2000/04/05
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カメラ雑文

[248] 2001年04月01日(日)
「花は桜」

花は桜。

日本を代表する花と言えば、誰もが思う桜。
我輩の職場近くには大きな斎場があり、その横の道には桜の木が覆い被さるように並んでいる。その桜が今、満開状態で街道を飾る。

その昔、日本の花と言えば梅であった。それが桜に取って代わったのは、歴史に記されたエピソードがあるという。
だが、いくら歴史的エピソードがあろうとも、これほどまで桜が日本人の心に大きな位置を占めているのはなぜか。

桜とは1つ1つの小さな花の単位のことではなく、多く集まった状態が「桜」と認識される。それ故、小さな花ひとつを取ってきても、それは桜とは呼べない。桜は、枝ごと折り取らねば取って来ることは出来ない。

日本の花が、梅から桜に変わったのは、その木の高さにあると我輩は見る。
梅よりも高い枝に広がる桜の花は、見上げる者の視界いっぱいに広がる。さらに、空の青さに映える美しさが、より一層、人の心を満たす。

元々人間には、数の多いものに気を引かれる性質が備わっているのかも知れぬ。
もしそうならば、我輩が以前、ホタルの群の中で声を失ったのも、それが原因の一つにあると言えるだろう。同じホタルでも、1匹のホタルと数百匹のホタルとでは、与える印象が全く違う。それは程度の差などではなく、印象の質そのものが違うと感じさせる。


人間が感動する要素とは? それを意識の上で知っている場合と、漠然と感覚するだけの場合とでは、写真を撮る時の迷いも違ってくると想像する。

なぜ、「花は桜」なのか。
人間を写すのではなくとも、人間を知らぬ者に桜を撮ることが出来ようか。

桜の場合に限らず、写真に行き詰まったならば、己の内に答を探すことも必要となろう。どれほど外に目を向けようとも、自分が自分である限り、答は己の内にあり、必ずそこに行き当たる。

カメラを置き座禅を組み、心を鏡に映せ。
まわりくどく滑稽に映るかも知れぬが、心ある者ならば、全ての始まりを己の内に見出すことだろう。