写真が手軽な趣味となり、インターネットで同好の人間の繋がりが出来たこの時代、分からないことがあれば訊けば済む。まさに一問一答。簡単である。どこにでも写真にウルサイ先生がいて、相手に失敗させないような教え方をする。まあ、それは当然といえば当然だが、大事なプロセスを経ずに安易に結論に導くのは、「手軽」という言葉に隠された弊害の一つであろう。
(関連として
雑文233参照)
我輩が最初に写真に触れたのは、モノクロプリント写真であった。
小学生の頃のことであるから、別段芸術的な要求からモノクロを選んだ訳ではない。ただ単に小遣いが足りなかったからだ。モノクロならばフィルムやプリント代が安く済む(現在ではカラーのほうが安くなってしまったが)。
それからしばらくして、カラープリントが当たり前になった。
家に置いてあるカメラ「ピッカリコニカ」にカラーフィルムが装填されており、それを時々使った。庭木にやってくるアゲハチョウやトンボなどを撮った。撮影した写真は忘れた頃に現像されていた。
そのうち一眼レフを手に入れ、交換レンズなども購入した。これで自分の写真が少し変わった。
しかしたまに、お気に入りの写真を引き伸ばすと色や濃度が変わってしまうということがあったが、それは運が悪かったのだと思った。
この時代は6〜7年くらい続いた。
ある時、ちょっとしたきっかけでリバーサルフィルムを使うことがあった。それはコダクロームというフィルムで、感度が64と低く使いにくいものだった。だがそれを現像に出して戻ってきた時、我輩はその色の鮮やかさに呆然となった。
「なんこれ?!はよこんフィルムで撮っちょきゃよかったそに!(なんだこれ?!早い時期にこのようなフィルムで撮っておけばよかったのに!)」
我輩がリバーサルフィルムで感動したのは、初めて一眼レフで写真を撮った時に匹敵するほどだった。
一眼レフは、ファインダーで見たままが写る。ピントがボケた様子がファインダーで見えるのは新鮮だった。そして今度は、リバーサルフィルムによって、見たままの色が写った。長い間諦めていたことが、リバーサルフィルムとの出会いによって改善可能なものとして考えられるようになった。
それ以降、我輩はそれまでネガフィルムで撮っていた分を取り戻すかのように、コダクロームを使いまくった。何かのイベント時(例えば陸上大会や菓子博覧会など)には1日に20本以上も撮り、フィルム購入は常にカートン単位であった。
その頃はまさに我輩にとっての戦争であった。
何も考えずにただ撃ちまくる。そして大量に発生する失敗写真。何が悪いんだ、と考える間もなく別の問題が発生する。それを補おうと、さらに撮影枚数は増えて行く。累々と積み重なる死体(失敗写真)の山。まさに泥沼の戦場だった。
今まで長い間鬱積(うっせき)していたカラーネガ写真の不満が思った以上に強く、リバーサルのポテンシャル(秘めたる能力)を目にした以上はそこに突き進むしか無かったのだろう。失敗写真が発生するたび、「こんなはずやない、もっといい写真が撮れるはず!最初に我輩を感動させたような写真を、ここでは撮れんちゅうのはおかしいワ!」とがむしゃらになった。
今、その頃の自分を静かに想い出す。
前にも書いたとおり、失敗は必ず1度は通過する。それがあの時期だった。カラーネガ写真という長いトンネルを抜けた後、新しいものに出会った衝撃。その新しいものとの付き合い方を自分だけの力で見出すには、戦争しか方法は無かった。
結局は人からアドバイスを受ければ安上がりで苦労も無かったろう。だが、失敗をしてそこから這い上がるために、いくつもの道を試した。それこそ「しらみつぶし」な努力である。この努力により、「遠近感の強調=広角レンズ」などというような一問一答形式になりがちな問題を、いくつもの経路の中の小さな問題であると俯瞰(ふかん)出来るようになった。
「全ての現象は密接に繋がっており、個々に取り出す意味は無い。」これは戦争で得た結論である。
頭の良い人間ならば、そのような無駄な戦争などせずに統一場理論によって全ての現象を事前に計算し尽くすことが出来るだろう。だが、我輩のような人間は、全てを失敗することによって、その背後に潜む大きな繋がりを感覚的に掴むことしか出来ぬ。それが我輩のやり方だから仕方無い。
もし我輩が、カラーネガ写真に不満を持つ前にリバーサルフィルムと出会っていたら、どうなっていただろう?
不満を持たぬ者に、新しい物の利点を説いても無意味である。我輩がそこから得る感動など無かったろう。カラーネガ写真を撮っていたからこそ、「見たままの色がそのまま写る」ということに感動した。最初からリバーサルフィルムに出会っていれば、「見たままの色がそのまま写る」などということは、実に当たり前のことであり、感動する理由など無い。
我輩の身近に写真にウルサイ先生がいたとしたら、感動するヒマ無くリバーサルを勧められていたかも知れぬ。そうなれば、今の我輩はここにはいない。
いやはや、そんな先生が身近にいなくて本当に良かった。