世に存在するスターウォーズ・ファンというのは、「映像的リアル感」に入れ込んでいるわけではなく、登場人物や時代背景の「ストーリー的リアル感」に惹かれるのである。スターウォーズシリーズでは、映画にはほとんど現れないところまで細かく設定されており、映画の奥に広がる広大な「スターウォーズ・ワールド」を感じるのだ。
例えば、異星人の話す言語には規則性が感じられたり、登場するロボットや航空機には現代の工業製品のようにそれぞれの用途に応じた派生型があったりする。銀河共和国には地球のような政治風景が見られ、複雑な社会構造を感じることが出来る。そういった仮想世界全体を細かく設定し構築することにより、初めて矛盾の無いストーリーが完成するのである。
スターウォーズ・ファンにとって、映画は単なるプロモーションビデオに過ぎない。表面的な映像が全てだとは思わず、映画を「スターウォーズ・ワールド」の入口としているだけだ。その入口が多ければ多いほど、その世界が身近になる。
今回の作品では、主人公のアナキン・スカイウォーカーが暗黒面に堕ちるきっかけとなる感情のゆらぎ(愛する者を救えなかった悔しさ、悲しさ、怒り、JEDIの教えと自分の心との葛藤)を描いている。それがジョン・ウィリアムズの壮大な音楽に同調して感動を呼ぶ。
そういうわけで、スターウォーズ・ファンの我輩としては、映像に現実感無くともそれはそれで満足である。むしろ、伝説(サーガ)としての位置付けでは、かえって絵画的描写が効果的なのかも知れぬ。
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