[505] 2004年08月17日(火)
「夏の帰省日記(3)」
●5日目(8月11日)−門司港・下関−
この日の夕方には帰りの寝台列車に乗る予定となっている。
その時間が来るまでは、我輩の母親と一緒に門司港〜下関へ行こうということになった。そのため、昼前に祖父母の家を出た。
祖父母との記念写真を撮り、そしてタクシーを呼んだ。
JR行橋駅まで出て、そこからソニックに乗り小倉へ。そしてそこから乗り換えて門司港へと到着。
<門司港駅>
そこで皆で食事した後、船で関門海峡を渡った。船は思ったより速く、波を乗り上げるようにして進む。そのため時々無重力になるのを感じた。豚児は目を丸くしていた。
船を降りて下関水族館へ行ったのだが、昔行った下関水族館とはまるで変わっていた。新しい水族館は「海響館」と言うらしい。
真ん中に鯨の骨格が原寸大で展示されており、かなり凝った造りになっている。上下左右に魚が泳いでいるトンネルなどもあり、魚好きの豚児は「おさかな!おさかな!」と指さして廻っていた。
水族館内はかなり暗いため、写真はまったく撮らずデジタルビデオだけを回した。しかしそれでも写らない暗い場所もあるため、赤外線照明の「ナイトモード」で撮ることもあった。
帰りはタクシーに乗り、関門橋(かんもんきょう)を渡って小倉へ戻った。
小倉では夕食と次の日の朝食を買い込み、しばらく駅の軽食コーナーで話をしていたが、時間が来たのでホームへ行った。我輩の母親も入場券で見送りに来た。
かなり暑かったが、母親は最後に豚児を抱っこした。豚児は「ばーちゃん」と呼んだ。
しばらくすると、寝台特急「富士」がホームに入ってきた。
我輩たちとヘナチョコと豚児の3人はそれに乗り込み、すぐに部屋へ入った。その窓からホーム側を見ると、母親がこちらを探しているのが見えた。窓は開かないのでガラス越しに手を振ると、こちらに気付き手を振り返した。
「ガシャン」と大きなショックの後、列車がゆっくりと動き出した。来る時とは違って編成の後ろの車両のためショックが大きいようだ。
母親は歩きながら窓に手を振っていたが、やがて列車の速度が上がり、その姿が見えなくなった。
またいつか会えるのだろうが、やはりこの瞬間が一番寂しい。
帰りの寝台では部屋は隣同士で便利だった。
列車は長い関門トンネルをくぐり、先ほどいた下関駅へ到着。ここでしばらく止まっていたので、片方の部屋で3人で食事をした。
食後に豚児の歯を磨いたが、暴れて泣き出した。しかしその後泣き疲れたのか眠ってしまい、面倒は無かった。
我輩は自分の部屋に戻り、撮影したフィルムを数えてみると16本あった。持参した120フィルムは17本であり、残りの1本はカメラに入っている。まさにギリギリであった。
とりあえず、来るときに撮れなかった寝台個室の写真を撮影。フィルムはあと数枚残っているが、それは朝の風景で撮ろうと思う。
●6日目(8月12日)−帰宅−
翌朝も良い天気で光が眩しかった。
順調に走ったようで定刻通り運行されているとの放送が入った。
我輩とヘナチョコはこの日になるとかなり疲れが出ていたが、豚児は元気そのものである。それもそのはず、この旅ではほとんど自力では歩かなかった。下に降ろした途端に「抱っこ!」である。この6日間で歩いたのは50mくらいだろうか。撮影時以外はほとんど我輩が抱えていた。
<朝の寝台>
寝台列車は品川駅を通り過ぎ、見慣れた山手線列車が見えてきた。
「ああ、やっと帰ってきた。」
ヘナチョコは、「帰っても料理出来ないから、どこかで食べて帰ろう。」と言った。我輩は、無言で頷いた。
外食の後、家に帰り着き、疲労のためしばらく横になっていた。
ふと横を見ると、BRONICA SQ-Aiがあった。何気なくそれを手に取ると、非常にコンパクトで撮影し易い。試しにKiev88CMも持ってみたが、やはり小さく感ずる。
MAMIYA RB67に比べれば、どんなカメラも小さく感ずるのは当然。
旅行や帰省では小型軽量のNew MAMIYA-6しか選択の余地は無いと思っていたが、今後、BRONICA SQ-Aiを選択肢に加えても良かろう。
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