我輩が一眼レフカメラを初めて手に入れた時、接写リングを買う金銭的余裕など無かった。しかし接写で撮りたい被写体があるのであるから、根性で何とかしようと思った。
そこで、カメラからレンズを離し、手に持ったレンズの光軸がズレないように注意しながらピントを合わせシャッターを切った。カメラとレンズの間を手で遮光しながら撮るのがコツ。当時、これを接写リングならぬ「手写(てしゃ)リング」と呼んでいたものだ。
当時はキヤノンNewFDレンズを使用していたため、絞りをフリーにするのに苦労したものだが(NewFDレンズはカメラから外すと絞りがロックされてしまう)、それも何とかクリアし、見事に機材の不足を補った。このようにして撮られた努力の写真に対して、「像が歪んでいる」とか「光線漏れがある」とか「貧乏クサイ」などと言ってはならない。チャレンジ精神こそが真に尊い。
最近、我輩はあるレンズが欲しい。
具体的に言うと、「Canon TS-E90mm F2.8」というアオリレンズ。定価\185,000(実売\150,000前後)と非常に高く、すぐには手が出ない。
だが、このレンズは他のレンズでは決してマネ出来ない写真が写せる。それは、レンズのカタログに掲載された作例を見れば判るだろう。
通常の撮影レンズの場合、ピントはレンズに対向した面にしか合っていない。その面の前後には被写界深度に含まれる範囲があるのだが、これは「ピントが合っているように見えるが実はピントは合っていない」という状態であり、許容錯乱円の範囲内にあるに過ぎぬ。
奥行きのある被写体を撮影しようとする場合、どうしてもピントは一部にしか合わない。
(用語集の「
許容錯乱円」の項目参照)
確かに、目一杯絞り込むことによって錯乱円を小さくすることは、深いピントを得る有効な方法の1つである。だが、モノには限界というものがある。長焦点であればあるほど、そして撮影距離が近付けば近付くほど、被写界深度は浅くなる。そうなると、もはや絞り込むことによって奥行きのある被写体全面にピントを合わせることは出来ない。
ところが撮影レンズの光軸を傾ける(ティルトする)と、このピントの合っている面も傾く。この面の傾きを被写体の傾きに合わせることによって、被写界深度が浅いままで奥行きのある面にピントを合わせることが出来るのだ。この撮影を「ティルト撮影」と言うが、35mmカメラの場合は専用のレンズを使わねばならず、普通のカメラやレンズでは不可能である。
だが我輩は、根性で何とかしようと思う。貧乏人ならではの発想だが、それを恥じるつもりも無い。結果は問題ではない、チャレンジ精神こそ人を向上たらしめる原動力である。・・・と強引に正当化させるのは我輩の得意とするところ。
今回我輩は、少年時代のテクニック「手写リング」のチャレンジを想い出し、いま再び、そのテクニックを使うことにした。レンズをカメラから外して手で保持するまでは一緒だが、今回はレンズの光軸を意図的に傾け、ティルト効果を根性にて再現する。
右側の写真を見ると、開放絞りで撮ったとは思えぬ出来映えである。しかしいくらレンズをティルトしたからと言って、被写界深度が浅いのであるから、ピントの合っている面から外れた部分はボケている。少しばかり絞り込めば更に仕上がりが良くなろう。
但し、キヤノンEFレンズは電磁絞りのため、レンズ単体での絞り込みは不可能。だがよく考えると、レンズをカメラに装着するわけではないのだから、別段、EFマウントにこだわる必要も無い。今度はニッコールレンズで挑戦することにしよう。
しかしながら、「根性ティルト」で撮影されたこの写真にも欠点はある。それは、「同じ写真を二度と撮れない」ということだ。
ファインダーで覗きながら手に持ったレンズを傾けていく・・・。そしてピントが合った瞬間にすかさずシャッターを切る。これほどシャッターチャンスを求められる撮影も無いかも知れない。シャッターが切れる一瞬のブラックアウトの後、焦点板に映る画像は既にピントが合っていない。
このような撮影では、微妙な位置関係を再現することは生身の人間では不可能と言える。
「根性」で撮影する写真、裏を返せば「疲れる撮影」とも言える。今はまだ根性が維持されているから良いものの、この先を考えるとやはり楽をしたくなり機材に頼ろうとする軟弱な発想が出てこよう。
ティルト撮影の有効性を実感出来た今、ますますアオリレンズが欲しくなってしまい、節約しようとした目論見が見事に裏目に出てしまった・・・。