期に撮られた大量のガラス乾板が出品されていた。
(※ガラス乾板=用語集「ガラス乾板」の項目参照)
このようなまとまった数の貴重な資料がオークション出品によって散逸するのは残念ではあるが、半世紀以上前のガラス乾板がよく今まで破損せず残っていたものだと感心もした。
オークション画面にはモノクロネガの状態のガラス乾板の画像が表示されていたのだが、今は便利なもので、パソコン上で白黒反転すればネガからポジの状態へ瞬時に切り替えて見ることが出来る。
またロシアでは、半世紀どころか100年も前にRGB3色分解撮影によるカラー写真が撮られており、それがWeb上で公開されている。
「
The Empire That Was Russia」
100年前のものとは思えぬ生々しい色に、思わず目を見張る。
(※3色分解写真=用語集「3色分解写真」の項目参照)
ところで現在、銀塩形式に代わって電子画像が多く撮られている。
デジタルカメラの画像はもちろん、ビデオカメラの映像もこのうちに入る。
これらは、写真感材などの消耗品や現像処理を必要とせず、誰でも気軽に撮れるという大きなメリットがある。写真人口の裾野を広げた役割も大きいだろう。
今日ではガラス乾板やRGB3色分解による撮影は廃れてしまった。それと同じように、電子画像に押されてフィルムを使った写真も廃れる日が来るかも知れない。
だがもしそうなったとしても、現在手元にある写真が使い物にならなくなるわけではない。これが電子画像と決定的に異なる点である。
物質的に残る銀塩写真というのは、いくら写真規格が廃れようとも、既に撮影済みの写真については全く影響を与えない。電子媒体のように、映像が再生機にかけるまで見ることが出来ないという弱みは無い。しかも電子画像には、再生機の規格が変わるとその画像を見る手段が永遠に失われるという危険性もある・・・。
ここ数年、デジタルカメラなどの電子画像の台頭により銀塩写真が無くなるという話題もよく出るが、正直なところ、将来どうなるかは誰にも分からない。
しかし、銀塩写真が無くなると騒いでいる暇があったら、一枚でも多く写真を残しておけと言いたい。撮影された写真は、保存さえ適切ならば驚くほど長期間残る。それは、自分の時代を超えることがあるかも知れない。冒頭に触れたような、ガラス乾板やRGB3色分解写真など、未来の人間の心を動かすかも知れない。
いずれにせよ、写真を撮っておかねば始まらぬ。
前にも似たようなことを書いたが(参考:
「愉しみの回収」)、銀塩写真が廃れたとしたら、我輩は撮影趣味を辞めて鑑賞趣味へと移行するつもり。
その時のために、我輩はせっせと写真を撮る。