我輩は仕事でデジタルコンテンツを制作することがある。マクロメディア・ディレクターなどのツールを使い、いろいろな取扱い説明用
CD−
ROMを作ったりする。
制作にとりかかる前、この仕事を出した顧客との打ち合わせを行い、「どのようなシナリオにするか」、「画面構成はどのようにするか」などを協議する。そしてその結果に基づいてデモンストレーション用の画面を制作し、実際に画面上で顧客に確認してもらった後、実際に制作が行われることになる。
さて、制作途中で顧客から「制作状況を知りたいから、現時点での完成分を見てみたい」と言われることがある。断る理由は無いので見せると、その場で注文が出てくる。
「ボタンのデザインを変えて欲しい。」
「表示する配置を変えてみよう。」
「メニュー画面を追加してみよう。」
このように言われると、今まで制作したものが全て変更となる。デモンストレーションの段階で手直しが出来たはずの問題であり、あまり上手くない仕事の進め方だ。
顧客は制作側の苦労はあまり認識していないのかも知れない。金の折り合いが付けば問題無いと考えているだろう。そのように軽く考えてもらうと、制作現場は辛い。
だが、完成品を考えるならば、やはり悪いと思われる点は改良せざるを得ない。苦労が伴うが、やる以外無いのだ。中途半端な製品などを作っても、結局は意味が無くなってしまうからな。少なくとも我輩はアルバイトではないのだから、製品という目的を考えるならば、苦労を飲み込み、より良い製品を作るよう努力するだけだ。
先日、
カメラのカラー液晶についての雑文を書いた。
それについて色々な反響があり、大変嬉しく思った。しかし少々困惑したのは、その多くがカメラメーカー側の立場に立ったものであり、消費者の要望という立場が少なかった点である。
カメラを趣味としている者は紳士が多いのかも知れない。
相手の苦労を知ると、どうしても強く要求することが出来ずに、自分の要求を既存のラインナップの範囲内で収めてしまうのだろうか。我輩の仕事の時のように、相手の苦労も知らずに要求だけを突きつけるような者はほとんどいないのだろう。
しかし、どんなに枯れた技術であっても、新しい分野に盛り込むためには、いくつかの改良無しでは不可能である。これは当然のことだ。そのような改良を施す苦労を消費者に悟られるようになってはならぬ。ましてや、消費者にその苦労を同情されるようになってはおしまいだ。
苦労するのがメーカーの仕事ではないのか? そのために我々が高い金を払っているんじゃないのか?
あまりメーカーを甘やかせると、ますますその進歩はニーズとかけ離れたものとなり、「出来るからやる」「出来ないからやらない」という風潮を助長させることになろう。その結果が、使いもしない多機能のオンパレードである。そして、必要な改良については「出来ません」のひとことで済まされる。
出来ないならば、出来るように工夫するのがメーカーとしての、そして技術者としての使命である。偉大な先人たちは、そうやって日本をカメラ大国にのしあげてきた。
我々消費者は、難しく考える必要など無い。どんなものを盛り込むにせよ、苦労は必ず伴うものだ。ユーザーが心配する苦労とは表面上のものでしか無く、そんな一部だけを心配してもあまり意味は無い。それは1000の苦労のうち、たった2〜3の苦労でしかないのだ。それならば、ユーザーは軽く考えることにしようではないか。
単純に、「こういう製品も欲しいな」と要求するのみ。メーカーはそれを貴重な意見として受け止めるべきだ。
少なくとも我輩は、「出来ません」で納得するような物分かりの良いユーザーではない。「自分に必要かどうか」、それだけが判断基準である。
カラー液晶というのは賛否両論があるのは当初から判っていた。しかも正直言って我輩にとっては液晶の問題など、どうでもいい話である。しかし、だからと言ってメーカーの怠慢を許すわけには行かない。ダイヤル式カメラを潰してまで登場させた「最新型」のカメラがこの程度なのか?
カラーディスプレイの件は、問題を具体的に考えやすくするための材料に過ぎぬ。
ニーズは多様化しており、「これが全てのユーザーを満足させる」という究極の1台などあり得ない。選択の余地の無い今、製品のバラエティを増やすためにとにかくカラーディスプレイ(液晶でも何でもいい)を出すべきだ。モノクロ液晶だけしか無い現状は、消費者の選択の機会を奪う行為である。ボディカラーだけを変えるような現状では意味は無い。
カラーディスプレイの問題は、我輩がかなり譲歩してメーカー側の立場で考えたつもりである。闇雲に不可能なことを要求してはいない。ゼロの状態から液晶を開発せよなどと言う話ではないのだから。
消費電力の件にしても、液晶ディスプレイを採用すればカラーはモノクロとそれほど消費電力は変わらないはず。暗い場面でバックライトが必要になるのは、モノクロもカラーも同じこと。
製造コストにしても、最初は高くつくだろうが、携帯電話やパソコン、携帯端末に使われることを考えれば、数十万円のカメラで吸収できないとは考えにくい。
耐久性にしても、ニコンF3で初めて液晶を導入した根性があるなら問題無く改良出来るはず。何もドットマトリクスでなければならないわけでもあるまい。逆にドットマトリクスにしないほうが、反射式液晶としては視認性が良くなるだろう。
高性能のカメラを上から与えられるだけで満足し、それで一喜一憂するという姿勢はもう終わった。
ユーザーがそれぞれの要求をメーカーに突きつけ、メーカーがそれを実現させるべく努力するということが、製品の健全なる進化に繋がると信ずる。努力しないメーカーは淘汰されるだけ。実に単純な原理だ。
ユーザーは金を出して口も出す。メーカーは金を受け取り努力する。それが、メーカーとユーザーの役割というものだ。