[249] 2001年04月02日(月)
「写真で見る話」
今回の話では、写真はややこじつけであり、ほとんど関係無いとも言える。しかも長文のため、この話題は読むに値しないかも知れない。
我輩の祖母の姉、通称「オバチャン」が逝ったのは、昨年11月21日(火)午前2時のことだった。
我輩が小学生の頃、オバチャンは東京から我輩の祖母を頼って九州にやってきた。夫に先立たれ、子供もいなかったことから、ここだけが頼りだったと言える。
オバチャンは金には不自由していなかったため、自分のために二部屋増築し、そこで暮らし始めた。今で言う二世帯住宅のようなもので、玄関もあったのだが、母屋へはドアを開ければすぐに出入り出来る。
ちなみに我輩の部屋は、その間にある階段を上って2階にあった。
祖母、通称「バーチャン」は典型的な九州人で、歳のわりにかなり元気だ。外見からは曾孫がいるようには見えない。少なくとも、町内で一番元気で声がデカイのは間違いないだろう。そして、過剰なほど面倒見がいいので、これ以上に頼れる存在は無いと言える。
しかし、そんなバーチャンとは対称的に、オバチャンはだんだん歳を取ってくる。そしてここ最近はボケの症状も出てきたようで、とうとう病院に入院することになった。
見舞人の顔も分からない様子だという。
我輩が去年の夏に実家へ帰省した時、オバチャンの部屋には誰もいなかった。入院していると分かっていたのだが、いつもであれば「東京は暑いでしょ」などと笑顔で出迎えてくれた。それが無いのが不思議な気持ちだった。
その時我輩は、なぜか写真を撮りたい衝動に駆られた。何の変哲も無い扉と階段。そこを魚眼レンズで撮りたくなった。
だが室内はかなり暗く、ストロボでも180度の画角をカバーできない。しかし、なぜか強引に撮りたくなったので、失敗することも構わずシャッターを押した。
それからしばらくした11月、我輩は電話でオバチャンの死を聞かされた。
「ボケてたから、あんまり長く生きてもねぇ。」とバーチャンは笑っていたが、それでもやはり、実際に死んだ時はショックだったという。
ここ最近では親戚に死人は無く、特に我輩に至っては、今まで顔見知りの者があの世に逝ったということは無かった。そういう意味でのショックは確かにあった。
今でも目をつぶると、オバチャンの顔が浮かび、声が聞こえてくる。電話で聞かされてショックは感じても、本当のことだという実感が湧かない。
特別な情も無く、また関東から850キロ離れた九州のことゆえ、我輩は通夜や葬式には出席していない。そのため、一層オバチャンの死がフィクションのごとく思えてならない。
その後、21世紀も無事に迎え、早くも4月になろうとしていた土曜日、1本の電話があった。
バーチャンからだった。
「オバチャンが霊になって会いに来たよ!」
我輩は耳を疑った。死人が出たことも初めてなのに、その上幽霊だと?!
3月21日の夜9時、バーチャンはテレビを観ていた。楽しみにしていたテレビだったらしい。恐らく、いつものように大笑いしながらテレビを観ていたに違いない。
そのうち、背後で「カチャカチャ」という音が聞こえてきた。バーチャンの背後には扉があり、その向こうにはオバチャンが住んでいた部屋へ繋がるドアもある。今はその扉から向こうには誰もいないはずだった。
バーチャンは用心深いタチでもあるので、家中の扉には鍵が取り付けてある。オバチャンの死後、北九州小倉から特別に呼び寄せた鍵職人によって、極めて頑丈な鍵を付けてもらったらしい。
その時も、バーチャンの背後の扉には鍵が掛かっていた。
バーチャンは、テレビに夢中だったため、「せからしいわ(ウルサイな)」とは思ったものの、そのまま放っておいたと言う。
その物音は、およそ1分くらい続いたあと消えた・・・。
翌3月22日、やはり9時頃テレビを観ていると、昨日と同じようにドアノブをカチャカチャする音が聞こえてきた。
2度目だったので、バーチャンはさすがに振り向く気になった。
見るとドアノブは動いていない。音も止んだ。
ふと、ドアに取り付けてある模様ガラスに光が浮かんだ。
そのガラスの向こうは誰もいないはずであり、当然真っ暗になっている。しかしその時、ライトが当たっているかのように何かが照らされていた。見ると、それは亡くなったオバチャンの白い顔だった。
模様ガラスの向こうであっても目鼻がハッキリ判るほどで、もし誰か一緒にいたならば、その人にもハッキリ見えたに違いないと話す。
我輩は、そこまで話を聞いて鳥肌が立ってしまった。
バーチャンはあっけらかんと話すのだが、内容そのものが異質で、話し方がどうあろうとも関係なく伝わってくるものがあったのだ。
それにしても、人間の記憶は曖昧であり、自分の実家ながら扉にガラスがハマっていることさえ覚えていなかった。
「そうだ、写真があったじゃないか。」
その時初めて、夏の帰省時に撮った写真を思い出した。
現場の写真(魚眼レンズのため歪みアリ)。霊が立っていた側から見ている。画面右側が問題の扉で、矢印で示すのが顔が写った模様ガラス。この写真では、向こう側に開いている状態。
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写真を見ると、バーチャンの話がより一層具体的に思えてくるのが不思議である。
よく、雑誌などで読む心霊体験では挿し絵が描かれており、何となくマンガ的な薄皮に隔てられているような印象があった。
しかし、このように写真であらためて見ると、その薄皮を突き破って見ているような、そんな気にさせられるのだ。例え、それが今回のような失敗写真であったとしても、写真のリアリティに勝るものは無い。
それにしても、この写真を撮ったのは単なる偶然だったのだろうか。いまだに納得が行かない・・・。
バーチャンは言う。
「オバチャン、世話になったからってバーチャンに挨拶に来よったんじゃろうねー! そう言えば21日はオバチャンの命日、3月21日はオバチャンの誕生日やったわ。でも、その日は知らん顔してたから、次の日もやって来たんやろう。姉妹やから、全然恐くなかったっちゃね。」
「で?オバチャン、そのうち消えていったのか?」
「知らん。テレビが気になって見て、振り返ったらもうおらんかった。」
「幽霊よりテレビか・・・。」
我輩は苦笑した。
それにしても、顔見知りが亡くなったというのも初めてならば、顔見知りが幽霊になって現れたという話も初めてであり、我輩の鳥肌はしばらく続いた・・・。
その時の状況を画像合成で再現してみるとこのようになる。なお、実際の顔は当然ながら老婆である。
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−−−後日談(2001年4月12日記)−−−
あれから数日後、バーチャンから電話があった。
今年は帰省するのか訊かれた。
盆休みにはまだ早いのにもうそんな話かと思ったが、どうもそういうことではないらしい。
実は、まだ霊現象が続いているとのことだった。
あの事件のあと、バーチャンはテレビを見るのを邪魔されたくないとのことで、ドアのガラス窓に布を掛けて見えなくしたという。
「音は消えた?」
「うん、ガチャガチャさせる音はせんごとなったねぇ(しなくなったねぇ)。けど、寝る時にラップ音がしだして、せからしいんよ(うるさいんよ)。」
バーチャンはテレビマニア。
みのもんた司会の「おもいっきりテレビ」での心霊コーナー「あなたの知らない世界」が大好きであり、「ラップ音」などという心霊用語なども当たり前のように使う。
(ラップ音とは、霊が現れる時に「ピシッ!」と生木が裂けるような音がする現象のこと)
「それ、ドアの方から音がした?」
「いんや(いや)、天井のほうから。あんまりせからしいけん(あまりにうるさいから)、おらびよったら(叫んだら)静かになったわ。ハハハ!」
「静かになった?なんちゆっておらんだ?(なんて言って叫んだ?)」
「生きちょる時も世話掛けて、なんで死んだあとも世話掛けるんね!っちおらんだわ。」
「そ・・・、それで静かになった?」
「ジーサン、ソレ見て笑いよったけど、それっきり音はせんごとなった(音はしなくなった)。」
しかし、その現象は次の日も続き、バーチャンはそのたびに一喝して寝るのだという。
「霊には甘い態度とったらいけん(いけない)。」バーチャンはキッパリと言う。
しかし、我輩が帰省した時に気味が悪かろうということで、今年は帰らないほうが良いのではないかという話だった。
そうか・・・残念。今年こそ古いカタログを発掘したかったのだが・・・。
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