雑文283にて、近視のMF能力について述べた。
だが、これはファインダー視度が微妙に合っていないという程度にのみ有効な方法である。近視の者は体調によって視力が一時的に悪いほうへ変わることがある。その都度、視度補正レンズを付け替えるのも現実的では無く、雑文283のようなMF能力を身に付ける必要があった。
しかしながら、単に体調による視力低下ではなく恒常的な視力低下が起これば、それこそMF能力を失う場面すらある。そうなれば、もはや微妙な技など通用せぬ。素直に新たな視度補正レンズを導入するより仕方無い。
我輩は自分の視力について数値としては知らない(覚えていない)が、「視度補正レンズはいつも-2を購入している」と書けば、その視力が解るだろうか。
普段、メガネを掛ける習慣が無いために、カメラのファインダーをメガネを掛けて覗くというのはかなり違和感があり調子を狂わせる。そのため、我輩は視度補正レンズの無いカメラを使うことは出来ぬ。
最近、我輩は各カメラに装着している視度補正レンズを、-2から-3へと更新した。それだけ視力が低下したということだ。もはや、体調によって左右する範囲を越えてしまった。
それでも、日常生活ではそれほど問題にならない程度であるため、やはりメガネを掛ける気にはなれない。
だが、視度補正レンズが手に入らないカメラは何台か所有しており、その出番が無くなるのは少し寂しいことでもある。
秩父鉄道を撮影に行った際、駅の壁に掲示してある時刻表の文字が見えず、カメラを覗いて確認した。カメラがメガネ代わりというところか。
まあ、見方を変えれば、カメラがより我輩の生活に密着するようになったと言えるかも知れない。カメラ無しでは、時刻表さえ見えないのであるから。
だが、やはりカメラはカメラ。どうしてもメガネにはなり得ぬ。
例えば、観光地などで「シャッターを押して下さい」と言われたとする。普段ならばヘナチョコ妻に代わってもらったりするのであるが、それでも状況的に我輩が撮影せざるを得ない場面もあるだろう。そういう時、相手が渡してきたカメラが一眼レフならば、ピントに関してはもはや責任が持てない。たまたま相手のカメラの視度が我輩の視度に合っていれば良いが、ノーマル視度であったりするともうダメだ。
それがAF一眼レフであろうとも、撮影者が「よし、ピントが合っているな」と確認した上でシャッターを切ることになっている。最近のワイドフォーカスエリアを持つAFカメラでは、常に距離が近い物体にピントを合わせるような仕組みになっているため(本当はそういう単純な判断ではないだろうが、結果的にはそうなるので皮肉の意味を込めた表現とした)、もしピントが確認出来なければ、中抜けになったとしても気が付かない。一期一会の撮影ゆえ、後日「うまく写ってたか?」などと確かめることすら出来ない。恐らくその心配事は、記憶が続く限り残ることだろう。
「所詮、他人の事だ」と気にもしない者は良いかも知れぬが、我輩にも写真を撮る時のプライドというものがあり、撮影結果は常に気になる。
なに?自分のカメラを使い、そのレンズにて相手のカメラのファインダーを覗けと?
ナルホド・・・、その手があったか。