[247] 2001年03月27日(火)
「時代のインデックス」
消え去って、初めて気付くものがある。写真に撮っておけば良かったと思っても、もうその時には遅い。
北九州市小倉を走る西鉄の路面電車は、我輩にとってはバスと何ら変わりなく、身近で特別な感慨も無かった。
子供の頃、よく到津(いとうづ)動物園や桃園(ももぞの)のプラネタリウムに行くために路面電車を利用したものだった。
しかし、ふと気付くと、小倉の街に路面電車の姿は無かった。今でも不思議に思うのだが、いつ消えたのかさえ意識しなかった。
「そういえば・・・」と街中を見渡して初めて、電車の姿が見あたらないことに気付いたくらいだった。
路面電車の後にはバスが運行され、交通手段に不便は無く、それ故、路面電車が消えたことを意識する機会がなかったのだろうか。
我輩は、基本的に電車を撮る趣味は無い。しかし、我輩にとっては小倉の路面電車は、懐かしい風景の一部を構成していた。それが無くなって初めて、その存在の大きさを知った。
身近であるが故に、その重要性を見過ごす・・・。皮肉なものよ。
そうこうしている2年前、今度は到津動物園が閉園してしまうという話を聞いた。
68年間もの歴史が終わろうとしている到津動物園。路面電車と同じく、ごく身近な場所だっただけに、今度撮り逃せば再び後悔することは必至。
盆休みを利用して、我輩は炎天下でシャッターを押しまくった。
あの撮影では、写真的なことは一切考えていなかったなあ。
「もうこの動物園の姿を見ることは出来ない」と思うと、とにかく写真のフレームに多くの情報を焼き付けようという気持ちになっていた。
いずれ技術が進めば、複数の写真を基にした仮想現実(バーチャルリアリティ)の世界をコンピュータ上で再構築することも出来るようになるだろう。もしそうなっても十分な情報量を確保出来るようにと、何本もフィルムを消費した。
時間は戻らない。今撮れるものは、今、撮っておく。これが、後悔しないための唯一の方法である。そしてこのような写真は、後世にて貴重な資料とされるかも知れぬ。身近過ぎる風景だからこそ、資料が残りにくいのである。
今、我々は時代の流れの中にいる。
新しいものがどんどん流れ込み、旧いものはひっそりと消えてゆく。新しいものと旧いものの境界線は、いわゆる「時代の節目」というインデックスとなる。
単純に新しいものだけを受け入れ続けていけば、日常生活では何の不自由も無いだろう。しかし、その旧い時代が自分にとって大切ならば、時代が完全に変わりきってしまう前に、その姿を留めておくことが重要だ。それによって時代のインデックスが自分の手元にハッキリと残され、自らの生きてきた途(みち)を辿ることが出来る。
まあ、「旧いものにこだわっている」と言われれば否定しようが無い。だが我輩は、自分の要求にただ、シャッターを押すのみ。
・・・さて、最近は携帯電話が普及しまくっているようだ。この調子では、そろそろ公衆電話でも記念に撮っておいたほうがいいかもな。
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